暮らしの中で感じた「きょうのきもち」・・・just the way I am
ままぷりんのひとりごと
仁義なき戦い
粒ウニの瓶詰めが食卓に乗った。 とたんに皆の視線が厳しくなる。 過分に食べようとするヤカラがいないかどうか、牽制しあう。 暗黙のうちに決まっている一人当たりの適量を、ほんの少しでも越えて味わおうとするものがいると、すかさず鋭い非難が飛び、瓶をつかんだ手を申し訳なさそうに離すことになる。 それぐらい、我家の食卓における粒ウニ瓶詰めの地位は、高いものがある。 わたしの幼少の頃より、この瓶詰め崇拝は存在していた。 あたたかいご飯にのせた時に、プーンと漂う酒の香りと同時に感じるウニの濃厚な味わい。 子供だったわたしも妹も弟も、ご飯の上のオレンジ色をした粒ウニで一体何ばいご飯をおかわりしただろうか。 そしてクライマックスは最後にやってくるのだ。粒ウニの細くて厚みのある瓶の中身がほとんどなくなった時こそが、最大の山場だった。 ほぼ空になりつつある瓶の中に、ご飯をちょいと入れて、瓶の周囲についたウニまできれいにさらって食べる権利を一体誰が獲得するかという一点に、わたし達3人は兄弟の間の仁も義も無視する形で凌ぎを削った。 今こうして思い返してみると、なぜかかなりの頻度で「妹」がうまいことその権利を奪い取り、 得意げに瓶に顔を突っ込むようにして、オレンジ色をした粒ウニまぶしご飯を食べていた。 彼女には瓶獲得のためのなんらかの秘策があったのかもしれないが、 それは未だに聞いてみたことがない。 炊きたてごはんから立ち上がる湯気の向こうでは、 時代に関係なく仁義なき戦いが繰り広げられているのだ。 |
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拝啓
最近は直筆で書状を書くことが極端に少なくなり、たまにペンをもって便箋なり葉書に向かうと、背筋がピンと伸びる気分になる。 先日来ずっと気になっていた礼状を書くために、美しいカードを選んだ。 時候の挨拶に始まり、感謝の気持ちを述べ、再会を期待する旨を伝え、「どうぞご自愛ください」で結ぶ。 構想はすっかり頭の中に出来ていたし、実際書き始めたら以外な程のスムーズなペンの動きに妙に感心してしまった。 と、気を許したとたん、ほらほら2箇所も間違えた。 修正ペンできれいに消して、乾くのを待ちながら、残りの文面をとりあえず完成させた。 さてここで礼状書きはひとまず小休止。違う仕事を間に入れたら、さっきの修正部分のことなんかすっかり忘れていた。そして、勢いで投函!! アリャ~!! Please, Mr.postman!! お願いしたって後の祭り。。。。 同志社の創設者・新島襄は、書簡をしたためたらすぐには出さず、必ず一晩枕元に置いたそうだ。そして翌朝、再度読み返して、言い足りていないか、はたまた言い過ぎていないかをチェックしてから投函したという。 今頃は、2箇所白塗りの歯抜け礼状が届いているはずだ。 「おや、おや」という先方の困惑した顔が浮かび、後悔で溢れそうな気持ちがテンションを最下層に押し下げる。 先人の教訓は活かされることはなかった。 それどころか、「枕元に手紙を一晩も置いたりしたら、きっと出し忘れるに違いない!」と、先人にたてつく様ないい訳がましい言葉で、なんとか無理やり一件落着に持ち込もうとする情けない自分がここにいる。 かしこ |
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iPodを購入できない訳
どうしてだろう、歌ってしまう。しかもかなりな熱唱。 お気に入りの音楽がイヤフォンを通して耳に入ってきたりしたら、 そこが電車の中だろうが、図書館だろうが、病院だろうが、黙ってられない。 「iPod携帯不適格者」というレッテルをべったり貼られたようで、購入はあきらめたほうがよいのではないかと思う昨今です。 |
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わたしの名は?
パレットの上からはみ出そうなくらい様々な色彩を、丁寧にキャンバスの上に置いていった。 そんな感じのする作品だった。 2006年ノーベル文学賞を受賞したオルハン・パムクの『わたしの名は紅』 617ページかけて色を付けた細密画のような内容は、イスラムに対する理解の薄いわたしにはあまりにも難解だった。 懸命に作品の描き出す世界に溶け込もうとしたが、アラーの神はとても遠いところに居られるようで、わたしをその中心のところへは近づけてはくれなかった。 わたしの名に色を付けたら何色だろうか? ひとつの色に落ち着くまでには、まだまだ下塗りが必要な気がした。 |
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シンプルな生活
年に2度くらいのペースで、「シンプルに暮らしたい~!!」という突発性発作に襲われる。 ここで言う’シンプル’とは、精神的な雑念を省いたという高尚な意味ではなく、物質的な簡素さを表している。 決められた居住空間、限られた収納スペース。 入ってくるものと、出ていくもの。 バランスとしては、入ってくる雑多なものがはるかに多い現状では、どう考えたってシンプルに暮らせるはずがない。 とにかく収納場所の構造改革と収納する側の意識改革が早急に求められる。 暮らしやすくするために、何が必要で何が不必要なのか、自らに問いかけながら、 部屋中を点検したら、これまた出てくる出てくる。なんとなくしまっておいた物たちが。 地球環境のことを考えると、この家庭内処分活動は、あのマータイさんにお叱りを受けること 間違いないが、そのままでは、いつか居住環境に深刻なる危機が訪れることも間違いない。 不必要と判断したものをコーナーに集めると、あっと言う間に一山築けた。 その山を前にして出た深いため息も、一緒にまとめて捨てることができたら、さぞすっきりして気分爽快なことだろう。 ため息は燃えるだろうか? いや待て、危険物扱いになるのかもしれないぞ。 |
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