マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

財産と命

2020年10月09日 | キリスト教

そして、一同に言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。

有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」

                   ルカ 12章 15節 

偽善は、人から歓心を得たいという強い思いですが、貪欲は、物を得たいという強い思いです。

ここで主が教えられているのは、富を蓄えること自体を非難しているのではありません。

主が諭されたのは財産が蓄えられたから、もう大丈夫だ。明日からは好きなように遊んで暮らそうと考えた「愚かさ」にあります。

なぜなら、人の命は財産によって保障されているわけではないからです。

生命というものは、いつでも「いのちの本源」によって生かされているものです。

そこへ考えが及ばないところに、愚かさがあるのです。ではどうしたらよいでしょうか。

主イエスはこのように教えられました。あなた方は地上に宝を積んではならない、

そこでは虫が食ったり、錆びついたりするし、また、盗人が忍びこんで盗み出したりする。

富は天に積みなさい。そこでは虫が食うことも、錆び付くこともなく、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。

あなたの富のある所に、あなたの心もあるのだ。と。

 

多くの人たちは、「これさえあれば、私は幸せになれる。生きがいを見出すことができる。」と思います。

そして、実際に欲しいものが手に入ると、「いや、まだもっと何かがあるはずだ。」と思って、

さらに多くのものを求めます。けっして満足することがないのです。

また、神によって生かされているのに、持ち物によって生きているのだと思う、このことが、高慢への入り口なのです。

 

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