マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

頼れるお方は

2024年03月15日 | キリスト教

主はこう言われる、『おおよそ人を頼みとし肉なる者を自分の腕とし、

                       その心が主を離れている人は、のろわれる』。」

                       エレミヤ 17章 5節

人に頼ることも、偶像礼拝に関わります。神以外に頼っているものがあれば、それが偶像ですから、人に依存することも偶像です。

もちろん、私たちは互いに必要です。けれども、神から与えられた交わりであり、その交わりそのものが第一となってはいけないのです。

あくまでも神の礼拝が第一であり、それから互いに交わりであり、人との関係であります。

 

「のろわれる」とは怖い話です。なんだか神から脅されているように聞こえますが、そうではありません。

神の「のろい」「刑罰」はあなたの選択と決断によって、自らが引き寄せているものです。

雨降りのなかに傘も差さずに出て行けば必ず濡れます。しかし、屋根の下に入れば濡れません。

同様に、神に頼れば幸いですが、人や肉なる者を頼ると不幸です。あなたはどちらを選びますか。 

  

 

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