@幕張日記

@幕張が日々を想いのままに綴る日記

美ヶ原高原美術館

2005-09-03 23:58:57 | @幕張の今日は何処へ
 高原の中に彫刻が点在する野外美術館。

美ヶ原高原の帰りに通りがかったけれど、美しい昼間の光景と違って薄暗い霧の中で彫刻に出会うのはちょっと不気味。

@幕張、美ヶ原高原に立つ!  ~ 王ヶ鼻を目指せ! ~

2005-09-03 23:43:19 | @幕張の今日は何処へ
 和田峠を通り過ぎ、山沿いに県道を上ったり下りたりしながら美ヶ原高原への入口の一つ、山本小屋に到着した。山本小屋は10箇所ある美ヶ原高原への入口のうち美ヶ原高原のシンボル「美しの塔」に一番近い入口なのだが、松本平が一望できる王ヶ鼻や最高峰の王ヶ頭までは徒歩で2時間以上かかる。

山本小屋の駐車場で車を停め、徒歩で「美しの塔」を目指した。
美ヶ原高原は標高2,000mの山の頂にある広大な丘陵地なので、砂利道を歩けば楽に歩ける。高原のほとんどは放牧地か動植物保護のための立入り禁止地区となっているので美しの塔や王ヶ頭までは一本道である。

時間は夕方の6時を回っていたが、周囲はかなり明るかった。
松本周辺では、太陽が北アルプスの山々の狭間に隠れるように沈んでいくので薄暗くなるのが早い。冬などは夕方4時過ぎには日が暮れている。9月も5時過ぎには暗くなり始めるので、6時過ぎの昼間のような明るさには違和感を覚えた。

放牧地を両側に見ながら美しの塔を目指す。右手の放牧地の背景に最高峰の王ヶ頭が見えた。王ヶ頭には王ヶ頭ホテルの5階建ての建物の他に放送局の通信アンテナが大小10基設置されていて、遠目にはまるで何かの基地かロケット発射台を連想させる。
そのため落雷も多く、近くの王ヶ鼻の石仏は度重なる落雷のために磁気を帯びた石となってしまったのだそうだ。北アルプスや松本平を見渡せる王ヶ鼻からの眺望や南アルプスや富士山を一望できる王ヶ頭ホテルからの眺めは素晴しいそうなので、一度ホテルに泊まってみたいと思っているが宿泊料もかなり高くて躊躇している。

歩いて15分ほどで美しの塔にたどり着き、写真を撮ったり周辺を散策しているうちに、空が美しい夕焼けになってきた。王ヶ頭の巨大アンテナ群が霧に巻かれ始めたので帰途に着く。温度が急に下がり始め、肌寒くなる。

途中、山本小屋から王ヶ頭ホテルに向かう最終のシャトルバスとすれ違った。一般車が立入りできない高原内にあって、唯一の高原を横断できる交通機関である。

車に戻り気温を見ると17度になっていた。
いくら暑がりの@幕張でもシャツ1枚では涼しいどころではないので、車のヒーターを入れて下山する。2時間近くかけて松本まで下ると、気温は28度近くまで上がっていた。山頂とは約10度の気温差。
     よし、次は日帰りでトレッキングを楽しもう。

@幕張、星糞峠に立つ!  ~ 黒曜石を探せ!! ~

2005-09-03 23:35:48 | @幕張の今日は何処へ
 午前中に松本で用事を済ませた後、なんとなくドライブに行きたい気分になった。
木曽・開田高原方面、白馬・小谷を抜けて糸魚川~上越方面、三才山トンネルを抜けて佐久~野辺山~小淵沢方面と迷いに迷い、果ては上高地から高山へ抜けて富山~上越と回る一泊コースも考えたが、結局、白樺湖周辺をドライブすることに。

松本から三才山トンネルを抜けて長野県の中央に横たわる山脈を横切り、丸子町から白樺湖へと向かう。そのまま諏訪に出て家に帰るコースを予定していた。途中、白樺湖まであと10数キロのところで「黒曜石展」の看板を発見し、石好きの@幕張、誘われるように道を逸れて和田峠に向かった。

     実は@幕張、昔っから水晶とか黒曜石とかの鉱石が大好き。

和田峠周辺一帯は黒曜石や柘榴石(ガーネット)を産出する地域で、昔は峠の茶屋のようなドライブインでも土産として売っていた。沢に入り、川の中の石を丁寧に探すと質の良い原石が今も拾えるらしいが、採取は草葉の生い茂っている季節や雪の積もる季節には不向きで、草葉の落ちる晩秋か雪の消える春がベストシーズンらしい。熊の生息地でもあるから、そちらの注意も必要。

そんな和田峠周辺には古代の遺跡も数多くあり、黒曜石を削って作った縄文時代や弥生時代の矢じりやナイフなどの石器が大量に見つかっている。特に黒曜石や石器が多く発見された星糞峠には国指定の縄文遺跡が残っていた。『星糞』峠とは、この峠が黒曜石をたくさん産出するところから名付けられたようで、昔の人は黒いガラス質の黒曜石が空に輝く星のカケラだと考えていたらしい。

でも、@幕張的に「星の糞」というネーミングはかなりビミョ~。

星糞峠の黒曜石体験ミュージアムで石器や復元遺跡を見学した後、林道を通って星糞峠の遺跡発掘現場を見に行く。星糞峠の遺跡は看板や立札が立てられ、歩道が整備されているのに、遺跡に通じる林道の入口は車止めで半分閉ざされていて案内も何もない。まるで、形だけは史跡として整えたけれど、発掘関係者以外は立入り禁止だと言わんばかりだ。

遺跡の周辺に整備された歩道を歩く。
幅1mほどの歩道には小さな木のチップ(木端)が敷き詰められ所々に案内板が設置されているのに、遺跡の方は発掘現場をブルーシートで覆っただけで遺跡の保全作業も何もしていない。一番大きな発掘現場もブルーシートの隙間から発掘した竪穴が崩れかかっているのが見えていて、横には遺跡の竪穴から採取したらしい土が土嚢に入れられたまま積み上げられている。一部の土嚢は袋が破れ、土と一緒に黒曜石のカケラが露出してキラキラと光っていた。

     長門町教育委員会さん、ちょいと保存がいい加減では?

遺跡の保全作業は、速やかに調査・研究を終えたら発掘した跡に土を被せて元に戻す、展示するために樹脂等で固めて建物で覆う等の方法があるけれど、多くは土で埋め戻す方法が採られている。どちらにしても、掘ったまま放置するのが一番保存に適さない方法だと思うのだが…。

遺跡の周辺の歩道を一周した後、黒曜石の破片を拾う。
草むらの所々にモグラの穴のような小さな土の盛り上がりを探すと、盛り上がりの上に乗っている黒曜石の破片が太陽の光を反射して光っているのですぐに数個を集めることができた。

流水で削られてボロボロになった林道を注意深く進み、県道に出ると予定を変更して和田峠を越え美ヶ原高原へと向かった。

     目的なんかなくて、ただ、気の向くままに。