家の中に大きくて凶暴な熊が入ってきました。
明らかに私達家族を襲おうとしています。
1階から逃げる様に2階へ上がり、武器になるようなものは無いかと探すも、食事用のナイフとフォークしかなく、そうこうしているうちに熊と対峙する事に。
目を突けたらなんとかなるかな?。他に抵抗する手段がないかな?
という、怯えながら必死に考えている、
夢を見て目が覚めました。
こんばんは、逢坂です。
皆さんは就寝時に夢を見る方ですか?。
私はよく見る方です。
もちろん今日みたいに嫌な夢を見る時もあれば、「このままずっと続けばいいのに」というくらい幸せな夢を見る時もあります。
ここで思う事なんですが、「夢を見ている間は、それが現実」だという事。
意味わかりますか?
要は、夢を見ている時に「どうせこれ夢だから」とは思わないですよね。
その時は目の前の熊に対して怯え、必死に考え、抵抗しているのです。
いつか書こうと思っていましたが、私の人生観はこれに近い考え方です。
「必ず、いずれ無くなる」という意味では、この長いか短いかは個人差もありますが、もしかしたらこの人生そのものが夢みたいなもの(一種の宇宙現象)なのではないかなと、実は中学生くらいの頃から疑問に思ったりしています。
きっかけは、ノストラダムスが1999年に地球が滅亡する様な事を予言した(らしい)事で、「みんな消えて無くなるんだ」と本気で思ってしまったからです。
高校生の時、友人にこの話をした時は「逢坂って変わってるな~」と言われつつも、今でも仲良くて、この時の話をしたりもします。
ただ、これが夢であれ現実であれ、熊に襲われた時の様に、目の前のあらゆる出来事として、必死に生きてはいます。
幸せな時もあります。恐い時もあります。
「人生は儚い」といいますが、文字通り「人の夢」と書くのは、あながちこの考えが間違いではないからかなとも思います。
友人や家族、社員にも、たまにこんな話をするので、少し変人扱いされる時もありますが。
宮沢賢治さんの「春と修羅」。
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
そして、フランスの思想家パスカルさんの言葉。
「人間は考える葦である」
50年近く生きてきても、やっぱり私自身の人生の考え方はそんな感じです。
なので、常に思っている事は「いつか(必ず)死ぬ時に、後悔したくない」です。
この場合の後悔とは、劣等感とか悲観ではなく「やらなかった後悔」です。
どうせいつかは無くなる人生(夢)ですからですから、「出来れば末永く平穏無事に」なんて思いません。
決して恵まれた環境にいた訳ではないですが、いま生きているだけで私は十分。
抗って抗って、抗ってきた事を糧に色々と挑戦して生きたいなと、その為に何をやろうかと、いつも模索しています。
実際、熊に襲われて亡くなられた方もたくさんいましたからね。
さて、
もう少しまともな武器を準備して、
寝ます。