『 富士山の白い帽子 』
河津 米子さんさん 撮影
私は前から自分はそうはならないだろうと思っていたのだが、それが我が身に起こって
いるのである。もう大分前から耳が遠くて会話が不自由な友人が身近に何人かおられたので、
大変だろうなぁと同情することしきりだった。
私の話が分かってないなぁと思うのに、黙って笑顔で頷いているのを見て大丈夫かしらと心配
したりしたものだった。
そんな知人の状態に近いものをまさか自分が体感するようになったのである。
人との会話でも聞き取れない部分が多くなった。あまり聞き返すのも悪いし、気恥ずかしくもあり、
懸命にその場の雰囲気や状況から相手の話を推理して、曖昧に頷いたり笑ったりしていたのだが、
最近では私のその推理力も想像力もあまり追い付かなくなってきたような気がする。
最初に意識したのは、TVで懐かしの昭和メロデーを聞いていて、昔聞いたのと何となく調子がおかしい
と感じた時だ。変曲したのかとさえ思った位だ。
それと相撲の時の国家吹奏やスポーツの国際試合での君が代だ。どうもこれらが調子外れに聞こえて仕方
ないのだ。これが前兆だったようだ。
耳鼻科で診て貰ったら、もう補聴器の世界だそうだ。そして左右の聴力にかなりの差があるそうだ。
そこで試しに通販で補聴器を買って試したが、キーンという雑音で駄目、TVの音を手元で聞くスピーカーも
試してみたがあまり効果はなかった。
しっかりした大きな補聴器を付けるのも何だか気恥ずかしくもあり、悔しくもあり、そして生来の億劫癖で
未だにそのままの状態を続けて居る。
人から何か話しかけられても私はにっこり笑って頷いているこの頃です。
今、この日記をPCに向かって書いているが(キーを叩いているわけだが)、この時間だと、女房殿から
「ご飯ですよ!」と言われたようだが、よく聞こえていない。今日のご飯は抜きなのかもしれない