ダーリン三浦の愛の花園

音楽や映画など徒然なるままに書いてゆきます。

明日のためにその252-世界のロック・ポップス事情。

2017年02月14日 | ワールドミュージック
私がワールドミュージックフリークであることは、このブログをお読みになっている方々には既にご存知だろう。
私は様々な国の音楽を聴く。もう二十年以上ワールドミュージックしか聴いていない。
理由は簡単だ。欧米、日本のポピュラー音楽(ロックも含む)に飽きてしまったからだ。
特に日本は酷く、二十年以上前から、インディーズバンドの「青田刈り」が始まり、アーティストも楽曲も「使い捨て」が当たり前になってきたことが、この大衆音楽文化衰退の起因とおぼしい。
そんな時出会った、ワールドミュージックは新鮮だった。
私は最初、中東のアラビック的な音楽に魅了されて、LPやCDを収集した。
それからは中東アジア、南アジア、ロシア、東欧等様々な音楽を聴いた。
特に最近のお気に入りは「インドネシア」「タイ」「ヴェトナム」だ。
インドネシアには、世界最古の大衆音楽である「クロンチョン」と言うジャンルがある。他にはスンダ地方が発祥の「ポップスンダ」やロマ・イラマが1970年代創造した「ダンドゥイット」等がある。
タイでは「ルークントン」や「ムーラユ」等、日本で言えば、昭和歌謡的な位置にあるジャンルがある。
ヴェトナムは勉強不足が露呈してしまうが、これといったジャンルを私は知らない、しかし、古くからの民族楽器を使った、大衆音楽が存在していることは知っている。
さて、今回のブログの本題であるが「世界のロック・ポップス事情」としたのだが(ポップスとは大衆音楽と解釈していただきたい)、この二つの音楽ジャンルの存在が、現状非常に私は気になっている。
前述したとおり、各国にはそれぞれの民族性を生かした「大衆音楽」が存在している。
それは、私がとても好きな音楽である。
しかし、ロック・ポップスとなると各国、とたんにつまらなくなる。
若干話が逸れるが、例えば日本の場合、二十年以上前には「歌謡曲」と言うジャンルが確立されていて、プロとして勉強をしてきた「作詞家」「作曲家」が存在し、楽曲を制作していた。
今聴いても、歌謡曲の中には十分資質の高い楽曲が多くある。
一例を出せば「フィンガーファイブ」と言うファミリーグループが1970年代に存在した(読者の皆様も覚えていらっしゃる方もいると思うが)。
彼らの代表曲で「個人授業」と言う楽曲があるが、今改めて聴くと、その楽曲の完成度には驚かされる。
曲の部分だけで言えば、当時流行していたヘビーロックとエレクトリックブギーを混在させ、見事に昇華させている。ブルー・チェアーとTレックスのフュージョンである。
これは、プロの作詞家・作曲家だから完成できた楽曲である。アマチュアには制作は無理な楽曲だ。
現在日本には「J-POP」「演歌」しか大まかに言って音楽ジャンルは存在しない。
「歌謡曲」歴史の彼方に置き去りにされたままだ。
話を本題に戻そう。
前述で今回のブログの本題について、少しだけ触れたが、ロック・ポップスにの楽曲制作に関して言えば、飛び抜けてタレントを要している国はほぼない。
なぜそれがいえるかと言うと、現在は「日本」「インドネシア」「タイ」「ヴェトナム」について、かなりの曲数を聴いている私だが、このジャンルの楽曲については、歌詞がそれぞれの母国語になっているだけで、音楽的には各国の特徴が全くなくなる。
つまり欧米の「まね」音楽になっているのだ。
ジャンルに外堀を作られ、その中でしか行動できていないのでこのような結果になる。
ポップス(大衆音楽)でも同じことが言える、マジョリティは自然とつまらないルールを作ってしまった。
しかし、若干だが光明も見られる。前述したインドネシアのダンドゥイット等は、何年も前から「ダンドゥイットレゲエ」や「ダンドゥイットディスコ」など、新しいジャンルが出来ているからだ。
この様に、国内から、様々な音楽がフュージョンし、新しい音楽を作ってくれると俄然ポップスは面白くなる。
日本においては、なかなか「新しいポップス」ができる可能性は少ないと思うが......
中田ヤスタカ等の、ニューカマーがもっとその資質を発揮してくれると面白いと思う。

最後に、やっとユーチューブで探し出せたタイのルークントンの名曲を下に貼った。
残念ながらタイ語なので歌手名、曲名とも分からない、その点についてお詫びする。

皆様、楽しんで聴いていただきたい。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿