ダーリン三浦の愛の花園

音楽や映画など徒然なるままに書いてゆきます。

明日のためにその282-演劇

2017年12月02日 | 日記
テレビの演劇中継の誤り。

私は昔、学生の頃、初めて演劇と言う物を体験した。
学校の行事として、近くの有名な舞台を観に行った。
演目、演者は既に記憶に無いが、初めて見た舞台に私は衝撃を覚えた。
それまで、映画好きな私は、映画しか観た事がなく、今で言う「2D」の世界しか体験していなかった。
しかし、生身の人間が、舞台に立ち、演技をするのを観て、とても新鮮であると感じたものだ。
その後は、やはり私は映画が好きで、もっぱら映画鑑賞に時間とお金をかけ、夢中になり、舞台のことは忘れていた。
先日、テレビで久しぶりに演劇(舞台)を見た。厳密に言えば、それ以前もしばしば見たりしていた。
だがどうしても、最初から30分も見たらチャンネルを変えてしまうか、テレビを消してしまう。
私が演劇の中継を見ない理由は「カメラ」の存在である。特に先日見た演劇中継は、やたらカメラをスイッチして、落ち着いて見られなかった。
この「カメラ」が問題なのである。以前のこのブログで「カメラ=万年筆」について書いたが、映画はカメラで物語を紡いでゆくが、舞台は「演者」で物語を紡ぐ。
しかし、カメラが舞台中継に介在すると、私達は舞台を観ているのではなく「カメラ」を通じた「映像」を見ていることになる。
これでは、カメラ=万年筆になってしまい、カメラの意のままに私達はコントロールされてしまう。
現在のテレビは縦横比率が「16:9」となっている。これは長年の研究の結果16:9の画面比率が、人間の視野に最も近いとなり、現在にいたっている。
ならば劇場中継など、もってこいの環境なのだ。人間の視野に近いのだから。
私が提言したいのは「カメラ一台の据え置き」で舞台を中継することだ。
観客席の一番良い所へ、カメラを据え置きし、一切動かさず、舞台の上の時間を映す。
見る我々も、好きに舞台への視線を移動できる。
これが私の考える、最も理論的な舞台中継だと思う。もし、これが実施されれば、舞台中継にも興味がわき、視聴する機会も増えるだろう。
テレビ側の人間から見れば「ばかばかしい」と思われるかもしれないが、私はこの持論を推してやまない。

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