田中眞紀子(シンガー・ソング・ライター)

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沖縄で、放てず…

2007-03-28 12:13:50 | Weblog
続き。

ただ、紙に書いてある文字を読んだだけだった。
完全にビビッていた。
お客さんにではない。
会場にでも佐渡山さんにでも千鳥さんにでもない。
沖縄に、だ。

そもそも、家で練習していた時から気が重かった。できればやりたくないなぁと思っていた。
「米兵たちのイラク」を沖縄で歌う事は苦しかった。

さっき見てしまったひめゆりの塔。その資料館を周りながら、私がやっていたのは‘気持ちにバリアを張ること’だった。本気で受け止めようとしたら、この後とてもステージなんか立てない。
碑の前で「拝んでね」と佐渡山さんに手を取られて、拝む‘ふり’をした。親に言われてその通りにする子供みたいなもんだ。
なんていうか、事の大きさの前で、とても‘拝む’というところまで気持ちがいかないのだ。
私などが「安らかに」などと祈っても、この子達の魂が安らぐなどと、とても思えない。
そう、子供なんだよ。
みんな女の子なんだ。
知識としてのもの、ひめゆり部隊の少女達という‘少女’の字面と、現実に目の前に展開するものは、あまりにも違っていた。
沖縄から帰って数日経って思い出すのは、佐渡山さんにわざわざ連れて行って貰った海ではなく、25度は過ぎていただろう、あんな暑い日に、寒々しかった資料館の中の女の子達の顔写真と、大きな字で印刷された手記と、ステージの上で虚しく光る「米兵たちのイラク」の歌詞が書かれた白い紙。
私のやっている事はあまりに軽い。
この地に本当にイラクに行った、或いはイラクから帰ってきた兵士達が現にいて、女の子達は惨い思いをして、私は金銭欲の塊みたいな東京から、安全な場所だけを通ってここに来ている。

沖縄では大方の時間を楽しく過ごしたが、ライブという場は自分をあまりに正直にするものである事を再確認することになった。
練習不足だったのは確かだ。でも前日や当日に充分練習しても、きっと結果は同じだったろう。3年近く歌い込んで来たのに、ロレツが回らず何度もトチった。

自分のライブなんかやらなくて、本当に正解だったよ佐渡山さん。
私はこの地で歌うには軽すぎる。少なくとも自分が軽すぎる事を充分覚悟してからでないと、歌う資格は無い。私にとっても歌う意味が無い。
今度は自分で行くよ。もう一度、しっかり受け止められる状態で、もっと見るべき沖縄を見て帰って、それからもう一度覚悟して行って歌うよ。そのくらいしなきゃ駄目だ。
そう思ったよ。

そんな私の1曲だけの歌だったが、4人の方がCDを買って下さった。
この場を借りて御礼を申し上げます。

続く。

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2 コメント

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ライブおやすみ中ですが (よしあき)
2007-03-28 19:08:10
そのキモチ、よぉくわかります。痛いほど。

自分が書いた「ことば」の薄っぺらさに、愕然とするんだよね。

…だから、とにかく自分の足でカラダを運び、五感のすべてで体感する。

そういう場を、たくさんたくさんたーくさん、重ねなきゃな、と。

ゆえに「たび」「ツアー」なんだよなぁ~
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まさに愕然 (眞紀子)
2007-03-29 02:57:30
また別のところで書くつもりだけど…
その資料館というのもまた`表現’だったんだよね。
どうあっても何とかして伝えたいっていう思いが満ち満ちていて、たまんなかった。
こんなすごい表現の前で、例えばアピアで積み上げてきた私の表現の在り方はもちろん後悔はしてはいないけど、そんなもの全く通用しない。

なんかね、いま聴いてくれる人に対して思うことはね、聴いてくれる人に向かって歌うんじゃなくてね、今度の旅で自分で作ってしまった壁にどう立ち向かうか、それを目撃して欲しいって、そんな感じ。
すごく大変だけど、これからそれをやっていきたいと今、思ってます。

ん~、まとまんないが…
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