田中眞紀子(シンガー・ソング・ライター)

ピアノの弾き語りで活躍する田中眞紀子のブログサイト。ホームページはブックマークから。

形あるものは壊れても

2010-09-11 02:29:49 | Weblog
水曜日の練習の後、軽く飲みに行った時、函館くんが、
「アピアが更地になったらしいよ。」
と言うのである。
その日、練習時間より早く渋谷に着いたので、何となくアピアに行ってみようかなって思ったんだ。涼しかったし、時間潰しにぷらぷらと。
何となく道が呼んでるような気がしたんだ。
でもまぁいいや、ってスタジオに入っちゃったんだけど。

今日、昼間、栄東さんのライブの為の指慣らしに渋谷のスタジオを取っていたから、練習の後アピアに行ってみた。

燦々と降り注ぐ太陽の下、あの場所は更地どころか駐車場になっていた。
ふんっ、ガメツイわねっ!と思った。



本当に渋谷アピアは無くなってしまった。



あのドアとかどうしたんだろ。
天井からドカドカとブルースを響かせて、うるせーなっ!と思った上の店や、腹を空かせて歌ってる時に、やたら良い匂いを漂わせて私の集中力を脅かせた隣の店や、何処よりも胡散臭い感じの、でも一度は入ってみたいと思っていた端っこの店は、どうしたろ?
その道を右に曲がって、あの場所に行く事はもう無いんだ。
あの場所は、もう私を待ってくれてはいないんだ。


京都にあった母の実家を潰した後、佐渡山さんとのツアーで京都に行った際に、その場所に寄ってみた時と同じ、呆然と納得のいかない感覚。
これが現実なのに、夢を見てるような。この現実が許せないような。
そして、いつかはこっちの現実を、それでも時間が過ぎれば受け入れるであろう未来の自分を、少し虚しく思った。
今年の灼熱の夏も、結局はそれなりに受け入れた自分の身体のように、人は現実を受け入れて生きるからね。


38度が2ヵ月続く名古屋から、無事栄東さんはやって来た。4ヵ月に1度、こうやってライブで会える事は、もはや日常に危険があふれる昨今、凄く大切で喜ぶべき事かもしれない。
前回5月はワンマンボケでボ~っとしていて、ロクに弾けなかったから、今回は気持ちの上で凄く準備して挑み、気持ち良く弾けた。
周りの仲間は1人また1人と止めていくし、こんな野良犬な人生でどうしたもんかって感じだけど、こうやってやって行こうと思う、というような語りと歌を聞いていたら、消えてしまった渋谷アピアを見た直後だけに、まだ全部弾き終わってないのに泣きそうになってしまった。
もう、あれこれ考えなくていいや。
続けていく事に、十分意味はある。
1999年から始まったセッションは、4ヶ月に1度のペースで1度も欠かすことなく、12年目が穏やかに始まった。


変わらない`もの´なんて無いんだろう。
`もの´は変わるのだ。
だけど、変わらない`こと´があると、今夜のライブを見ながら思った。
ギターを抱えて歌を歌おうとするヤツが、後から後からふって湧いて出てくることだ。
不思議なくらい、それこそが変わらない‘こと’だ。
きっかけはまちまちだろうが、それぞれ何かに感動し、自分も歌いたいと思い立ち、そして場所を見つけて、何がしかの夢を見ながら歌い出す。
夢破れて止めるヤツはゴマンといるが、始めるヤツもまたゴマンといる。諦められないヤツもサンマンくらいいる。
私や栄東さんの役割は、続けていっていいんだよ、って、その連中に伝えることだ。良し悪しは分からないが。

歌うこととリズムを取ることは、太古の時代から本能に基づいた文化だと思う。
人間が存続する限り、多分それは無くならない。だから多分、人の社会的価値観とは別のところに、その欲求が人間にはあるのだ。
私達がステージでやっているのは、ただ単にそれが、カラオケより具体的だというだけだ。

しかしながら、そこに人の`道´を見い出せたのは、渋谷アピアのお陰以外の何ものでもない。
道は、私の中に、栄東さんの中に、確実に存在しているのである。
そして、存在し続けるのだと確信する。



今夜初アピアだという青年のリハーサル、

「その弦、いつ変えたの?
 2週間前?
 駄目だよ、弦が死んでる。
 ライブの前の日に買えないと!」

という、何万回も聞いた誰かさんのフレーズも、今のところ変わらない。
どうか、いつまでも変わらないで下さい。





と、思う一方、いつか同じフレーズを、まりえが言い出さないかなぁ、とか思ったりする。
私は、まだ聞いたことない。

誰か、聞いたことある人、いる?(笑)