田中眞紀子(シンガー・ソング・ライター)

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11月8日 独唱パンク

2006-11-10 02:01:16 | Weblog
ニューヨーク

初出演おめでとう!
妙にくっきりはっきりした「サンキュー」が楽しい彼。ライブ後にお話ししたが、あのピアノも練習しているんだとか。やりようによって出来ると思うので、立ってやったらどうかと進言しておいた。
背も高いしその方が映えるよ、きっと。
困ったような顔をしていたが、私が立ってやってると言ったら「へぇ」って感じだったので、よかったら参考に見にきてよ。年越しライブでやるからさ!


夜士郎

3年ほど前の年末、荻窪ボクシング・リーで高橋よしあき君の企画で一緒に出て以来、久しぶりに聴いた。
見かけは当時と同じだが、何か随分変わっていた。
タイトで歌が真っ直ぐ入ってきて凄く良い。さほど大きく声を出していないのに、ギターとのバランスが良く言葉がクリアに聞こえる。こんなに良いとは前は思わなかったぞ。後半2曲、「ピキピキロック」とか「命」とかはやんちゃで、あぁこいつだぁ!って思い出す感じだった。
この期間で人生いろいろがあったらしく、大人になったのらしい。
こういう`大人になり方’はいいね。


恋川春町

気になる詩の朗読イベント`溶鉱炉’の主催者。以前高円寺ペンギンハウスで一度見ている。その時よりいい感じではあった。
でもね、なんか中途半端なんだ。
ポエトリー・リーディングがこういうものだと言われてしまえば、あぁそうなんだぁって思うしかないんだけど。
ステージ上で`素’の状態のパーセンテージが多すぎる。
こういうもの?
私の知ってる限りのポエトリーやってる人は青木研治やKICCAやあやはことりだけど、もう少し立ち回りに緊張感、或いは`作り’があるんだよね。アオケンのMCも決して`素’ではない。ニューヨークもポエトリーの部分をもってるけど、もっと`作り’がある。
それはつまり、私の好みなのかもしれない。どちらかというと演劇的なステージが私は好きだから、作りのある方が惹かれるのかも。
恋川嬢に関しては、例えば衣装やメイク。パンクチックな、ボンテージっぽい衣装とか派手なメイクとかでやってくれれば、全く同じ事をしてももっと面白いと思うし、後は視線とかが、雑な言い方すると`素人っぽい’のかな。
言葉の洪水で音楽的なダイナミクスを作り出しているのは、なかなかなものだ。
`素’の状態から、言葉に伴って`入って’いって、また`素’に戻るっていうのが彼女のスタイルかな。またはポエトリーってそういうものか。
しかし、私の本音を言うと、何を聴いて欲しいの?って疑問があるんだ。あるいは何を伝えたいのか。言葉の洪水からキャッチできない。何か、確かなものをキャッチできずとも、そのダイナミクスに感覚をゆだねればいいのか?でも言葉という枠があるので、想像力も働かない。
もしかしたらポエトーリー・リーディングというジャンルが、そんなに私の`範疇’ではないのかもしれない可能性はある。
でも、アオケンはね、伝わるの、そういうのが。彼は上手いよ。
KICCAちゃんはね、その、どっかいっちゃったっぽいパフォーマンスが好き。
ことりちゃんは、空気感が好き。
恋川嬢はまだ若い人だと思うので、当然発展途上であろうから、今度見る時にはまた違う印象を与えてくれるかもしれない。また、私ももう少しポエトリーに対する見聞を深めてから結論を出そう。
が、しかし…


SESO

が、しかし、このコントラストはシビアだったな。
SESOは格が違った。SESOを聴きながら、改めて恋川嬢の言葉の軽さを残念ながら感じてしまったよ。出演者はみんな頑張っていたけど、もうSESOは空気が違う。空気が重くて濃厚で重心が低い。
伝えたい事が明快で、その魅惑のメロディと幼さとぶっとさが共存する声とに酔いしれてしまう。ほとんど動きがないのにサウンドはハードでタイトでリズムがキレていて心地良い。
ライブ短いよっ!
あと5曲くらい歌って!!!


チバ大三

で、この後でどうくるかチバ君!と思ったが…
どーしたのよどーしたのよ、そのギター、物凄い音痴!
ギターのトラブルか、音作りに何かこだわって変てこになっちゃったのか。
とにかくコード(和音)になってない。申し訳ないが田中眞紀子には大変気持ち悪い状態なのであった。
多分本人もそうだったのだと思うんだが。それをカバーしたいという焦りの気持ちからか、ガナリ癖の悪いのが出ていたような。やりすぎ感が強かった。
「王様とこじき」だっけ?新曲。もっときっと良い曲だ。(笑)
ライブだからいろんな事がある。何が起こるか予測できないが、起こった事に対し冷静に対処する術も必要なんだと思う。もちろん自分の事も含めて言っています。
例えば今回のチバ君の場合なら、自分が予定していた曲を全部やる事より、最後の「ときめきに死す」はカットして、少し時間をかけてもしっかりチューニングを直して「ぽんぽん」と「ドラゴンへの道」を丁寧にやるっていうのがベターであったのでは?と終わってみて思うのだ。大人の対応っていうのかな。(笑)
確かに自分の世界を曲の組み合わせで構築しよう、表現しようと用意するのは当然あるけれど、あのギターの音で既に作ろうとした世界が想定外になっているなら、ライブ途中で方向転換するのもまたライブなのではと思った。むしろ私には勉強になった。
先日の私のアピアライブの時よしあき君に言われた事、「過ぎたるはおよばざるがごとし」。
私もまた自分を100メートルくらい棚上げして、この言葉を贈りましょう。(笑)
但し、私、ギターに関しては門外漢なので、「いや、ギターはあの音でいいんだ」という事であれば、私の感想は完全に的はずれです。お許しを。