ぐうたら日記

何気なく思い立ったことを記録しようと始めたブログだが、
なかなか更新できないぐうたらな日々を、 時々振り返る。

町の本屋さん

2012年08月29日 | Weblog
毎日新聞「余録」によると、町の本屋さんが年ごとに減少しているそうだ。

出版社「アルメディア」の調べでは、全国の書店は今年5月1日現在で約1万4700店。

10年前には2万店近くあったそうだ。

電子書籍やネット販売による書籍離れや出版不況がその原因のようだ。

そういえば、いつの頃からか本はインターネットで買うようになった。

欲しい本が安く手に入るし、新しい本なら送料無料だ。書店に出向くまでもない。

買う本が決まっているときはよほど急がない限りインターネットで買っている。

それでもたまに本屋さんによることもあるのだが、迷いに迷って結局買わないことの方が多い。

こんな人間が本屋を閉店に追い込むのかも知れない。

ところで今読んでいるヘッセの「車輪の下」は本屋さんで買ったものだ。

時間つぶしに入って背表紙を眺めていると目に入った本がそれだ。

大学の時ドイツ語の講義でテキスト代わりに使われた本で、懐かしさがこみ上げ買ってしまった。

インターネットでは決してサービスされないカバーもつけてもらった。

「余録」は、本屋さんが減るにつれて、私たちは何かとても大切なものをなくしつつあるような気がする。

と結んでいた。

いつの日か、私の町からも本屋さんがなくなるのだろうか。

お弁当2

2012年08月28日 | 日記
8月27日の佐賀新聞によると、

大阪市で9月からスタートする中学校給食の申し込みが13・7%にとどまったようだ。

我が子たちの学校は小・中とも完全給食で随分助かった。

私が作るわけではないが、毎日となると弁当づくりは大変だろう。

もっと多くの申し込みがあってもよさそうな気がする。市教委も40%と予想していたようだ。

世の中便利になり何でもボタン一つでできるようになってきた。

子どもの前で働く姿を見せる機会もなくなり、親の愛情を示すのが難しくなった。

弁当は愛情を伝える大切なものと考えたかどうかは知らないが、

2学期からも多くの親が弁当づくりを続ける。

早起きして作った弁当はきっと子ども達に、感謝の気持ちを育くむことだろう。

認知症

2012年08月22日 | 日記
書物で調べてみると母は認知症ではないだろうか。

認知症の症状とは。

 ○中核症状(認知症患者に共通にて現れる症状)
  ①記憶障害
  ・記憶には脳の海馬が関わっているが、その海馬の細胞が壊れていくらしい。 
  ・最近の記憶からなくなり、進行するとだんだんと昔の記憶も失われていく。
  ②見当識障害
  ・時間や日付、季節や年齢が分からなくなる。
  ・迷子になる。方向感覚がわからなくなり、家でもトイレの場所が分からなくなる。
  ・過去の記憶が失われると人間関係が分からなくなり、自分の娘をお母さんと呼んだりする。
  ③理解・判断力の障害
  ④実行機能障害
  ・やがて調理をすることができなくなる。

 ○周辺症状(個人によって異なり、職業や生い立ち、性格や生活環境により個人の特性が影響)
  ・不安症状や様々な問題行動が現れ、対処が難しい。

高校生の時読んだ有吉佐和子の「恍惚の人」を思い出した。あの頃別世界のことのように思っていた。

何年か前「私の中の消しゴム」という韓国映画見たが、部屋中メモが張ってあったシーンを思い出した。

人間はなんと危ういものであるのだろうか。

もうすぐ孫の誕生日だが、やはり忘れていた。昨年は電話してきていたのに。間違いなく進行している。

電話ぐらいしかできないのがもどかしい。 

お弁当

2012年08月21日 | 日記

ビルの地下にあるレストラン街で食事をした。
中央にあるたくさんの共用テーブルを囲むようにしていろいろな店が並んでいる。
ハンバーガーをかじっていると、隣のテーブルの若者がバックで隠すように持参の弁当を食べていた。
持ち込み禁止とはどこにも表示していないが、気が引けるのであろうか。

その時、遙か昔の中学生の頃のことを思い出した。突然に。
あのころ、今のように給食はなく、昼食は弁当だった。
昼休みには思い思いに机を移動し気のあったクラスメイトと食べるのだが、
男子のほとんどが、弁当のふたでおかずを隠すようにして食べていた。
みんな同じような弁当で隠すこともないのだが、何を恥ずかしがっていたのだろう。

あの頃、今のように炊飯器はなく、多くの家庭では薪でご飯を炊いていた。
朝早く起きて、ご飯を炊き弁当を作ってくれたのは母親だった。
おかずは毎日同じだった。卵焼き、魚肉ソーセージ、塩昆布。たまに焼き魚。
だからなのだろうか、今でも弁当を買う時はいつでも卵焼きの入った幕の内ばかり。

今では考えられないが、薪でご飯を炊くのは大変なこと。それも毎日。
数十年の間に便利で豊かな暮らしになったが、失ったこともきっとあるのだろう。
時々あの頃の弁当を懐かしく思い出す。
母も覚えているのだろうか。最近、物忘れが多くなった。
古里がだんだん遠くなるようで寂しい。