今日もお日柄良く。

これが私の生きる道ぃ~♪

4日目 (4/20 thu)

2006年04月21日 | LEO川崎病闘病記
AM10:00
電話をして美容院へ行く。
Yさんと話をして、元気と勇気をもらう。
Nくんも軽いぜんそくを患っているということを初めて知る。パパさんのお友達に血友病のお子さんを持つ方がいるという。それでも、なんでうちの子が、と軽いぜんそくごときでも思ったとパパさん。いやいや、いくら軽くったって、ぜんそくも大変な病気。みなさん表には見せないけど、いろいろ抱えてるんだ、と自分の甘えを戒める。

PM2:30
病院到着。
今日も熱は36度台を維持しているといういい報告。ミルクも良く飲むし、笑顔もよく見られ、活動的になってきましたよ、とのこと。見た目は本当に元に戻った風に見えるくらい、元気に足をばたつかせている。

もうミルクを飲んだということでおっぱい不要。張ったおっぱいを少し搾乳する。
しばらくすると、F先生が来る。

「熱が下がっているというのは本当にいいこと。血液検査の結果も良くなってきているし、ガンマグロブリンの効果があったと思われます。」と言われた。
「昨日行った心臓の超音波検査ですが、今のところ特に問題となる所見はなかったので、今日のところはひとまず安心ですが、今後も2~3日に1回程度検査は続けて観察していきますので。」

胸のつかえが一つおりた。最も気になっていた冠動脈の状況。今日の段階では瘤はもちろん拡張も見られなかったというのは本当に幸いな結果だ。
ただ、この病変は今後起こることも多分にあることなので、まだまだ予断は許さない。
「先生、引き続きよろしくお願いします」

「それからお母さん、話は変わるんだけど、小児慢性特定疾患って言うの聞いたことある?医療費の助成があるんだけど、川崎病だと申請ができるので、保健所に行ってもらってきてください。確かこの自治体は申請日からだったと思うので、早いほうがいいと思います」
あれ、確かネットで調べた時に書いてあったのは、後遺症が残った場合だったような。ま、いいか、行ってみよう。

PM4:00
Leoが寝たので、保健所へ行く。

案の定、後遺症が残った患者さんが対象だった。一応書類をもらって帰る。
後遺症なんて残らない方がいいに決まってる。
一応先生にもう一度聞いてみることにするが、申請できなくって結構。

Leoはまだ寝ていた。同じ部屋のママと初めてお話をする。
その子は肺炎で2度目の入院とのこと。

PM6:00
話をしていたら、Leo覚醒。お腹がすいているらしく、大泣きだ。
まず最初に薬。言うまでもなく不機嫌で、さらに大泣き。
急いでおっぱいを飲ませる。ま、今までで一番上手くいったかな。

おっぱいを飲み終え、うつらうつらし始めた頃パパ帰宅。
パパにも笑顔を見せ、しばらくコミュニケーション。
だんだん眠気が強くなり、ゆびをしゃぶりながら体をねじらせる。
お!これってもうすぐゴロンと寝返りの格好じゃん!!!
するか、するか、とパパと見ていたが、その格好のまま寝付く。

看護士さんに、寝返りしたら教えてくださいと伝え、帰る。19:00。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3日目 (4/19 wed)

2006年04月21日 | LEO川崎病闘病記
AM10:00
Joeを保育園に送りだした後、14:30の病院行きまで時間が空く。
家のことをしようと思いながら、まだ何も手につかない。

思い立って美容院へ行く。私がこちらに住むようになってからずっとお世話になっている美容師YさんもJoeと同級生の子供Nくんを持つママ。今年ご夫婦でお店をオープンさせたのだが、そこがとても居心地の良いお店。Nくんも2度入院経験があると聞いていたので、お話をしたくて行く。
が、肝心のYさん、お子さんを病院に連れて行っているということで、不在。
また電話してから来ます、と言って帰る。Nくん大丈夫なのかな。

AM11:00
気が付くとネット検索。
と、あるHPでのママさんの言葉に、はっとさせられる。
「がんばっているのは、お子さん。そばにいて、変わってあげられなくて辛いけど、笑顔を見せてあげてください。」
そうだ、かわいそうなのは私じゃない。辛いのも私じゃない。Leoなんだ。今彼は頑張って病気をやっつけようとしている。私がめそめそしてる場合じゃない。
やっと気持ちのやり場が見つかった感じがした。

PM1:30
重い腰を上げ、夜ご飯にとカレー作る。

PM2:30
病院到着。Leoは起きていた。顔をのぞき込むと、すぐに満面の笑みを返してくれた。飛び上がるほど嬉しかった。今回発熱して以来、こんな笑みが出たのは初めてじゃないだろうか。元気になってきていることを実感する。

看護士さんが来て、ガンマグロブリン投与は問題なく終了し、熱は36度台に下がりそれを維持していることを聞く。良かった。
血液検査と心臓超音波検査を行ったことも聞き、それについては医師から説明があると言われた。

すぐにシーツ交換があるので抱っこしててください、と言われ、しばらく抱っこ。
Leoはニコニコ。抱っこする手も熱くない。
シーツ交換後、体を拭くも泣きわめいている。
聞けばミルク途中でシーツ交換になってしまったということで、すぐにおっぱい飲ませる。

PM4:00
担当医師のS先生が来て、容態の説明を受ける。
ガンマグロブリン投与は問題なく終了し、その後の血液検査の結果も快方傾向が見られるので(ちなみに炎症数値は3.2に下降)、このまま2~3日様子見するとのこと。
午前中に心臓の超音波検査を行ったことも聞く。結果は明日になるとのことで、
まだ気がかり事項を残して1日越すことになった。

PM7:00
おっぱい飲ませる。おっぱい前に薬を飲ませたが、今日も不機嫌極まりなかった。
が、彼にとっては大事な薬。頑張ってもらうしかない。

PM8:00
今日はこの時間までに寝付かず、起きたままバイバイとなってしまった。
やっぱり起きている時に帰るのは辛い。
パパに背中を押され、後ろ髪引かれる思いで帰る。今夜も何事もなく過ごせますように。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2日目 (4/18 tue)

2006年04月21日 | LEO川崎病闘病記
PM2:50

病院へ到着。
Leoはぐっすり寝ている。ミルクを飲んだ後とのこと。
健やかな寝顔に期待がふくらむ。抗生物質が効いたのではないだろうか。
すると、看護士さんから、熱が再び上昇傾向にあるので血液製剤の点滴を検討している、先生から詳細なお話があると思います、と言われた。
「川崎病ということだ」頭が真っ白になった。
パパに伝える。「血液製剤を使った治療が始まると言うことは、川崎病ってことだよ」きっとパパも面食らったに違いない。

主治医のF先生が来て、病気のこととこれからの治療について説明をするので、とカンファレンスルームに連れて行かれる。

・熱が再び上昇してきている(トータル5日目に入った)
・血液の炎症反応数値が通常0.3以下であるところ、5.2ある
・唇が赤い
・BCGの跡が腫れている
以上の所見から、川崎病が最も疑わしく、それに準じた治療に移行した方が良いということだった。
それから、川崎病とはどんな病気か、川崎病が辿る経過についてや治療方法(確立されている)、Leoの状態と照らし合わせながら丁寧に説明してくださった。

その治療方法が血液製剤ガンマグロブリンを用いるものだった。確立された治療法であるので選択の余地はなかったが、使わずに済むならそれに越したことはない。
先生に再度質問した。

・Leoに確定診断を下すことはできないが、4ヶ月という低月齢の発症はまれな類であり、症状が全部出そろうことはないと思われること(なので、ほぼ川崎病と判断して間違いないということ)
・血液製剤を使用して起こり得る副作用(最も心配なのは肝炎やHIVの感染)の発症率と、川崎病にもかかわらずその適切な治療を行わなかった場合の後遺症発症率を比較すると、後者の方が圧倒的に多いということ(特にLeoの場合は4ヶ月での発症のため後遺症発症リスクは平均より高い)
・ガンマグロブリン投与はいつでも行えるものではなく、タイミングを逸すると使用できず、今がそのベストなタイミングだと医師側は判断しているということ

それ以上考える余地はなかった。パパと二人納得の上承諾した。

PM4:30
ガンマグロブリンの投与開始。(量は忘れてしまった)
今から19時間かけての投与だ。
拒絶反応は投与開始1時間が最も発症するとのことで、看護士さんが頻繁にチェックに来る。

PM5:30
拒絶反応出ることなく、順調に進む。
Leoは起きていて、少しばかり笑顔も見られる。ちょっとは楽になってきているのだろうか。
これが今回メインとなる治療だ。他の経験者の経過を見ていると、1回で効かず複数回の投与を行っている人が意外と多い。1回で効いてくれることをただひたすら願う。

PM6:00
そろそろおっぱいの時間。川崎病治療のもう一つが服薬。アスピリンとアンギナールが来る。Leoは粉薬の経験はあるが、液体に溶かして飲ませたら吐いたことが何度かある。
糖水を用意してもらったが、いつもの通り粉を団子にして口に入れる。
いつもと様子が違う。もの凄くいやがり、咳き込み、不機嫌になり、その後おっぱいもくわえない。あれ?なんでだ??
後で看護士さんに聞くと、ものすごく苦いらしい。なら最初にそう言ってよ!!!
20分くらいかかったろうか。何とかLeoを落ち着かせ、おっぱいを飲ませる。
次回からは糖水に溶かしてあげることにしよう。
(この薬の服用は退院後もしばらく続くものなので)


PM8:00
何とかここまでは問題なく進む。
Leoぐっすり寝付いたので、パパと帰る。

PM11:00
ガンマグロブリン投与中ということで、やはり気になってしょうがない。
何も起こらないで終われることだけをひたすら願う。
なかなか寝られず、またもやネットで情報検索に没頭する。
みなさんの記事に一喜一憂。冷静に情報を選び取っていかないと検索も意味ない、と自分に言い聞かせる。
先生の話から、経過にも拠るが入院はだいたい3~4週間になるとのこと。長丁場になる。私がしっかりしないと。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1日目 (4/17 mon)

2006年04月21日 | LEO川崎病闘病記
AM9:00
熱が下がらずかかりつけの小児科を受診。発熱して4日目を迎えており、まだ4ヶ月という低月齢であることから、近くの大学病院へ転院となる。川崎病という病気を視野に入れて、だ。

川崎病は症状群ということで、6つの症状のうち5つ該当すれば確定診断が下る病気だ。今のところその症状は揃っていないので、あくまで疑いの段階であるが、尿路感染症の疑いより重篤な事態となってしまった。

AM11:00
総合病院でないといけない病気に幸いJoeはかかったことがないので、この病院は初めてだ。
小児科外来で診察を待つ。待っている間、Leoは意識が朦朧とし、「う~う~」とうなり続けている。代われるものなら代わってやりたい。
先生の触診の結果、入院した方が良いということになった。
かかりつけ小児科と同じく、川崎病の症状がいくつか見られるのでそれを視野に、
検査の結果そうじゃなければそれはそれでいいじゃない、お母さんも大変だろうから、と言われた。

帰宅要請していたパパが来て合流。
レントゲン撮影、入院手続きを経て、再び小児科外来へ戻る。
看護士さんに付き添われ、入院病棟へ。
8人部屋には6人の乳児達が居た。

PM1:00
担当の医師2名と対面し、これまでの経過を説明する。
現在の症状、今後のプランについて説明を受ける。
血液検査を行いその結果を診てどうするかを決める、ということだ。
血液検査と点滴投下のため、別部屋へ連れて行かれる。
その間、一旦帰宅。必要な衣服やおむつなどを準備して、再び病院へ。
LEOは点滴を受け、ぐっすり寝ていた。点滴で解熱しちょっと落ち着いたとのこと。
この日はそのまま経過観察となった。抗生物質で解熱してくれることを願うばかり。

この大学病院は完全看護で、母親でも面会時間(14:30~20:00)しか付き添えない。ぐっすり寝ていたし、Joeも心配だったので、19:30頃病院を出る。

PM11:00
川崎病についての情報を得るべく、ネットの中をかけずり回る。
川崎病は、育児雑誌の付録などで赤ちゃんがかかる病気などの本に書かれている病気であり、一度は目を通したことがあるが、名前しか記憶に残っていないくらい、
無縁のものだと思っていた。今回、その疑いがあると言われたときも、そういうものに載るくらいよくある病気なんだとも思っていた。
しかし、調べれば調べるほど、難しく、一生つき合っていかなければならない大変な病気だということが分かった。愕然とした。

なんでLeoが、私の何がいけなかったのか、避けられたんじゃないのか、そんな思いがぐるぐる回る。この病気は比較的新しく、まだ原因が究明されていない。考えても結論が出ることではないのに、気持ちは自分を責める方にしか向かなかった。

ろくに眠れないまま朝を迎える。人生で一番長い一日だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川崎病について 最後に

2006年04月21日 | 川崎病について
当たり前ですが、全部は書ききれないです。

川崎病を正しく知っていただくためにも、詳細については、国立循環器病センターのサイトをぜひご一読ください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする