ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

となり町戦争:戦場と日常の境界線はどこにある?

2008年01月14日 | 映画♪
隣り合う町同士が戦争を始めたら!そんな抜群のシチュエーションをもとに平和に慣れきっている主人公と戦争を遂行する「業務」に打ち込むヒロインを軸に、「戦場」と「日常」との常識的な線引を問い直す。面白い/面白くないといった次元を別にして、目を通したほしい作品。



【ストーリー】

舞坂町に暮らし始めて一年、北原修路(江口洋介)は町の広報紙で隣りの森見町と戦争が始まる事を知る。しかし、開戦初日を迎えても町の様子に変化はなく、戦争を実感することは何一つなかった。広報紙に掲載される戦死者数を除いては…。数日後、対森見町戦争推進室の香西(原田知世)と名のる女性から電話があり、特別偵察業務辞令の交付式への出席を促される。その業務の延長で、やがて北原は敵地へ潜入するため香西と結婚する事になる…。


【レビュー】

穏やかな日常の背後でとなり合う町同士が行政事業の一環として戦争を行うという、シチュエーションコメディとしてはそれだけでわくわくしそうな設定。原作は読んでいないので分からないのだけれど、それだけにちょっともったいないなぁ、というのが正直な感想。

当然、「平穏な日常」と「戦争状態」との対比を描く必要があるわけで、そういった意味で前半部分の淡々とした描き方は分からなくもないが、見えない中で見えてしまう瞬間・2つの世界が交錯する瞬間というのが新聞での広報案内といのはちょっと寂しいところ。また「日常」を彩るツーリストスカイや舞坂町職員の過剰さは何か意味があったんだろうか。主任・田尻はともかくそれ以外の人間はその過剰さにしろ、ストリートの関わり方にしろ描き足りないというか、むしろ違和感を感じてしまった。

もう一点。結局、この映画では2つの町が戦争を始める理由というのが全く触れられていない。仮にそれを現代社会の複雑さに由来するもの、あるいは行政行為に対する住民の無関心というものを描くための装置なのだとしたら、やはりここでももう少し描き方があったのではないだろうか。何らかの客観的にはバカバカしいが論理的に整合性のとれた理由であれ、複雑に入り組んだ現在社会像であれ、パロディにも風刺にもなりきれない「不誠実さ」「手抜き」のように感じられてしまった。一級の素材だけに非常に残念だ。

さて、このストーリーについての感想というと。

「戦争」が僕らの平穏な「日常」と地続きであることは言わずもがな。浜田省吾は「飽食の北を支えている
飢えた南の痩せた土地/払うべき代償は高く/いつか A NEW STYLE WAR」と唄い、押井守はパトレイバーの中で「そういった無数の戦争によって合成され支えられてきた、血塗れの経済的繁栄。それが俺達の平和の中身だ。戦争への恐怖に基づくなりふり構わぬ平和。正当な代価を余所の国の戦争で支払い、その事から目を逸らし続ける不正義の平和・・・」と語った。

「戦場」となる地域に「戦闘」がないというだけの「消極的な平和」であれば、多くの人はニュースなどを通じて目にするのかもしれない。しかし実は僕らの消費活動が戦争や紛争を支える「構造的暴力」を生み出しているかもしれないという意識は稀だ。

それはこのストーリーで「となり町」との戦争が開始されたというのに、同時にそれまで同様の「日常」が続けられるという形をとって表されている。主人公・北原は戦争が始まっていても敵国(町)・森見町の住人とともに普段どおり仕事をする。しかし新聞には刻々と「戦死者」の数が刻まれていく…

「戦場」となる地域にもかかわらず、「戦争」と「平和」があたかも無関係のように存在するという不気味さ。恐怖。

こうした「不気味さ」はそれに留まらない。「戦争」という行為が「行政業務」としてあたかも「ゴミ収集」のように、直接的な当事者(志願兵や傭兵と市の職員)以外の住民には何ごともないかのように遂行されていく様子。戦場で戦うものが志願兵や傭兵など、住民から切り離された存在同士である点などからも表れる。

果たして「戦場」とはどこなのか。「戦争」の当事者とは誰なのか。

しかしこうした姿は現在では不可避なのかもしれない。

都市というものを考えた時、既に「文化」と「経済」が、「職」と「住」とが「土地」という結びつきから解放され、その土地でそのことが起きうる必然性はなくなってしまった。郊外から都心へ電車で通勤して働く。様々な地域から集まってきた住人による団地であれば、誰もその地域の文化を知ることなく、新しい住民同士のつながりの弱いネットワークの中で生活していく。

そのような都市の状況下で「物理的な暴力(=戦争)」を外部(=傭兵)にアウトソースした時、果たしてここが「戦場」であり、自分たちも「戦争」の当事者だという意識は残りうるものなのだろうか。

一見、「不気味」な姿にみえるものも実は僕らにとってはいつ当たり前の景色となってもおかしくない状況にあるのかもしれない。

【評価】
総合:★★★☆☆
もうちょっと面白くなっただろう:★★☆☆☆
原田知世が素敵:★★★★☆


DVD「となり町戦争」


小説「となり町戦争」


機動警察パトレイバー2:押井守が生み出した「テロ事件」




コメントを投稿