ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

【演劇】青年団「もう風も吹かない」:平田オリザが託した希望の在りかた

2013年11月16日 | 演劇
そういえば、ちゃんと作・演出 平田オリザの青年団の芝居を見るのは初めてなのだ。
相変わらず、仕事との兼ね合いから、ギリギリの入場になった割に前方の割といい席が空いている。隣に座っているカップルは「もっと後ろの方が見えるね」などと話していたけれど、やっぱり芝居の空気感を感じ取るなら前の方がいい。



青年団第71回公演『もう風も吹かない』
作・演出:平田オリザ
日時:2013年11月7日(木)-18日(月)
会場:吉祥寺シアター
出演:山内健司 志賀廣太郎 島田曜蔵 太田 宏 石橋亜希子 大竹 直 橋智子 村井まどか 荻野友里 河村竜也 小林亮子 長野 海 堀 夏子 齋藤晴香 中村真生 伊藤 毅 井上みなみ 菊池佳南 重岡 漠 富田真喜 森山貴邦 由 かほるブライアリー・ロング

【物語】

舞台は近未来。日本政府の財政は破綻寸前となり、1ドル400円に突入、日本は緩やにな衰退を迎えようとしていた。全ての海外援助活動の停止が決定され、最期の海外青年協力隊員が訓練施設で出発を待っていた。

自分たちが最期の海外協力隊だということの意味も、自覚ももう一つわからぬまま、彼らはその日を待つ。

共同生活の明るさとは裏腹に、自分が何かの役に立てるのかという不安を抱えたまま。

大河原は出発を1か月後に控えながら、訓練所を去っていく。彼の中に何かがあったのだとして、その理由が語られることはない。そしてそのことに対して桜田は怒りをぶつける。それは裏切られたという思いなのか、自らの不安なのか。

津野のはキノコを育てるという支援事業に意味を見いだせなくなる。最後の協力隊。継続的な支援がなければ「キノコ栽培」は定着しない。ならば自分たちが赴任する意味は何なのか――。

「生徒会みたい。」津野の葛藤にそんな言葉が浴びせられる。

青臭さ。潔癖さ。完全主義ゆえに、自らの存在価値に対し惑う。自分探し。完全な国際協力など存在しない。当たり前の話だ。現実社会では何かが正しくて、何かが間違っていることなんてほとんどない。絶対的な「正しさ」も絶対的な「悪」もなく、妥協と打算の狭間で揺れ動く。あるいは、ある者にとっての正義と別なものにとっての正義がぶつかり合う。「開発」なのか「自然保護」なのか――。

そんなことは考えても仕方がないことだ。答えなど存在しない。それでも何かの役に立ちたいと思う。

経済大国の地位を失い、緩やかに衰退していく日本が、これから成長していこうという国々に対して支援をするに値するのか。いや、弱いもの同士が助け合うことだってあるのかもしれない。

役に立つかどうか、何が正しいのか、あるいはどこに希望があるのか。頭で考えているだけではわからないこともある。現地に赴き、役に立たなければ役に立たないという現実を知り、その上でどう行動できるのか――そこにこそ希望はある。

【感想】

未来が描けない絶望の中で、それでも希望はあるのだと、そんな強い意志を感じる作品。うん、よかった。

100%の出来とは言えなかったけれど、役者陣の演技は非常に緻密に作り上げられている。一つの空間で複数の会話の輪が作られ、消えていきながらも遠くの会話にちょっとした表情で反応したり、微妙な空気感が作られたり。

それぞれのキャラも役者に馴染んでいて、リアルな風景が広がっていく。

これがマキノノゾミ率いるかってのMOPならば、もっと過剰にその関係性と感情の様を浮かび上がらせたのだろうが、平田オリザはそんな不粋なことはしない。(もっとも、その無粋さに僕はMOPに惚れたわけだけど。)あくまでリアルに、自然体の会話や演技として描いて行く。これが現代口語演劇か。

だからということもあるのだろうが、青年団の芝居には圧倒的な存在の役者が必要というわけではない。もちろん今回の芝居でも志賀廣太郎や山内健司は別格だったし、太田宏もいい存在感を出していたわけだけれど、例えばキムラ緑子抜きのMOPが想像できないように、この役者の劇団、この役者の芝居というわけではない。

またこうした演出は見る側にも高い能力を求めることになる。

多くの観客に物語や役者の感情、関係性を理解してもらおうとすると、どうしても過剰になりがちだ。実際以上に関係性を強調したり、大げさな演技になったり。しかし平田オリザの演出はあくまでリアルに近い。

例えば、冒頭、倉田が古山に辞書を借りに行こうとするシーン。この瞬間にある微妙な空気感。やがてこの二人が付き合っているということがわかるのだけれど、果たして冒頭の1シーンでその関係性に気付けるのは何割いたか。親しさゆえにぶっきらぼうさとでもいうえ、そうしたちょっとした演出がなされているのだけど、見逃してしまってもおかしくない。

そうしたレベルの高い演出と演技があってこそ成り立っているのであり、それを楽しむためには観客にも高いレベルが求められるのだろう。

見ごたえのあるいい芝居でした。



平田オリザ×松田正隆の「月の岬」が描いた平穏の中の深い闇 - ビールを飲みながら考えてみた…


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