
◎2018年1月13日(土)
アオゲラの森キャンプ場下の駐車場(7:30)……立野峠(8:27~8:35)……倉岳山(9:08~9:27)……穴路峠(9:44)……高畑山(10:18~10:39)……楢峠(10:59)……大タビ山(11:11~11:20)……高岩(11:32)……雛鶴峠(11:55~12:02)……林道(12:09)……ランチタイム(12:24~12:39)……県道(12:41)……駐車場(13:16)
この時季になると、青空をバックにした大きな富士山を見たくなる。7日に赤城の鍋割山から見えた富士山はちっぽけなもので、あれで満足というわけにはいかない。せめて浅間山ぐらいの大きさに見える富士山でなきゃ。数年前までは間近に見える山までよく行っていたから余計にそう思う。さりとて三ツ峠山から見える富士山ではでかすぎる。見たいのは手ごろな大きさの富士山だ。
鍋割山と前後して、ぶなじろうさんが九鬼山、高畑山、扇山、百蔵山、そしてハイトスさんが不老山からの富士山写真をブログで見てしまい、どうしてもオレも行かなきゃと思うようになっていた。だが、足運びが近場で済ますようになっていると山梨は遠く感じる。
出がけまで足尾か富士山見物にするかで決めかねていた。富士山見物2/3の気分で寝た。起き抜けに天気予報を調べると、大月あたりからでは富士山も午前中はバッチリと拝めるようだった。もう足尾の天気予報は調べずに山梨に向かった。明日の天気の保証はない。足尾なら天気次第でどこでも歩ける。
実は、今回の倉岳山と高畑山だが、これに九鬼山を加えて縦走し、禾生駅あたりからバスで戻ることを検討した。以前は路線もあったようだが、今は禾生駅と無生野の間にバスは通っていない。あるのは無生野と上野原駅、本町三丁目というところを結ぶ路線のみで、本数も土日は3便だけ(平日は2便)。禾生駅と無生野の間は11km。タクシーがあるとは思えない駅だ。まして、駐車地予定は浜沢というバス停からすぐだが、無生野からは4つ目にすぎない。バス利用はとても現実的とは思えず、倉岳山と高畑山だけにとどめるしかないようだ。車道を挟んで朝日山、二十六夜山というプランも考えたが、それを歩ける自信はないし、富士山が見えるかも怪しいところだ。今日は見送る。
余談だが、倉岳山と高畑山はいずれも大月市選定の秀麗富嶽12景になっている(不老山は上野原市だから対象外か)。この秀麗富嶽、調べると「12山」という意味ではなく12エリアの都合19山のようだ。この中で行ったことがある山は雁ヶ腹摺山、滝子山、本社ヶ丸、清八山の4山のみ。雁ヶ腹摺山に至っては、行ったはいいが、雲がかかってシルエットを拝んだだけで終わっている。この五百円札のモデル山、いつか改めて行かないといけない。
アオゲラの森キャンプ場を目指して行ったが、ちょっと上がったところにグランドがあり、その脇が駐車場になっていた。そこに車を置く。他に車はない。自宅からここまでちょうど2時間。高速区間は東松山IC・上野原IC。実際に走ってみると、時間的には中禅寺湖に行くよりも近い。
舗装道路歩きが長そうな情報なので、今日は普通の登山靴にした。舗装されていない駐車場は凍り付きガシガシと音を立てる。歩き出すとすぐ右手に二十六夜山の標識があった。十三夜は知っているが、二十六夜も信仰の対象になっていたのだろうか。ここに出て来るように歩くつもりでいれば、車道歩きをせずに良かったわけだが。
(駐車地から県道をまたいで北に向かう。駐車地の目印看板)

(立野峠への分岐)

(薬師堂)

(大ケヤキ)

車道(県道35号線)を渡って北に向かう。道脇には「矢平山コース」とある。矢平山というのは知らず、昭文社マップを広げると、この先の立野峠から東にかなり行ったところに矢平山というのがあった。これでいいのかとは思ったがそのままで行く。帰ってから矢平山を調べたが、かなり地味な山のようで、山頂から富士山は見えないようだ。
すぐに右路地に立野峠の方向を指す標識が見えた。入って行くと、神社が見えたので立ち寄る。神社というよりも薬師堂らしい。そこに「浜沢の大ケヤキ」というのがあった。看板には上野原市の天然記念物とある。
(石垣沿いに行くとこうなった。この時点ですでに道を外れている)

(ハイキングコースに復帰)

ハイキングコースらしきところに戻って、立野峠に向かう。舗装道は狭くなり、すぐに山道っぽくなる。ここは沢状になっていて、左に石積みを見ながら登って行くと、次第に踏み跡は怪しげになり、このまま沢沿いに行っていいものやらと、反対側を見やると、道状になっている気配。そちらに行ってみると、しっかりした山道になっていた。早々に余計な歩きをしてしまった。
(ここがまた地味に急だ)

(あの尾根に乗るようだ)

(結局、トラバース道を行くことになる。立野峠が見えている)

(立野峠)

薄暗い植林の中、沢沿いに窪み状になった作業道のような道を行く。ひんやりとして寒い。やがてじわりと地味な登りが始まり、ストックを出す。先に陽があたっているところが見え、植林からはすぐに抜け出すようだ。
周囲は雑木になりつつ尾根に出る。葉はすっかり落ち、落葉の上の歩きは結構滑る。このまま尾根を登るのかなと思ったが、道は一時的に植林のヘリを歩いてはまた雑木の中に入り込む。最終的に雑木のトラバース道を行くと立野峠に出た。
この峠、東西南北からの道が交差している。比較的新しい標識には、登って来た南方向に浜沢、これから向かう西は倉岳山、そして北は梁川駅、東は寺下峠とある。ここで早々に一服。一時的に無タバコ、アイコスになったりしたが、結果として紙巻きタバコに戻ってしまった。何ということはない元の木阿弥。
ここの標識には倉岳山まで約35分とある。昭文社マップにも35分と記されている。結果として33分かかったが、普通の歩きをしていれば30分もかからないだろう。とにかく富士山を見たく、途中で樹間からすっきりしない富士山がチラリとでも顔を出せば歩きが止まってしまうのだ。
(立野峠からの登り)

(ここで富士山がチラリと)

(どんどん登る)

峠からは通しの尾根歩き。これまでよりも風が冷たく感じてウインドブレーカーを着込んで出発。峠までは標高差350mほどの登りだったが、あと少なくとも150mの登りは続く。
ここもまた地味な登りになっている。すぐの小ピークから左前方に富士山の姿をとらえるようになった。間近に見えてくる富士山に気持ちはガツガツ状態になる。早いとこ混じりけのないのを見たいの一心。まして、午後になったらお姿を拝見できないかもしれないから、余計にあせる。だが、コースを外れても枝木が邪魔になってすっきりとはいかないものだ。わかっていてそれを繰り返す。
(右手に大月市街だろう)

(倉岳山はもう少しだ)

小ピークを下る。前方に倉岳山らしきピーク。右手に植林が合わさり、左手の雑木も密になってイラつき出す。富士山は消えた。今は用もない右手下の一角が見えた。大月市街だろう。盆地状になっている。つまりここは里山。ここからなら扇山も見えているのかもしれない。
早いとこ倉岳山に出たいが、直下100mほどの登りはかなり応える。身体が追いつかない。クネクネ道をわざわざ直登しようとするから余計に休み回数も多くなる。この間にも枝木に邪魔された富士山は見えている。
(倉岳山に到着。富士山すっきり)

(確かに秀麗富嶽だわなぁ)

(ちょっとアップで。赤城山からではここまでは見られない)

倉岳山に到着。まずは山頂写真やら標識の類、三角点を撮って、楽しみの富士山は後回し。律義な性格(笑)が手続きをそう踏ませる。落ち着いたところで富士山。いいね~。今日は来て正解だった。この後に天気が急変して高畑山で富士山が見られなくなってもいいように、じっくりと観察をしては富士山の写真を撮る。アップで撮ったら、どこからの富士山かもわからないのを承知の上で撮りまくる。ついでのセルフも忘れない。山頂の枝木も入り込んでしまうが、この程度なら許容だろう。鍋割山から見る富士山に比べたら格段だ。一人でバカ騒ぎ気分。
落ち着いたところで看板を見る。「秀麗富嶽十二景について」の看板。ここには「十八の山頂」とある。あれっ、十九の山頂ではなかったのか。帰ってから調べると、「お伊勢山」が新たに加わったらしい。このお伊勢山、2009年版の昭文社『高尾・陣馬』には載っていない。岩殿山エリアの中ではあるが、かなり西の真木温泉の方にある山のようだ。
菓子パンを食べて小腹を満たして一服。時間的にも早いのか、ここまでだれとも会っていないし、富士山一人占めといった気分だ。タバコを吸ってもだれに遠慮することもないのが最高だ。
満足した。富士山周辺に雲のかけら一つもないうちに次の高畑山に向かうとする。
(では次は高畑山だな)

(いい感じだったが)

(こんな下りになった)

ゆるゆると雑木の小道を行くと、いきなり左に下り出す。滑り止めのロープもある。登り返しがつらいなと思ったが、ぶなじろうさんの400m下りまではいかず、次のスポットの穴路峠まではせいぜい150m程度のもの。途中、樹間に見える富士山を執拗に追い続ける。
(穴路峠)

傾斜が緩くなり、小岩混じりの尾根を下って行くと、穴路峠に出た。ここから北に鳥沢駅に下る道が分岐する。10時近い。電車で来るハイカーがそろそろ尾根に上がって来る時間ではなかろうか。この付近は電車で来ればアクセスの良いところだが、電車の乗り継ぎも群馬からでは悪すぎる。むしろ駐車地を確保した上で電車、バス利用をした方が無難だろう。
「峠道文化の森」という看板が置かれている。この穴路峠、先ほどの立野峠ともに、古くから大月市と秋山村(現・上野原市)を結ぶ峠だったようだが、少なくとも立野峠に至るまでの間に見たのは薬師堂だけで、石碑の類は見かけなかった。古道というほどのものでもないだろう。
(天神山)

(改めて大月市街の展望)

峠からは登りになる。後ろから話し声が聞こえる。トレラン風情の若い二人連れが早足で登って来る。ようやくハイカーに出会った。ちょうど目の前に小ピークがあったので、ここで先に行ってもらう。この小ピークには名前があり、標識には天神山とある。右手下には大月の町が広がっている。
左植林の尾根を下って行くと、今度は反対側から単独氏がやって来た。時間的に、電車利用だとして、穴路峠からまずは高畑山、そして倉岳山といったルート取りだろうか。そんな人のことはどうでもいいが、この辺は植林、雑木で展望がきかず、富士山のことを気にせずに歩けるからいい。
(尾根上の小道といったところだ)

(急な登りになる)

(雛鶴峠への分岐ピーク)

正面にこんもりとした高いピークが見えると、急斜面の登りが待っていた。果てしなく長く感じる。今度はあせらず、踏み跡に合わせてゆっくりとジグザグに登って行く。何度も休んでは振り返って見下ろす。他のハイカーの姿はないのを確認してはほっとする。こんなところで後続者がいたら嫌なものだ。上からまた単独氏が下って来る。
登りきったところは高畑山ではなかった。まだ先があった。ここは雛鶴峠への分岐。帰路はここから下るつもりでいる。三人目の単独氏。この分では高畑山も混雑だろうか。
(高畑山山頂)

(高畑山からの富嶽景)

(あの樹が邪魔)

(ズームにしても入ってしまう)

ちょっと行くと高畑山山頂。三人組がいた。何だか世間話をし、それが丸聞こえで雰囲気がよろしくない。こちらは無視を装って富士山を見とは撮る。ここからの富士山の展望も抜群だが、どうも左右の樹が邪魔で、倉岳山に比べると視野は狭い。ことに小さな樹が一本、センターに入り込んでしまう。あれさえなかったらなぁ。しかし、ここもやはり秀麗富嶽の眺めだ。
ここでも写真をしつこく撮っている間に三人組は倉岳山の方に世間話をしながら下って行った。ネエチャン二人を引き連れたオッサンは破顔している。さぞご満悦だろう。そっと登って来たオレの存在すら気づかれなかったろう。同じ立場なら自分とてのべつまくなしでネエチャンたちを笑わせては破顔だろうが、そんな機会に恵まれることはあり得ない。
一人になった。山頂付近をうろついては写真を撮る。菓子パンを食べてはまた富士山撮り。さっきまではなかった薄い雲が漂っているが、あとしばらくは持ちそうだ。あとは下山だけか。かなり物足りない。もっと富士山を別なところから望みたいがこの先に行くには無理がある。せめて大桑山までと思い、スマホで情報をチェックすると、木立に囲まれたピークで富士山は見えないようだ。やはり下るしかないか。
(雛鶴峠に下る)

(最初から尾根伝いの下りということを知っていれば間違いようもないが、知らないからこれでいいのかと思う。当初は穴路峠から下るつもりでいたし)

(標識を見てはほっとする)

さっきの分岐に戻り、雛鶴峠に向かって下る。昭文社マップでは実線コースになってはいるが、あまり歩かれていないようで、踏み跡レベルになっているし、その踏み跡も落葉で隠れていたりする。テープ類は豊富で、地形図を持ってこなかっただけにこれには助かる。また気まぐれに標識もあったりする。
やはり、右手の富士山が気になって仕方がない。だが、どこにもすっきりしたスポットはなく、それでいてあきらめきれずにうろうろして下るようになってしまった。枝木の隙間から撮ってもすっきりした写真にはなるわけもなく、無駄な写真ばかりが多くなる。当然、相当に時間もかかる下りになった。
昭文社マップでは読み取れないが、このコースは尾根伝いに下るようだ。それを知ったのはしばらく行った後のことで、前半部は正直のところ不安な歩きになっていた。こんな尾根を歩くハイカーはいるまいと思っていたが、青年が登って来たのにはびっくりした。やはりどこにでもいるんだね。
雑木の中の歩きだったのが左から植林が入り込む。ここも尾根で区分けされている。「発砲禁止」の看板が出てくる。雛鶴峠への分岐にも「特定猟具使用禁止区域(銃)山梨県」とあった。ここは禁猟区なのだろうがシカフンを見かけることはなかった。むしろイノシシのフンを2か所で見た。
(楢峠)

(右下にゴルフ場。里山には欠かせない存在)

下って登る。その鞍部に黄色のテープが巻かれている。標識はない。テープに何やら字が書かれているが注意もしなかった。後で知ったが、この鞍部が楢峠だったようだ。
結構な登りだ。石ゴロで凍結していて歩きづらい。右から人の声が聞こえる。何だろうと右下を見るとゴルフ場。安蘇の里山を歩いているような感じになる。登りきると「大ダビ山901m」の標識が2枚。地図には「大タビ山」とある。どちらが正しいのか。
すっきりしない富士山が見えた。ここもまた樹間からアップで撮るしかない。雲はとれてまたすっきり富士に戻っているが、何となく富士山本体が薄くなってきた感じがする。周囲が白くなりつつあるのか。
(薄暗いところを歩いて)

(大タビ山)

(山名板は「大ダビ」と濁点付き)

ここで狩猟に関してのおかしな看板を見た。「ハンターのみなさんこの付近にゴルフ場があります。狩猟に注意しましょう。山梨県」。どうやら、この先から禁猟区ではなくなっているのだろう。ゴルフ場はあっても「登山者がたまにいます」という表示はなし。むしろ登山者の方が間近で危険だと思うが。まして登山コースにもなっているわけだし。山梨県は「山があっても山なし県」なんだから、群馬、栃木以上にハイカーが多いだろう。もっとハイカーに気づかった看板があってもいいのになと一元のハイカーは思ってしまう。
(何とか見える富士山も頭だけになってきた)

(そして高岩山頂。ここから西に高取山、サイマル山方面に破線路があるはずだが確認はしなかった)

大タビ山からは典型的な里山歩きの下りになった。ただ、起伏がかなりあって、下りとはいっても、高畑山が約982mでさほどの標高差を下ってはいない。また登って高岩。もうここまで来ると、富士山も頭部分だけになってしまう。それでもこの冨士見ハイカーは執拗に写真を撮る。やはり、富士山の姿は青い空をバックにしていても大分薄くなっている。
(左下に雲が出てきた)

(真下にリニアモーターカーの施設)

ここの高岩だが、真下に工場のようなものが見える。名前に「岩」が付くだけに右下はスパっと切れている。あとで調べると、リニアモーターカー実験線の施設(車両基地?)のようだ。この施設なのかどうかは知らないが、リニア見学センターが出きたために、センター向けのバス路線を新設し、無生野経由のバス路線は部分廃止されたのではないだろうか。
(ゆっくりと雲が上がってきている)

下りながら、いくらかすっきりした富士山を見た。すそ野から雲がわき出しているようだ。もうそろそろ里に出る。今日の富士山もこれで終わりだろう。
しっかりロープが張られた岩っぽいヤセ尾根を下る。それでもしつこく富士山の頭は見えた。東側の下から雲が上がって来ているのがはっきりとわかる。やはり天気予報どおりだったかもな。
(明瞭な尾根道下り)

(鉄塔)

(鉄塔のあるところから。これで今日は最後の冨士山見だ)

もう下り一方になった。道型は尾根伝いだからすでに明瞭。それでも見える富士山は左1/3が雲で隠れている。ここまで障害物がありながらも追い続けてきた富士山も、鉄塔に出るとはっきりと見えた。そうとわかっていれば、ちらつきの富士山は無視したのに。
(雛鶴峠)

なおも下ると、峠のような分岐に出た。これが雛鶴峠。峠名の「雛鶴」のことは後回しにするが、標識は置かれていて、実は当初から気になっていたのだが、こちら方面の標識には「赤鞍・雛鶴峠」とあって、その「赤鞍」しいうのが気になっていた。ここで一服して地図を広げる。赤鞍とは「朝日山(赤鞍ヶ岳)」のことだろう。標識表記も「赤鞍ヶ岳」になってしまった。当初、それもありかなと思っていたコースだ。今は、別に行く気はない。実際のところ、「朝日山(赤鞍ヶ岳)」以外に、さらに東に「赤鞍ヶ岳(ワラビタタキ)」という山もあって、標識はいずれの赤鞍ヶ岳を指しているのか不明だが、もうそちらは道志の山の域に入ってしまう。
一服してストックを収納し、ウインドブレーカーも脱ぐ。あとは明瞭な作業道のような道を林道に向けて下るだけだ。
(雛鶴峠からの下り)

(林道に出て)

(塞がれたトンネル)

古い間伐がそのままになっているが、道はしっかりとクネクネと下る。また鉄塔に出た。こからの眺めに足を止めることはない。そして舗装林道に出た。ここで林道は終点になっているのか広場のようになっていて、傍らに「←ハイキングコース」の標識がある。この林道、ここでは林道としたが、どうも県道35号線の旧道らしく、地図を見ると、高いところを併行して走っているも道のようだ。広場を振り返ると、その先には閉鎖されたトンネルがある。雛鶴トンネルと呼ばれていたらしい。中を覗くと、先の出口が見えている。
この林道をしばらく下る。県道に接近しては離れる。この林道は現役のようだが、トンネルで寸断されているから、せいぜい山仕事かハイキング用途だろう。落石もほとんどない。
(林道を歩いて)

(県道に出た)

県道に出る前にカップラーメンでもと思って、腰かけ用の手ごろな石を探しながら歩いたが見あたらないままに、民家で工事でもしている手前までやって来てしまった。これでは食えないなと戻って、平らな地べたに腰を下ろしてランチタイム。
民家を数軒通って行くと県道に出る。ここに「林道奈良山線」の看板があった。「林業経営のために開設された林道です」とあるから、旧道だったのか、当初からの林道なのかわからなくなった。
さぞ車道歩きは長いだろうなと思っていたが、せいぜい35分ほどのものだった。下り基調で歩けたため、さほどの苦痛は感じなかった。こんなことを記してはなんだが、車道沿いに点在する民家、煙突の煙、田んぼ、古そうな石仏…。その風景はまさによく見かける田舎の落ち着いた風景だ。この県道、「旧鎌倉裏街道」とも呼ばれているようだ。
(雛鶴神社)

(雛鶴姫の像)

神社があったので立ち寄る。これが雛鶴神社。ずっとこの「雛鶴」という地名が気になっていたところだった。神社の解説板を読む。あっさりと記すと、雛鶴姫は鎌倉時代末期の護良親王の寵妃。鎌倉にいた護良親王が暗殺される。それを聞いて京から鎌倉にかけつけた身重の雛鶴姫は追われる身となる。そして甲斐経由で京に逃れようとするが、この秋山の無生野を通った際に産気づく。折しも季節は冬。後難を避けた村人に見捨てられたまま、寒さと疲労で母子ともに亡くなり、ここに神社を建てて姫を祀ったというものだ。神社には雛鶴姫の像が建っている。
(道々で石仏)

(よくわからない石碑)

(町の中心部? 民家から薪ストーブの煙がたなびいたりしていた)

(こんなのを読んでいると面白い)

よくわからない石碑がいくつかあったが、どこにでもある馬頭観音碑は一基しか気づかず、むしろ「百番供養塔」というのが目についた。
この旧秋山村は「民話の里あきやま」というのをPRにしているのか、あちこちに秋山に残っている民話が案内されている。それを読んでいるのもまた面白かった。
(駐車場に到着)

(帰路で。こんな何でもない石仏と石碑、ネットで登場は初めてだろう)

駐車場に戻る。中学校の野球部だろうか、グランドで練習し、それを何人かの父兄も眺めている。ただ、車が7~8台置かれているものの、ほとんどが東京ナンバーの車だ。自分の後に倉岳山と高畑山を登るハイカーが続いていたのだろうか。
時間は早いが、近くに風呂屋はないか探しながら車を走らせたが、見つけられないままに中央高速に入ってしまった。
(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」
アオゲラの森キャンプ場下の駐車場(7:30)……立野峠(8:27~8:35)……倉岳山(9:08~9:27)……穴路峠(9:44)……高畑山(10:18~10:39)……楢峠(10:59)……大タビ山(11:11~11:20)……高岩(11:32)……雛鶴峠(11:55~12:02)……林道(12:09)……ランチタイム(12:24~12:39)……県道(12:41)……駐車場(13:16)
この時季になると、青空をバックにした大きな富士山を見たくなる。7日に赤城の鍋割山から見えた富士山はちっぽけなもので、あれで満足というわけにはいかない。せめて浅間山ぐらいの大きさに見える富士山でなきゃ。数年前までは間近に見える山までよく行っていたから余計にそう思う。さりとて三ツ峠山から見える富士山ではでかすぎる。見たいのは手ごろな大きさの富士山だ。
鍋割山と前後して、ぶなじろうさんが九鬼山、高畑山、扇山、百蔵山、そしてハイトスさんが不老山からの富士山写真をブログで見てしまい、どうしてもオレも行かなきゃと思うようになっていた。だが、足運びが近場で済ますようになっていると山梨は遠く感じる。
出がけまで足尾か富士山見物にするかで決めかねていた。富士山見物2/3の気分で寝た。起き抜けに天気予報を調べると、大月あたりからでは富士山も午前中はバッチリと拝めるようだった。もう足尾の天気予報は調べずに山梨に向かった。明日の天気の保証はない。足尾なら天気次第でどこでも歩ける。
実は、今回の倉岳山と高畑山だが、これに九鬼山を加えて縦走し、禾生駅あたりからバスで戻ることを検討した。以前は路線もあったようだが、今は禾生駅と無生野の間にバスは通っていない。あるのは無生野と上野原駅、本町三丁目というところを結ぶ路線のみで、本数も土日は3便だけ(平日は2便)。禾生駅と無生野の間は11km。タクシーがあるとは思えない駅だ。まして、駐車地予定は浜沢というバス停からすぐだが、無生野からは4つ目にすぎない。バス利用はとても現実的とは思えず、倉岳山と高畑山だけにとどめるしかないようだ。車道を挟んで朝日山、二十六夜山というプランも考えたが、それを歩ける自信はないし、富士山が見えるかも怪しいところだ。今日は見送る。
余談だが、倉岳山と高畑山はいずれも大月市選定の秀麗富嶽12景になっている(不老山は上野原市だから対象外か)。この秀麗富嶽、調べると「12山」という意味ではなく12エリアの都合19山のようだ。この中で行ったことがある山は雁ヶ腹摺山、滝子山、本社ヶ丸、清八山の4山のみ。雁ヶ腹摺山に至っては、行ったはいいが、雲がかかってシルエットを拝んだだけで終わっている。この五百円札のモデル山、いつか改めて行かないといけない。
アオゲラの森キャンプ場を目指して行ったが、ちょっと上がったところにグランドがあり、その脇が駐車場になっていた。そこに車を置く。他に車はない。自宅からここまでちょうど2時間。高速区間は東松山IC・上野原IC。実際に走ってみると、時間的には中禅寺湖に行くよりも近い。
舗装道路歩きが長そうな情報なので、今日は普通の登山靴にした。舗装されていない駐車場は凍り付きガシガシと音を立てる。歩き出すとすぐ右手に二十六夜山の標識があった。十三夜は知っているが、二十六夜も信仰の対象になっていたのだろうか。ここに出て来るように歩くつもりでいれば、車道歩きをせずに良かったわけだが。
(駐車地から県道をまたいで北に向かう。駐車地の目印看板)

(立野峠への分岐)

(薬師堂)

(大ケヤキ)

車道(県道35号線)を渡って北に向かう。道脇には「矢平山コース」とある。矢平山というのは知らず、昭文社マップを広げると、この先の立野峠から東にかなり行ったところに矢平山というのがあった。これでいいのかとは思ったがそのままで行く。帰ってから矢平山を調べたが、かなり地味な山のようで、山頂から富士山は見えないようだ。
すぐに右路地に立野峠の方向を指す標識が見えた。入って行くと、神社が見えたので立ち寄る。神社というよりも薬師堂らしい。そこに「浜沢の大ケヤキ」というのがあった。看板には上野原市の天然記念物とある。
(石垣沿いに行くとこうなった。この時点ですでに道を外れている)

(ハイキングコースに復帰)

ハイキングコースらしきところに戻って、立野峠に向かう。舗装道は狭くなり、すぐに山道っぽくなる。ここは沢状になっていて、左に石積みを見ながら登って行くと、次第に踏み跡は怪しげになり、このまま沢沿いに行っていいものやらと、反対側を見やると、道状になっている気配。そちらに行ってみると、しっかりした山道になっていた。早々に余計な歩きをしてしまった。
(ここがまた地味に急だ)

(あの尾根に乗るようだ)

(結局、トラバース道を行くことになる。立野峠が見えている)

(立野峠)

薄暗い植林の中、沢沿いに窪み状になった作業道のような道を行く。ひんやりとして寒い。やがてじわりと地味な登りが始まり、ストックを出す。先に陽があたっているところが見え、植林からはすぐに抜け出すようだ。
周囲は雑木になりつつ尾根に出る。葉はすっかり落ち、落葉の上の歩きは結構滑る。このまま尾根を登るのかなと思ったが、道は一時的に植林のヘリを歩いてはまた雑木の中に入り込む。最終的に雑木のトラバース道を行くと立野峠に出た。
この峠、東西南北からの道が交差している。比較的新しい標識には、登って来た南方向に浜沢、これから向かう西は倉岳山、そして北は梁川駅、東は寺下峠とある。ここで早々に一服。一時的に無タバコ、アイコスになったりしたが、結果として紙巻きタバコに戻ってしまった。何ということはない元の木阿弥。
ここの標識には倉岳山まで約35分とある。昭文社マップにも35分と記されている。結果として33分かかったが、普通の歩きをしていれば30分もかからないだろう。とにかく富士山を見たく、途中で樹間からすっきりしない富士山がチラリとでも顔を出せば歩きが止まってしまうのだ。
(立野峠からの登り)

(ここで富士山がチラリと)

(どんどん登る)

峠からは通しの尾根歩き。これまでよりも風が冷たく感じてウインドブレーカーを着込んで出発。峠までは標高差350mほどの登りだったが、あと少なくとも150mの登りは続く。
ここもまた地味な登りになっている。すぐの小ピークから左前方に富士山の姿をとらえるようになった。間近に見えてくる富士山に気持ちはガツガツ状態になる。早いとこ混じりけのないのを見たいの一心。まして、午後になったらお姿を拝見できないかもしれないから、余計にあせる。だが、コースを外れても枝木が邪魔になってすっきりとはいかないものだ。わかっていてそれを繰り返す。
(右手に大月市街だろう)

(倉岳山はもう少しだ)

小ピークを下る。前方に倉岳山らしきピーク。右手に植林が合わさり、左手の雑木も密になってイラつき出す。富士山は消えた。今は用もない右手下の一角が見えた。大月市街だろう。盆地状になっている。つまりここは里山。ここからなら扇山も見えているのかもしれない。
早いとこ倉岳山に出たいが、直下100mほどの登りはかなり応える。身体が追いつかない。クネクネ道をわざわざ直登しようとするから余計に休み回数も多くなる。この間にも枝木に邪魔された富士山は見えている。
(倉岳山に到着。富士山すっきり)

(確かに秀麗富嶽だわなぁ)

(ちょっとアップで。赤城山からではここまでは見られない)

倉岳山に到着。まずは山頂写真やら標識の類、三角点を撮って、楽しみの富士山は後回し。律義な性格(笑)が手続きをそう踏ませる。落ち着いたところで富士山。いいね~。今日は来て正解だった。この後に天気が急変して高畑山で富士山が見られなくなってもいいように、じっくりと観察をしては富士山の写真を撮る。アップで撮ったら、どこからの富士山かもわからないのを承知の上で撮りまくる。ついでのセルフも忘れない。山頂の枝木も入り込んでしまうが、この程度なら許容だろう。鍋割山から見る富士山に比べたら格段だ。一人でバカ騒ぎ気分。
落ち着いたところで看板を見る。「秀麗富嶽十二景について」の看板。ここには「十八の山頂」とある。あれっ、十九の山頂ではなかったのか。帰ってから調べると、「お伊勢山」が新たに加わったらしい。このお伊勢山、2009年版の昭文社『高尾・陣馬』には載っていない。岩殿山エリアの中ではあるが、かなり西の真木温泉の方にある山のようだ。
菓子パンを食べて小腹を満たして一服。時間的にも早いのか、ここまでだれとも会っていないし、富士山一人占めといった気分だ。タバコを吸ってもだれに遠慮することもないのが最高だ。
満足した。富士山周辺に雲のかけら一つもないうちに次の高畑山に向かうとする。
(では次は高畑山だな)

(いい感じだったが)

(こんな下りになった)

ゆるゆると雑木の小道を行くと、いきなり左に下り出す。滑り止めのロープもある。登り返しがつらいなと思ったが、ぶなじろうさんの400m下りまではいかず、次のスポットの穴路峠まではせいぜい150m程度のもの。途中、樹間に見える富士山を執拗に追い続ける。
(穴路峠)

傾斜が緩くなり、小岩混じりの尾根を下って行くと、穴路峠に出た。ここから北に鳥沢駅に下る道が分岐する。10時近い。電車で来るハイカーがそろそろ尾根に上がって来る時間ではなかろうか。この付近は電車で来ればアクセスの良いところだが、電車の乗り継ぎも群馬からでは悪すぎる。むしろ駐車地を確保した上で電車、バス利用をした方が無難だろう。
「峠道文化の森」という看板が置かれている。この穴路峠、先ほどの立野峠ともに、古くから大月市と秋山村(現・上野原市)を結ぶ峠だったようだが、少なくとも立野峠に至るまでの間に見たのは薬師堂だけで、石碑の類は見かけなかった。古道というほどのものでもないだろう。
(天神山)

(改めて大月市街の展望)

峠からは登りになる。後ろから話し声が聞こえる。トレラン風情の若い二人連れが早足で登って来る。ようやくハイカーに出会った。ちょうど目の前に小ピークがあったので、ここで先に行ってもらう。この小ピークには名前があり、標識には天神山とある。右手下には大月の町が広がっている。
左植林の尾根を下って行くと、今度は反対側から単独氏がやって来た。時間的に、電車利用だとして、穴路峠からまずは高畑山、そして倉岳山といったルート取りだろうか。そんな人のことはどうでもいいが、この辺は植林、雑木で展望がきかず、富士山のことを気にせずに歩けるからいい。
(尾根上の小道といったところだ)

(急な登りになる)

(雛鶴峠への分岐ピーク)

正面にこんもりとした高いピークが見えると、急斜面の登りが待っていた。果てしなく長く感じる。今度はあせらず、踏み跡に合わせてゆっくりとジグザグに登って行く。何度も休んでは振り返って見下ろす。他のハイカーの姿はないのを確認してはほっとする。こんなところで後続者がいたら嫌なものだ。上からまた単独氏が下って来る。
登りきったところは高畑山ではなかった。まだ先があった。ここは雛鶴峠への分岐。帰路はここから下るつもりでいる。三人目の単独氏。この分では高畑山も混雑だろうか。
(高畑山山頂)

(高畑山からの富嶽景)

(あの樹が邪魔)

(ズームにしても入ってしまう)

ちょっと行くと高畑山山頂。三人組がいた。何だか世間話をし、それが丸聞こえで雰囲気がよろしくない。こちらは無視を装って富士山を見とは撮る。ここからの富士山の展望も抜群だが、どうも左右の樹が邪魔で、倉岳山に比べると視野は狭い。ことに小さな樹が一本、センターに入り込んでしまう。あれさえなかったらなぁ。しかし、ここもやはり秀麗富嶽の眺めだ。
ここでも写真をしつこく撮っている間に三人組は倉岳山の方に世間話をしながら下って行った。ネエチャン二人を引き連れたオッサンは破顔している。さぞご満悦だろう。そっと登って来たオレの存在すら気づかれなかったろう。同じ立場なら自分とてのべつまくなしでネエチャンたちを笑わせては破顔だろうが、そんな機会に恵まれることはあり得ない。
一人になった。山頂付近をうろついては写真を撮る。菓子パンを食べてはまた富士山撮り。さっきまではなかった薄い雲が漂っているが、あとしばらくは持ちそうだ。あとは下山だけか。かなり物足りない。もっと富士山を別なところから望みたいがこの先に行くには無理がある。せめて大桑山までと思い、スマホで情報をチェックすると、木立に囲まれたピークで富士山は見えないようだ。やはり下るしかないか。
(雛鶴峠に下る)

(最初から尾根伝いの下りということを知っていれば間違いようもないが、知らないからこれでいいのかと思う。当初は穴路峠から下るつもりでいたし)

(標識を見てはほっとする)

さっきの分岐に戻り、雛鶴峠に向かって下る。昭文社マップでは実線コースになってはいるが、あまり歩かれていないようで、踏み跡レベルになっているし、その踏み跡も落葉で隠れていたりする。テープ類は豊富で、地形図を持ってこなかっただけにこれには助かる。また気まぐれに標識もあったりする。
やはり、右手の富士山が気になって仕方がない。だが、どこにもすっきりしたスポットはなく、それでいてあきらめきれずにうろうろして下るようになってしまった。枝木の隙間から撮ってもすっきりした写真にはなるわけもなく、無駄な写真ばかりが多くなる。当然、相当に時間もかかる下りになった。
昭文社マップでは読み取れないが、このコースは尾根伝いに下るようだ。それを知ったのはしばらく行った後のことで、前半部は正直のところ不安な歩きになっていた。こんな尾根を歩くハイカーはいるまいと思っていたが、青年が登って来たのにはびっくりした。やはりどこにでもいるんだね。
雑木の中の歩きだったのが左から植林が入り込む。ここも尾根で区分けされている。「発砲禁止」の看板が出てくる。雛鶴峠への分岐にも「特定猟具使用禁止区域(銃)山梨県」とあった。ここは禁猟区なのだろうがシカフンを見かけることはなかった。むしろイノシシのフンを2か所で見た。
(楢峠)

(右下にゴルフ場。里山には欠かせない存在)

下って登る。その鞍部に黄色のテープが巻かれている。標識はない。テープに何やら字が書かれているが注意もしなかった。後で知ったが、この鞍部が楢峠だったようだ。
結構な登りだ。石ゴロで凍結していて歩きづらい。右から人の声が聞こえる。何だろうと右下を見るとゴルフ場。安蘇の里山を歩いているような感じになる。登りきると「大ダビ山901m」の標識が2枚。地図には「大タビ山」とある。どちらが正しいのか。
すっきりしない富士山が見えた。ここもまた樹間からアップで撮るしかない。雲はとれてまたすっきり富士に戻っているが、何となく富士山本体が薄くなってきた感じがする。周囲が白くなりつつあるのか。
(薄暗いところを歩いて)

(大タビ山)

(山名板は「大ダビ」と濁点付き)

ここで狩猟に関してのおかしな看板を見た。「ハンターのみなさんこの付近にゴルフ場があります。狩猟に注意しましょう。山梨県」。どうやら、この先から禁猟区ではなくなっているのだろう。ゴルフ場はあっても「登山者がたまにいます」という表示はなし。むしろ登山者の方が間近で危険だと思うが。まして登山コースにもなっているわけだし。山梨県は「山があっても山なし県」なんだから、群馬、栃木以上にハイカーが多いだろう。もっとハイカーに気づかった看板があってもいいのになと一元のハイカーは思ってしまう。
(何とか見える富士山も頭だけになってきた)

(そして高岩山頂。ここから西に高取山、サイマル山方面に破線路があるはずだが確認はしなかった)

大タビ山からは典型的な里山歩きの下りになった。ただ、起伏がかなりあって、下りとはいっても、高畑山が約982mでさほどの標高差を下ってはいない。また登って高岩。もうここまで来ると、富士山も頭部分だけになってしまう。それでもこの冨士見ハイカーは執拗に写真を撮る。やはり、富士山の姿は青い空をバックにしていても大分薄くなっている。
(左下に雲が出てきた)

(真下にリニアモーターカーの施設)

ここの高岩だが、真下に工場のようなものが見える。名前に「岩」が付くだけに右下はスパっと切れている。あとで調べると、リニアモーターカー実験線の施設(車両基地?)のようだ。この施設なのかどうかは知らないが、リニア見学センターが出きたために、センター向けのバス路線を新設し、無生野経由のバス路線は部分廃止されたのではないだろうか。
(ゆっくりと雲が上がってきている)

下りながら、いくらかすっきりした富士山を見た。すそ野から雲がわき出しているようだ。もうそろそろ里に出る。今日の富士山もこれで終わりだろう。
しっかりロープが張られた岩っぽいヤセ尾根を下る。それでもしつこく富士山の頭は見えた。東側の下から雲が上がって来ているのがはっきりとわかる。やはり天気予報どおりだったかもな。
(明瞭な尾根道下り)

(鉄塔)

(鉄塔のあるところから。これで今日は最後の冨士山見だ)

もう下り一方になった。道型は尾根伝いだからすでに明瞭。それでも見える富士山は左1/3が雲で隠れている。ここまで障害物がありながらも追い続けてきた富士山も、鉄塔に出るとはっきりと見えた。そうとわかっていれば、ちらつきの富士山は無視したのに。
(雛鶴峠)

なおも下ると、峠のような分岐に出た。これが雛鶴峠。峠名の「雛鶴」のことは後回しにするが、標識は置かれていて、実は当初から気になっていたのだが、こちら方面の標識には「赤鞍・雛鶴峠」とあって、その「赤鞍」しいうのが気になっていた。ここで一服して地図を広げる。赤鞍とは「朝日山(赤鞍ヶ岳)」のことだろう。標識表記も「赤鞍ヶ岳」になってしまった。当初、それもありかなと思っていたコースだ。今は、別に行く気はない。実際のところ、「朝日山(赤鞍ヶ岳)」以外に、さらに東に「赤鞍ヶ岳(ワラビタタキ)」という山もあって、標識はいずれの赤鞍ヶ岳を指しているのか不明だが、もうそちらは道志の山の域に入ってしまう。
一服してストックを収納し、ウインドブレーカーも脱ぐ。あとは明瞭な作業道のような道を林道に向けて下るだけだ。
(雛鶴峠からの下り)

(林道に出て)

(塞がれたトンネル)

古い間伐がそのままになっているが、道はしっかりとクネクネと下る。また鉄塔に出た。こからの眺めに足を止めることはない。そして舗装林道に出た。ここで林道は終点になっているのか広場のようになっていて、傍らに「←ハイキングコース」の標識がある。この林道、ここでは林道としたが、どうも県道35号線の旧道らしく、地図を見ると、高いところを併行して走っているも道のようだ。広場を振り返ると、その先には閉鎖されたトンネルがある。雛鶴トンネルと呼ばれていたらしい。中を覗くと、先の出口が見えている。
この林道をしばらく下る。県道に接近しては離れる。この林道は現役のようだが、トンネルで寸断されているから、せいぜい山仕事かハイキング用途だろう。落石もほとんどない。
(林道を歩いて)

(県道に出た)

県道に出る前にカップラーメンでもと思って、腰かけ用の手ごろな石を探しながら歩いたが見あたらないままに、民家で工事でもしている手前までやって来てしまった。これでは食えないなと戻って、平らな地べたに腰を下ろしてランチタイム。
民家を数軒通って行くと県道に出る。ここに「林道奈良山線」の看板があった。「林業経営のために開設された林道です」とあるから、旧道だったのか、当初からの林道なのかわからなくなった。
さぞ車道歩きは長いだろうなと思っていたが、せいぜい35分ほどのものだった。下り基調で歩けたため、さほどの苦痛は感じなかった。こんなことを記してはなんだが、車道沿いに点在する民家、煙突の煙、田んぼ、古そうな石仏…。その風景はまさによく見かける田舎の落ち着いた風景だ。この県道、「旧鎌倉裏街道」とも呼ばれているようだ。
(雛鶴神社)

(雛鶴姫の像)

神社があったので立ち寄る。これが雛鶴神社。ずっとこの「雛鶴」という地名が気になっていたところだった。神社の解説板を読む。あっさりと記すと、雛鶴姫は鎌倉時代末期の護良親王の寵妃。鎌倉にいた護良親王が暗殺される。それを聞いて京から鎌倉にかけつけた身重の雛鶴姫は追われる身となる。そして甲斐経由で京に逃れようとするが、この秋山の無生野を通った際に産気づく。折しも季節は冬。後難を避けた村人に見捨てられたまま、寒さと疲労で母子ともに亡くなり、ここに神社を建てて姫を祀ったというものだ。神社には雛鶴姫の像が建っている。
(道々で石仏)

(よくわからない石碑)

(町の中心部? 民家から薪ストーブの煙がたなびいたりしていた)

(こんなのを読んでいると面白い)

よくわからない石碑がいくつかあったが、どこにでもある馬頭観音碑は一基しか気づかず、むしろ「百番供養塔」というのが目についた。
この旧秋山村は「民話の里あきやま」というのをPRにしているのか、あちこちに秋山に残っている民話が案内されている。それを読んでいるのもまた面白かった。
(駐車場に到着)

(帰路で。こんな何でもない石仏と石碑、ネットで登場は初めてだろう)

駐車場に戻る。中学校の野球部だろうか、グランドで練習し、それを何人かの父兄も眺めている。ただ、車が7~8台置かれているものの、ほとんどが東京ナンバーの車だ。自分の後に倉岳山と高畑山を登るハイカーが続いていたのだろうか。
時間は早いが、近くに風呂屋はないか探しながら車を走らせたが、見つけられないままに中央高速に入ってしまった。
(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」
富士山の見える所に住んでいる人は、朝、富士山が見えるかどうかで一日の気分が変わるような気がするけど、どうかな?
薪ストーブや民話があったり、穏やかそうな町ですね。
ぶなじろうさんによると、この時季の富士山は比較的に晴れ渡って見える日が多いようですよ。
この日出かける際に見た天気予報、普通は行く山の周辺だけをチェックしますが、こちら方面から富士山にかけての区間もつぶさに確認してから出かけました。雲量予報からして、午前中なら間違いなく雲なし富士を見られるといった自信はありました。
雲海に浮かぶ富士山はともかく、雲が少しかかった富士山もまたポイントになって素敵な景色だと思います。要は雲の度合いと位置の問題でしょう。少しの雲でも山頂からじっと動かずにいたら台無しになってしまうし。
圏央道を南に向かうと、狭山あたりから立派な富士山が見えて意外な感がします。ただ、周囲の風景がさも「都心から」といった感じで、どうもいただけませんが、やはり、そういう所の高い位置に住む人は、まして富士山好きなら、気にもするでしょうね。
ベースにした旧秋山村ですが、古くからある里とはいえど、何かがあったという様子もなく、やはり、裏街道筋の通りがかりの里といった感じがしました。ただ、薪ストーブを使っている家が多いようで、自分には懐かしくも感じましたね。
富士山も、今季はこれ一回で終わりたくないなと思ったのが正直のところです。
雲ひとつ無い青空の富士山、大満足ですね。
同じ山梨でも少し北なので宝永山が隠れて調度良い具合です。
やっぱり富士山は登るよりも見る山です。
三ツ峠山も行ってみたいと何度も候補に上ってはいるのですが。
富士五湖周辺は自分の学生時代のテリトリだったのですが、富士山は見えてあたり前でそれほど感動は無かった覚えです。
今は富士山と槍はどうしても気になってしまいます。
学生時代のテリトリーというと、ツーリングで富士五湖の方にでも頻繁にいらしていたのでしょうか。
富士山が見える、見えないで気持ちが動かされるのは、やはり年の功かなと思うことがあります。私も以前は、足尾の山を歩いていても、富士山が見えたところでさほどの感動もなかったのですが、最近はついじっくりと小さな富士山に見入ってしまうようになっています。
それでいて、富士山に直に登ったら、さして感動はなく、やはり眺める山だなと思っていますよ。むしろ、小さな富士山でも見えれば得をした気分になります。
戦時中は、富士山が米軍の良い目標になったらしく、B29の編隊が富士山が見えたところで東西に分かれて空襲したとか。どうでもいいことですが。
三ツ峠は候補に上げたままにせずに行ってみてください。私は付き合いも含めて3回ほど行きましたが、正面の富士山はデカいですよ。気分的な比較の意味合いからも相応の冨士見があってもよろしいかと。ただ、山頂付近は足が結構泥んこになりますから要注意ですね。
槍ヶ岳は今のところ気にはなりませんが、そのうちに気になるようになるのでしょうか。アルプス詣でが繁くなっているハイトスさんにはそうかもなと思いもしますが。
大きく見えて、満足ですね.画像もグッドです.
昨年から富士山をあちこちから撮ってみようと考え、少しづつ行ってます.
私は、いつも出発時刻が遅いので皆さんの様にクリアな姿を見ることが出来ていません.
反省はしてるのですが、ちょっくら治りそうにはありませんので、これからも似た様なものかなと、9割は諦めています(笑)
富嶽12景は昨年初めて知った景勝地で、まずは取り敢えずですが雁ヶ腹摺山に行ってみます.
私にもどこから見ても富士山は同じで、その下の絵柄が違うだけです。ただ、北から眺めるのと南の静岡側から眺めるのではコブ(宝永山)の有無で多少は違いますけどね。私はコブなしの方が好きですが。
やはり雪田爺さんも富士山がお好きなようで。北関東の山から富士山が見えた。ラッキーと喜んではいても、ただの小さな白い三角山にしか過ぎない。それならと、どうしても近づいて見たくもなりますよね。
雁ヶ腹摺山には近いうちに再訪したいと思っておりますが、林道の冬季閉鎖で今の時期は金山温泉から行くしかないようですね。ただ姥子山にも寄れるというおまけは付きますけど。
確かに朝早く出向くしか仕方はありませんわね。昼過ぎになったら、富士山も逆光になってくる可能性も出てきますし。
そして左に映っているのが御正体山か今倉山か決めかねてます。
二十六夜山は二つあって今倉山近くのほうは富士が見えたと思います。今倉山も富士は見えました。ただし朝日山は27年前のころは木の間越しにしか見えなかったと記憶します。でも秋山峠から見えたと思います。
倉岳山と高畑山は確か2度ほど訪れてますが昔から人気の山でハイカーは多かったです。道志の山はハイカーが比較的少ないかと思います。鉄道でのアプローチが難しいのでです。
それにしても,たそがれさんの自宅から2時間で行けるというと私とあまり変わらないのですね。ちょっとびっくりです。
山梨の山は土地勘がないのでぶなじろうさんの記事で高畑山は知っていたものの地形図と併せて眺めてああここの山だったかと改めて分かった次第です。
二十六夜山への稜線、破線はなくても某アプリを見ると登山道はあるようで。時間的には行けそうですがアップダウンに飽きそうです。
倉岳山から富士の白い部分は綺麗に見えてますが私はここまで近づくと全体像が見たくなります(笑)。南西の方にある杓子山辺りが邪魔みたいですがその辺りの山に登れば全体が拝めるのかなと。まあ丸見えよりもこちらの方が風情があるのかもしれませんけど。
狩猟に関してのおかしな看板、との記述がありましたが確か数年前この近辺で登山道を歩いていたハイカーが誤射されて大けがを負ったというニュースを見た記憶があります。登山道でも油断できませんね。
どうやら、高畑山より倉岳山からの眺めのほうがよさそうに拝見しました。いずれ倉岳山にも行ってみますヨ。ちなみに、九鬼山は高畑山からの展望に劣ります。
ハイトスさん同様、私も富士山は登るより、見る山ですね。
どうも雪山には足が向かず、この辺りの低い所から歩いてみます。春先には、たそがれさん既登の三ツ峠、清八山、本社ヶ丸などにもと思っております。
てっきり足尾とばかり思っておりました。でも2時間で行けるなら、この時期有ありかなと思いました。でも裾野まで見たいので河口湖周辺の鬼ヶ岳あたり再訪かなとビジュアルを気にしちゃいます。せっかく行くなら・・・なので。三ツ峠はお勧めなのですね。富士山はまだ登ってませんが6月くらいかなーと漠然と考えているだけで、まだ足が向かないです。猟やらゴルフやらリニアやら歴史ある場所にはあまり合わない感じですね。喫煙はいつでもやめられる感じゃなかったでしょうか?