maidoの”やたけた”(ブログ版)

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喜愛香港-047 香港の結婚式 -4

2004-03-31 16:09:30 | 虚々実々-喜愛香港

さすがに麻雀は6時頃には終るんですて。
6時半頃に新郎新婦とご両親が、舞台の上から簡単に挨拶するんやそうです。
仲人、主賓の挨拶、テーブルスピーチなんかは無し。
ほんで、料理が出るのは7時頃やねんて!
それまではこないして、カボチャの種、蓮の実やらのナッツ、甘草漬けの陳皮をつまみながら、お茶や軽いお酒を飲んだり、ガヤガヤ皆んなで楽しむんやそうな。
ティパーティとマージャン大会が同時進行してるんですなぁ。
2時からというのは「2時からお待ちしていますので、ご都合の良い時にお越しください。」という事なんですね。

そうと知ってたら、ここへ来る前にお粥の一杯でも食べとくんやった・・。

ほんなら、時間はタップリ有るし、丁度良い機会やから、香港の結婚式やら披露宴の諸々をおしえてもらおう!
と、そこへ新郎新婦が「ぞうぞ見てちょうだい♪」と持って来てくれたのは立派な写真集。
表紙には靄が掛かったような美人の横顔、ん?これはゥエンちゃん(新婦)やないか。
中をみたら、タキシードにイヴニングドレスあり、ちょっとお洒落な普段着ありで、それはエエけど、まぁ臆面も無くベタベタ大甘の宝塚歌劇も赤面しそうな写真の数々。
それにしても星型のゴーストやら紗をかけたり少々クサ目な演出やなぁ。
バックに咲いてる花を見たらこれは夏前に咲く花やで・・・。
場所も九龍、香港のいかにもラブロマンスの舞台にピッタリの場所が総動員。
これは、The Peak と呼ばれてる高級住宅街の何処ぞの邸宅ちゃうか?

こういう写真集を作る人が多いんやそうですわ。
衣装を借りてロケして、何ヶ月も掛けて作るんやて!
という事は結婚式のズーッと前からこんな事やってるんやねぇ。
光の加減を見たらレフ(反射板)あててるから、カメラマン含めて最低スタッフが2~3人で掛かってるね。
ちょっと味付けが濃い過ぎる気もするけれど、レフも銀あり金ありで中々凝ってるやんか!
しかし、こんな映画のシーンみたいな気障なポーズを、カメラの前で出来るというのは新郎もエエ度胸してるなぁ。
カミさんも「エエねぇ!こんなん・・・」とお気に入りみたいですわ。
私はどうにもこうにも照れ臭うてようせんで・・・。

これだけ立派なのを作ろうと思えば、一切合財引っ包めて日本円で十数万円、場合によっては数十万も掛かるんやそうです。
花嫁の妹のシュイちゃんは大感激、「私も絶対こういうのを作る!」と雄々しく宣言しました。
それはエエけど、先に相手を見つけなあかんがな。
(「Today's maido の2003/11/08 」でも書きましたが、シュイちゃんは2003年秋に無事結婚しました。)

ゥエンちゃんはスタイルはエエし可愛いから割安で済んだんやそうな。
「エッ、どういう事?」と訊いたら、デブでもヘチャでもスタイリストやメーキャップの専門家が寄って集ってそれなりの美人に仕立て上げてくれるんやて。
そんな事できるんかいな?と言うたら「スターウォーズ見た?あのメーキャップよりはずっと簡単よ!」
それはそうやろうけど、それでも土質改良、地盤工事に手間が掛かるから、相当割高になるんやそうです。
オイオイ、いっそ替え玉使う方が手取早いのとちゃうか?

そう言えばさっきからそこいら中でパシャパシャ写真写してるねぇ。
香港人は写真好きなんやねぇ。
「ユム君も結婚する時はこんなん作るのん?」
「僕はお金あんまり無いからもう少し簡単なのを」
やっぱり作るんや!

写真集をワイワイいいながら見終わったところで、さてお勉強。
服装は圧倒的に平服ですなぁ。
平服どころか上着無しの人も結構居てまっせ。
それも相当気楽な服装の人もかなり居てるねぇ。
余程格式ばった大富豪の披露宴以外は所謂礼服を着るのは当人と親までやそうです。
日本で一般的な略礼服+シルバータイなんぞは一人も居てない。
仮にそんな格好で出席したら、浮きに浮いてしもて居たたまれんやろね
第一、略礼服そのものが存在して無いんや!
略礼服なんてなものは何処の洋服屋の陰謀か知らんけれど、瞬く間に普及しましたなぁ。
私、へそ曲がりやから持ってませんけどね。
白は葬式の色やからネクタイは白以外の明るい色がエエんやそうです。
ほんならワイシャツも白や無しに色付きやないとイカンのかいな?と思えばこれは白でもOK。

女性はこちらもほとんど好き勝手な服装ですなぁ、シュイちゃんはカクテルドレスやけど、妹やもんね。
花嫁のウエディングドレスも以前はピンクとか赤、金やてんて。
最近は純白のウエディングドレスを着る人もかなり有るそうで、香港でも段々古いシキタリは薄れて来たんですねぇ。
クリスチャンの場合など結婚式の日に披露宴をするのが一般的で、そんな時は何回かお色直しをするそうです。
招待客を送リ出す時に「古装」という民族衣装?を着る人も有るんやそうですが、シュイちゃんは厭やて。

私、無難な所でグレーのネクタイしてきたけど「これはどう?」と訊いたらOKやそうです。

2004/03/31

喜愛香港-048 香港の結婚式-5

喜愛香港-目次


喜愛香港-046 香港の結婚式-3

2004-03-30 16:06:39 | 虚々実々-喜愛香港

「こちらへどうぞ、」とユム君についてゆくと既にテーブルがセットされてます。
「こっち側のテーブルです」と言われたテーブルにはメニューと「女方親友」の札が立ってるんです。
親友いうから友達の席かいな?と思ったら、親戚、友人やねんて。
席は自由に座ったらエエらしいんです。
こういう気楽な雰囲気の披露宴は好きやなぁ。
堅苦しいのにはあたった事が無いけど、そもそも堅苦しい大層な人とはお付き合いしてないもんなぁ。
何かにつけて好みが似てるから親しくお付き合い出来るんですよねぇ。
こういうスタイルが香港では一般的なんか、それとも堅苦しい方が多いのか、そこいらあたりは不明ですわ。
それにしても食器が豪華やねぇ。
まえ昼飯を食べにきたときとはエライ違いやなぁ!

遅ればせながら、どういう段取りになっているのか、教えて貰わん事にはどうにも落着きませんね。
先ずは座ってお茶でも飲みながら教えてもらおうと思ってると、奥さんの末弟のマンサン君が「ワァ~、久し振りです!」とやって来ました。
彼の国籍は中華人民共和国で今の住まいも広州市。
「日本に留学したいと言うてる、アンタの目が届く所なら安心やから、住む所と大阪の日本語学校を段取りしてちょうだい。」と頼まれましてね。
住む所はウチの会社から2~3分のワンルーム。
学校は案内パンフレットを集めて香港に送って、上六(上本町6丁目)の近所に決まったんです。

義兄に連れられて来たのは良いけれど、日本語は全然駄目、英語ももう一つ、旧漢字(繁字体)今一やけど簡略字なら任してちょうだい。
筆談するにもコチラは簡略字に余り馴染みがないし、最初の数ヶ月お互いにエライ目に遭うたんです。
同じ廣東語でも香港と広州では大阪弁と神戸弁くらいの違いが有るのもこの時初めて判ったんですわ。
天安門事件を挟んで4年居て日本語ペラペラになってたのに、帰って廣東語だけの生活を3~4年ほどしたら相当怪しい日本語になってしもてるねぇ。
怪しさでは私の廣東語が圧倒的に勝ってるけどね。

シュイちゃん(妹)はUCLAの学生だけあって米語ペラペラ、ペラペラ過ぎて最新米国若者言葉が私には判れへん・・・。
普通話(共通語≒北京語)も堪能。
ユム君は香港仔で育って、日本でいえば高校卒業後働きながら独学で英語をマスターして、貿易会社に勤めてる位やから頭の良さと根性は折り紙付き。
彼は商業英語が混じる英語と廣東語の香港仔風味。
二十歳前半の頃、日本連絡事務所開設に単身来日して、約2週間一緒にのた打ち回った事があるから気心は知れてるし、掛け値なしにエエ奴です。

私はと言えば、米、英語、廣東語どれもカタコトまでも行くか行かんかの情け無い語学力。
怪しげなカタコトも、数撃ちゃその内どれかはあたるやろ、と連発性能だけが頼り。
大阪弁なら少しは自信があるけれど、そんなもんこのメンバーでは何の役にも立ちまへんわ・・。
カミさんはNHKの教育テレビで齧った北京語と廣東語、英語なんぞは遥か忘却の彼方。
コンガラガル気持は判るけど、私に向かってカミさん廣東語使わんといて欲しいなぁ。
もう言葉がゴッタ混ぜ、それでも何とか会話になるのが恐ろしいね。

ところで、人はかなり増えてきて、新郎新婦とご両親は会場内を動き回ってご挨拶に写真撮影に大忙し。
招待状に書かれてた時間からすると既に始まってる事は間違い無い。
それも2時間以上は経ってるで。
記帳は結構な人数がしてたようやけどなぁ?
どう見てもこの部屋にいてる人数の倍は来てるはずやのに、一体何処へ行ったんやろ。
まさか病院の順番取りやあるまいし、一応記帳しといて帰ってから頃を見て出直す筈はないしなぁ?
四苦八苦してユム君に訊ねたら、早い人は昼頃から来て、別室でマージャンしてるんやて。
新郎新婦、ご両親が時々どっかに言って見えんようになるのは、マージャン部屋へ戦況視察と激励に行ってるんやそうな。

「それは是非見とかんといかんなぁ!」と奥のほうの部屋に行って見るとドアを開けた途端にグワラグワラ、と物凄い騒音。
ざっと10卓以上の勝負が展開中。
周りの見物人も合わせたらなるほど此処に結構な人数が居てたんや。
「何時でも参加出来ますよ。どう?」と言われても、見るところ昔ちょっとやった日本の麻雀とは様子が違う。
とにかく牌がデカイ!見慣れた日本の牌の3~4倍は有るねぇ、それにグリーンやピンクのゼリーみたいな色やんか。
牌を積みしなに下手に指を挟みでもしたら血豆が出来そうやね。
オマケに何やら派手な模様の牌も混じってるなぁ・・・。
捨て牌を並べずにポ~ンと放り投げてるのは、筋もヘッタクレも無いのんかいな?
ひょっとしたら筋どころか「現物でも当たりOK」てな仁義無き戦いか?

点棒無しで、最初に「これだけ!」いうて自分で決めた額の現金置いて、毎回決済するんやて。
ほんで上がったら交代できるんやて、交代せんと居続けてもエエそうやど、そこは適当に入れ替わってるようですなぁ。
ほんなら、上がらん限りは抜けられへんのかいな?そら又辛いでっせ。
負け続けて最初に置いたお金が無くなるか、ゴメン言うたら抜けさせてもらえるけど、そうなると二度と同じ卓には参加出来んそうな。
「何時もニコニコ現金払い、お金無い人あっちゃ行け」いかにも香港ですねぇ。
入れ替わり立ち代りメンバーが流動的なんは、そういう事か。
周りにいてるのは見物人かと思ったら、何時でも参戦する気充分の順番待ちなんですなぁ。
それにしても掛け声のけたたましい事、怒号飛び交う修羅場でっせ。
牌を捨てるとデカイだけに地響きしそうですなぁ・・。
到底私ごとき初心者が混じったんでは、丸裸にされて無事に済みそうな気がせんのでトットと退散。

耳の奥にグワラグワラいう音が地鳴りみたいに残ってるねぇ。
香港て賭博禁止と違ごたんかいな?それともこういう時は特別にお目こぼしなんやろか?
よし、開宴時間が早いのも、お客の行方も判明した。
ところでこの状態で食事が出て、ズ~ッとズルズルベッタリ止め処なくやるんや無いやろな?
気楽いうても程度があるよ・・。

「開宴の辞」てなものは無いのんやろか?

2004/03/30

喜愛香港-047 香港の結婚式-4

喜愛香港-目次


喜愛香港-045 香港の結婚式-2

2004-03-29 16:04:56 | 虚々実々-喜愛香港

一大決心で筆を持ったら、周りの皆んなが私の手元を注目しますねん。
筆を持っただけでもドキドキしてるのに、そないに見られたら余計に緊張しますがな。
自分の名前さえ間違わんと書けるかどうか、自信が無くなって来た。
苗字は字画が少ないからほぼ大丈夫やねんけど、名前の方で線が1っ本余分やったり足らんかったりはたまにやるから油断は出来ん。
7~8年間寝たきりの親父の代役で、記帳や署名に親父の名前を書く事が多かったので、一時はよう間違えて親父の名前を書いてたねぇ。
さすがに最近はそういうのは無くなったなぁ。

これは落ち着かんとイカンとカミさんに「先に書いてんか」と言うたら、「私のもついでに書いといて!」と言うが早いか何処っかへ行ってしもた・・・。
記帳を代筆させるとはあんまりやないか?

先に人が書いた横っちょの、上手い事目立たん場所を見つけて、さて早い事コチョコチョっと誤魔化してしまおうと思うたら、「一寸待って!」
テーブルの上を片付けたかと思うと、テーブルクロスを半回転。
誰一人書いていない、広大な真っ赤っかの全くの処女地が出現しました。
おめでたい席で、「お前等嫌がらせしてるんか?」と揉めるわけにも行かず、老眼鏡をかけ直したものの、周りがはっきり見えたら、ますますドキドキしてきた。
しゃがみこんで裾のへんに書くのは余りにも怪体やし、そうや、端のほうにコソッと書いたろ、とテーブルの端に移動したら、にこやかな顔でド真中を指でトントンと示して「此処に書いてちょうだい」。
無理に逆らうのも何やし、もう逃れられん・・・。

プルプル震える筆の先を布に降ろしたら、墨がサッと滲むんですわ。
これはイカン、このままやと単に墨をこぼした汚れみたいになるがな!
慌てて、一旦筆を布から離して、今付けたばかりの墨のシミを見ながら考えたんです。
いや考えようとしたんですわ。
な~んにも思いつけへん。

ただ、ゆっくり書いたんではイカン、一気呵成にシャシャッと筆を走らさんと、上手い下手どころか、折角の寄せ書きがワヤクチャになる、と言うのは今の染み込みかたで見当がつきます。
ま、私の悪筆が混じるだけでも充分ワヤクチャやねんけどね。
「ポイントはスピードや、よし!」と呼吸を整えてやけくそでピャッピャッと書いたら、自分でも驚くほどの、悪筆を通り越した殆ど模様みたいなもんが書けてしもた。
事のついでにカミさんの名前も書いといたれ。
もぉこうなったら毒を喰らえば皿まで、濡れぬ前こそ雨を厭へ。
オットット、危くもう一回自分の名前を書きかけたがな。
しかし、何ぼなんでもこれでは誰の名前か後で見ても判らんなぁ・・。
恥をかきついでに、横にボールペンで名前を書いときました。
どうです、この行き届いた心遣い。(得意の開き直りですなぁ)

ドッと疲れて振り向いたら、カミさんがカメラ持って直ぐ傍に居てますねん。
人が苦労してるところを写真写してたんやて。

一息ついたところに新郎新婦、ご両親がやって来て改めてご挨拶。
レレレ?カミさん廣東語で何かいうてるがな?
さては、飛行機の中から妙に無口やと思ったら、このお祝いの台詞を忘れんためやったんか!
それにしても、そろそろ3時になるのに、あんまり人が来てないなぁ?

今のうちに写真でもと誘われて舞台に上がって記念写真。
どうも段取りが飲み込めんねぇ・・。
其処へ新婦の妹さんのシュイちゃんもやって来て、まぁ綺麗になったねぇ!
シュイちゃんは近視のトンボ眼鏡を掛けてた中学生の頃からみると、まるで別人。
高校生の頃、家族で日本に遊びに来た時にも、トンボ眼鏡をコンタクトに替えてて見違えたけれど、いよいよお年頃になってホンマにエエ娘さんになったねぇ。
彼女は只今UCLAで会計学を勉強中。(2003年9月にめでたく結婚しました。)
新婦のお姉さんも美人、この家計は美人筋の秀才筋やなぁ・・・。
ウチは何筋やろねぇ?
御堂筋の近くで子供等は生まれたんやけど、しいて言えばヤタケタ筋では可哀想やねぇ。
シュイちゃん、昨夜ロスから帰って来たとこで、まだ眠むたいとボヤイてますねん。
「たしか初めて逢うた時もパジャマのままで『深夜TV見てたからまだ眠むたい』言うてたで」
「あの姿を見られたのは一生の不覚!まさかお客さんが居るとは思ってなかっのよ」
そらそうでっせ、お客さんが居るのを知ってたら、歯ブラシ咥えてパジャマでウロウロ出て来んわなぁ。
新郎新婦のセットは、新しいお客さんが到着したのでそちらへご挨拶に行ってしもた。

所で披露宴はどないなってんねんな??

2004/03/29

喜愛香港-046 香港の結婚式-3

喜愛香港-目次


喜愛香港-044 香港の結婚式-1

2004-03-28 08:36:37 | 虚々実々-喜愛香港

香港の結婚式と大看板を出してますが、私の友人の娘さんの結婚式のお話です。
多分香港の中流家庭の結婚行事としては極普通やと思います。
新郎は香港大学卒業後、香港政庁教育関係に勤め、新婦は同じく香港大学卒業後一時教職について、現在は外資系の保険関係に勤めてるんです。
掛値無しの秀才才媛の夫婦ですなぁ。
両方とも親は社長。
社長と言うても従業員20人そこそこの会社やから驚くことはないんです。

まだ今ほど景気が悪くなってなかった頃、春に香港の友人夫婦が日本に遊びに来まして、一緒にメシを食べたんです。
たまたま、「秋に会社の慰安旅行で香港に行くつもりや。」というたら、「細かい日程が決まったら是非知らせてくれ」と妙に熱心に頼まれましてん。
その時「娘が9月の末に結婚する事が決まった。」というので、「何ぞお祝いをせんとイカンなぁ」とカミさんと言うてたんです。

8月になって日程表を送ったら、折り返しみたいに披露宴の招待状が届いたんですわ。
ありゃ?行ったり帰ったりせんとイカンのかいな?と日にちを見たら、慰安旅行の到着日。
驚いたのは結婚式と披露宴が1~2週間とか、えらい日にちが開いてるんです。
最近、言うてもそろそろ4年前になるけれど、ウチの子供らの場合は式が済んで同じ日に披露宴、日本では大抵1日で済ますんとちゃいますか?

開宴が午後2時という事は、当時の啓徳空港からホテルに直行、着替えて直ぐに行ったら、充分間に合う。
追っかけて手紙が来て、何とウチの日程に合わせたんやそうな。
「そやから、夫婦で是非出てくれ」と念を押されてしもた。
神戸で華僑の知り合いの結婚披露宴に行ったり、台灣の田舎で通りすがりの披露宴に引きずり込まれた事はあるけれど、香港のは知らんで。
あの時は皆んなどんな格好してたかいなぁ?
黒のダブルやダークスーツにシルバー・タイが多かったような記憶がある。
兎に角旅先やから、ダークスーツで堪忍して貰お、と背広をもって行きました。

税関を出たところで、スマンと皆んなを添乗員に預けて別行動。
滅多に乗らんタクシーに乗って、九龍のホテルに直行。
充分間に合う筈が、ホンハムのあたりで車が混んでこの時点で遅刻確定。
「時間通り最初から来なくても、ゆっくり来てくれたらエエ。」とは言われてたけれど、あんまり遅れるのも何やしねぇ。
ホテルのフロントに「早よせぇ!」とヤイヤイいうてチェックイン。
急いで部屋に入って、暑いのに背広に着替えて、会場は香港島やから、タクシーよりも地下鉄が早いと、息せき切って吹っ飛んで行きました。

交易廣場の「粤江春」が会場。
場所は何度か来たことがあるから先刻承知、
階段にピンクのリボンや花が飾ってあって、レストランの1フロアー借り切り見たいです。
階段を上がった所にユム君が居て「早いねぇ!」と驚かれたけれど、コッチは30分以上遅刻してる積もりですねん。

緊張しております・・・
ツルツルしたサテンみたいな赤いテーブル・クロスが掛かった受付のテーブルへ行って招待状を見せると手元の名簿を見て、多分「ようお越し!」という風なことを言うたんでしょうが、はっきり判らんかった。
お祝いを出したら、本人に直接渡してくださいと言われましてん。

「それより、先ずサインを。」と筆と硯を指差されたけれど、芳名帳が見当たりません。
「ん?芳名帳は何処や?」
「このテーブル・クロスにどうぞ」
見ると既に其処彼処に達筆でサインをしてあるんです。
おめでたい成句みたいなんを添え書きしてる人もありますねぇ。
それも帳面と違って、場所がたっぷり有るから皆さん字がでかい!
まさか、テーブルクロスに寄せ書きするとは思わんかったね・・・。
そもそも悪筆には自信があるんです。
帳面やったら何人か書いたらページが替わって、全員に見られんで済みますやんか。
テーブル・クロスではそうは行かん。
ズーッと参列者全員の目に曝される。
これはビビリまっせ。

紙にボールペンでさえマトモに書けんのに、布に筆でなど滅相も無い。
「名刺を糊で貼り付けたらアカンやろか?」と訊いたら大笑いされた。
私、真剣に言うたのに、そないに大笑いせんでもエエがな・・。
「字が下手やから、わざわざ来て頂きましたが、今日のところはお引取りを」なんてな事も無いやろう。
「ええい、こうなりゃ下手でも何でも書かんとしょうがないか、せめて字だけは間違わんようにしよう」
というのは、以前、日本の某披露宴で「色紙に寄せ書きを」と各テーブルに色紙が置いてあって、ウチのテーブルで最長老と目される方に先ずド真中に「祝」と書いてくださいと頼んだんですわ。
「いや~、とても・・」とか何とかいうて逃げようとするのを、無理やりにお願いしたら、「おめでたい席やし、それでは一つ」と書いてくれはったんです。
さすがは年配者達筆で墨痕淋漓と「税」・・・。
よっぽど普段から悩まされてはったんでしょうなぁ。
慌ててホテルにお願いして代わりの色紙を貰ったことがあります。
テーブルクロスでは代わりは無理やろね。
まして、既に何人か書いてはるし、もう一回書き直してくださいとはねぇ。
名前だけにして要らん事は書かんとこ。

「一路平安」を「一路不安」とでも書いたらただでは済みまへんで・・・。

2004/03/28

喜愛香港-045 香港の結婚式-2

喜愛香港-目次


喜愛香港-043 西貢 04

2004-03-23 08:33:58 | 虚々実々-喜愛香港

これ以上は無いというほど満腹になって、外へ出てよくよく見れば「泰式餐廳(タイレストラン)」と書いてあるがな・・。
香港の漁村まで来て、わざわざタイ料理屋に入らんでも良さそうなもんやねぇ・・。
しかし、あれはタイ料理か?どう考えても限りなく中華に近いとおもうがなぁ・・。
シャコの料理は美味しかったし、メロンもご馳走になったからエエとするか。

さっきの魚屋の兄ちゃんが暇そうに道を眺めてたので手を振ると、
「美味しかったか?」
「天上第一號(最高)!多謝(トォチェ=ありがとう)」
「好、好(ホゥ、ホゥ=良かった良かった)!」
「バイ、バイ」

バス乗り場に行くと、丁度バスが来た所。
学校帰りの学生が何人か降りてきたけど、こんな人数では儲からんやろなぁ。
さっきまでの良いお天気がちょっと怪しい雲行きになってきましたねぇ。
バスの時間を見ると出発は30分後。
腹ごなしに海岸を散歩して帰ってきたら適当な時間やったので乗り込んだけれど、お客は我々2人だけかいな?

これから沙田までは最初は黄竹湾(ウォンチュックワン)までは西貢海沿い、そこから半島を縦断するミニ峠越え、浪徑、水浪窩を通って、企嶺下老圍からは企嶺下海沿い、その後は吐露灣を見ながら烏龜沙咀の根元を横切って、馬鞍山から沙田海の傍を走ります。
九龍半島でも、ここの海の景色は格別ですねん。
吐露灣の景色を楽しむのも西貢までやって来た目的の一つなんですわ。
そこで2階建バスの2階の最前列に陣取りました。
見晴らしが良すぎて空中に浮かんでるみたいやねぇ。

出発した頃にはいよいよ雲行きが悪くなってポツポツ雨が落ちだしました。
各駅停車のバスやのに、乗ってるのが2人だけ間のバス停にも人影は無しとなると飛ばす飛ばす。
峠道なんかは完全にジェットコースター気分。
のぼりの天辺近くなんか、空しか見えへんのです。
2階席やから、風に煽られての横揺れも豪快、目線が高いからスリル満点。
時々道端の木の枝が風で揺れて屋根に擦れるんですわ。
妙なもんで、屋根が有るのに枝が当たりそうになると、思わず首を引っ込めますなぁ。
小雨の中の景色も中々粋なモンなんですが、惜しむらくは2階の前正面の窓にはワイパーが無いんです。
雨粒があたって、ほとんど抽象画みたい。
それでも横の窓からは、吐露灣を結構楽しめました。
お天気が良いと島が点在して明るくて、アッケラカンと綺麗なんですが、ドヨドヨの天気だと、水墨画みたいな雰囲気で幻想的ですなぁ。

この辺りの海は古くは海賊の根拠地やったそうです。
宋の時代には既に海賊が勢力を張っていたというから、海賊にも歴史と伝統がおますなぁ。
中国の海賊というのは、盗人だけや無しに、全王朝の遺臣が反政府運動をしたのや、貿易商(海商)の一部も海賊扱いされてるんやそうです。
どうも漢民族というのは海に縁が薄く、南越と呼ばれて蛮地扱いされていた浙江、福建、廣東は海と仲がいいようねぇ。
魏志倭人伝に記された倭人の風習と、南越の風習が良く似ているんです。
こっちへ迷い込むと又香港がお留守になるから今は止めときますわ。
政府の海上管理が行き届いてないから、ホンマもんの海賊と対抗する為に交易船は武装せざるを得ず、その内、だんだんその境界が曖昧になったしもたらしいですね。
海上交易は海難や海賊による被害の危険が大きく、相互扶助組織の幇(パン)のネットワークが重要なので、私的な組織が力を蓄えるのは仕方がない面もあったでしょうなぁ。

第二次大戦中広東省を占領した日本軍が香港を攻めるときに海賊の組織を利用したとか、香港が占領されてからは、英国、国府、共産がそれぞれ海賊を使って秘密工作をしたとか言われてますね。
いまだに、当時の工作資金や貴金属を積んだジャンクが何処其処の灣に沈んでるやの、何処かの島に金塊が埋めて有ると言うような話が出てきます。
そういう話をされると信じてしまいそうな雰囲気が有る海ですねぇ。

こういうネズミ色の吐露灣を眺めていると、舳先に目玉を描いてマストに五星紅旗を掲げた大目鶏が、柿色の帆に風を孕ませて走って来そうな感じがします。
共産中国が竹のカーテンを張っていた時代、この海は密輸船が横行する名所やったんです。
大埔や沙田の港は密輸船を締め出すために灣の入り口に鎖を張っていたというぐらい、仰山徘徊してたんですなぁ。
海賊船や密輸船などという、秘密を積み込んだ帆船というのは、曰く云い難い魅力が有りますねぇ。
かというて、そんな仕事をしたり、係わり合いにはなりとうないけどね。

馬鞍山はさすがに大団地、停留所でお客が乗ってきて2/3ほど席が詰まりました。
雨はいよいよ本降り。
「この山の向うに前に見に行った客家の住宅があるんやで」というても雨で煙って何がなにやらよう判らん。
沙田からは九広鉄路(KCR)、九龍塘で地下鉄(MTR)に乗り継ぐから濡れはしませんが、晩飯を食べに出るのが鬱陶しいなぁ。
幸い沙田に付いた時には少し小降りになってました。

九広鉄路(KCR)はあまり混んでいなかったけれど、九龍塘の地下鉄(MTR)の駅は大混雑。
「何やねん?今日は何かの祭りか?」
良く考えたら平日の通勤ラッシュの真っ只中の時間帯やったんですわ。
大阪やったら、乗る客の多い駅、降りる人が多い駅と大体別れてますがな。
どの駅でも相当の乗り降りがあるのが香港の地下鉄。
そこへ持ってきて、イラチが多いから揉みくちゃにされますねん。

あれだけお腹一杯やったのに、佐敦と油麻地の中間のホテルまで帰って来たら、ちゃんとお腹が減ってましたわ。

2004/03/23

喜愛香港-044 香港の結婚式-1

喜愛香港-目次