maidoの”やたけた”(ブログ版)

ジジイの身辺雑記。今日も生きてまっせ!

2017/03/22

2017-03-22 19:41:40 | Today's maido(日記)

*会社から帰ってから、島越内科に検査用のナニを届けて来たのはエエけど、私しゃビビリやよってどんな結果が出るかドキドキですわ。
カミさんは「ドキドキしてもせんでも結果は一緒よ、」やて、どうもこういう事に関しては女性の方が肝が据わってますなぁ。

朝に目が覚める時間は一定してないのに、宵に睡魔が襲うて来るのは、昼間の過ごし方にかかわらず30分と狂わんのは不思議やね。
身体の疲れがどうこうや無しに、夕食で睡魔が来るタイマーにスイッチが入るのかな?う~ん、そうかもしれんなぁ。

目が覚めたら3時20分、検査試料を取らなイカンと思うと、緊張してか定期便が尻込みして、エライ時間が掛かってしまいましたわ。
小学校以来とちゃうやろか?いや、ひょっとしたら国立循環器病研究センター入院中にしたかも知れんけど、皆目記憶に無いなぁ。
戦後直ぐは誰も彼も寄生虫の宿主やったよって、定期的にマッチ箱にナニを入れて学校へ持って行ってたねぇ。
ほんで、軍隊毛布みたいな色の”マクリ”たらいう飲みにくい液体を、アルミの水飲みコップで飲まされてたなぁ。

もっと凄かったのは、少学2年生くらいまで、朝礼の際にDDTを盛大に身体に撒かれて、粉まみれにされてたけど、DDTは今は使用禁止でっせ。
風呂屋(銭湯)の脱衣場にも、大きな缶に入ったDDTが置いてあって、風呂上がりにつけてましたで、大掃除やいうたら撒きまくってたね。
戦争末期から戦後直ぐに生まれて連中は、子供時代に今は使用禁止になったサッカリンやらズルチンてな物もせ~だい食べてるよ。
既に向こう岸へ行ってしもた同世代の友人知人が多いのは、有害物質まみれに加えて、身を責めて働いた時代の所為も有るやろなぁ・・・。

何やかんやで時間が過ぎ、岡町駅発5時50分にやっと間に合うて、十三駅で下車して歩き出し、芝田2丁目のJRA前を6時30分通過。
JR大阪駅、梅三小路、JR福島駅経由福島小学校で7時、堂島川を上船津橋、土佐堀川を湊橋、昭和橋で木津川で渡り右岸を南下。
伯楽橋西詰南7女30分、会社着7時45分、朝はこのコースがすっかり定番になったなぁ。

仕事上では変わった有事も無く、新人に「暫くは見物人の心算で、焦らんとボチボチ行けよ、」というときましたわ。
あんまり最初から飛ばそうとしても、様子が判って無いと空回りして保たへん、ウチの仕事は短距離レースや無いよってね。

検査試料を島岡内科へ届けないかんので、午後になったらサッサと遁走、急ぐのなら、電車で帰ったらエエのに我儘で仕様ないなぁ。
梅田回りコースを快調に歩き、十三の某みずほ銀行の前まで来た時、小柄なお爺さんが「ちょっとすみません、」と声を掛けてきててね。
「何でっか?」と立ち止まったら、自転車の鍵を鍵穴によう入れんで難儀してるんやて、どれどれ?とやってみたら直ぐ開きましたわ。

「ありがとうございます、鍵が掛かったままでは押して帰るも出来ず、困ってましてん、助かりました。」
瓶の底みたいなレンズの眼鏡かけてたけど、鍵穴が見えんとは相当視力が弱ってるんやろうね、そんなんで自転車に乗って大丈夫かいな?
銀行で用事を済ませて帰るとこやったそうやけど、通行人に声を掛けるより、銀行の人に頼んだら早かったんちゃうんかいな。

その後は何事も無く帰宅、カミさんはお出かけらしいんで、食卓にメモを置いて表に出たら、カミさんが帰って来るのに出会いましたわ。
島越内科の受付に「これお願い!」と検査試料を渡してピュ~ンと帰宅、何事も無ければエエのやけど、そうは行かんやろうなぁ。


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