「道都のみんな、こんにちは! 帰って来ました、上川連です♪」
わたしが右手を伸ばして手を振ると、お帰り、待ってたよと、たくさんの歓声が返って来ました。
歓声の波が引き始めたタイミングで、司会のおじさんが舞台の袖から出て来ます。
「上川連ちゃんでしたー。今日は『ぱずるぱれっと』のキャンペーンということで、すごく可愛らしいお召し物ですけど」
「はいっ。ティツィって女のコのコスチュームで。ちょっと派手ですよね。あはは」
今日は道都のラジオ局でのイヴェントです。でも、ソーシャルゲームのキャラクターをイメージした真紅の衣装は、まだちょっと着慣れません。いつもは舞台でのお仕事が多いから、お客さんとの距離が近いイヴェントにもちょっと戸惑ってしまいます。
だけど客席から、
「かわいい!」
「似合ってる!」
と声が飛べば、やっぱりうれしいです。わたしは、声のした方に視線を送ると、小さく手を振りました。
慣れない仕事を持ってきたのは、もちろん事務所のマネジャーさんです。
「お芝居そのものももちろん大切だけど、お芝居の幅を広げるためには今のうちにいろんなことをやっておくのが大事なの」
というのが口癖みたいになっているマネジャーさんは、
「年相応の、女のコらしい仕事よ。いい経験になるわ」
と言って、今回の仕事を取ってきてくれたのです。
だけどその時の、チェシャ猫のような笑顔には、それ以外の意味も含まれていたように思います。
だって。
ホールの入口近くの壁際で、歓声を上げるひとたちに遠慮するように立っている、すらりとしたふたつの影は。
おねえちゃんと、ゆうにいちゃん。
北海道に住んでいるふたりに、わたしが仕事をしている姿を見せる機会はとても少なかったから。
道都でのイヴェントがあるこの仕事は、わたしの晴れ姿を見せることが出来る、めったにない機会だったのです。
マネジャーさんはそれを知って、わたしにこの仕事を持ってきてくれたのでしょう。
「どうもありがとー!」
最後に大きく手を振って、舞台を下りて。
楽屋に飛び込むとわたしは、急いで衣装を脱ぎ捨てました。
赤と白の、タータンチェックのスカートと、ファーのついた淡いピンクのコートに着替えて。髪のリボンは、スカートと併せた柄のものに結びなおします。
そのまま楽屋を飛び出しかけて。
「いけない、これを忘れたら元も子もないよ」
わたしは楽屋の隅に置いてあった、デパートの紙袋を手にとりました。
昨日、東京のデパ地下で買ってきた、チョコレート。
バレンタインデーの、チョコレート。
手作りすることは出来なかったけど、どんなチョコレートならゆうにいちゃんに喜んでもらえるだろうって、昨日1時間以上も悩んで選んだチョコレートです。
ゆうにいちゃんはおねえちゃんと一緒に、地下街の広場で待ってるって言っていました。
急がなきゃ。
わたしはコートの裾を翻し、
「行って来ます」
やっぱりチェシャ猫の顔でわたしを見ているマネジャーさんに言い残して、外へと駆けだしました。
通用口から外に出て、雪祭りが終わったばかりの街へ。
小走りに粉雪の舞う歩道を急ぎ、地下街に飛び込みます。
地下街はどこもかしこも、ピンクのハートマークであふれていました。
チョコレートを売っているお菓子屋さんはもちろん。花屋さん、時計屋さん、洋服屋さん、文房具屋さん。いろんなお店がハート模様で飾られて、地下街から甘い匂いが漂ってくるみたいです。
あ。
いけない。
ゆうにいちゃんに、チョコレートだけしか買ってきてないや。
今からでも、何かプレゼント、買おうかな。
一瞬、そう考えたけれど。
今すぐに、ゆうにいちゃんが一番喜ぶものを選ぶなんて、……自信がなくて。
それに、ゆうにいちゃんとおねえちゃんを、これ以上待たせることは出来ません。
わたしは思いなおして、待ち合わせの場所に急ぎました。
蛍光灯の明るい光の中に、20年以上前に流行ったというバレンタインソングが踊っています。待ち合わせ場所の広場に近づくと、人の数が増えて、地下街がいっそう賑やかになった気がしました。
でも。
ゆうにいちゃんは人込みのなかでも、すぐに分かります。
すらりとした、背の高いシルエット。
でも、ゆうにいちゃんはわたしが来るのとは別の方向を見ていて、わたしには気づいてません。
何かを見つけて、遠くを指差して。
おねえちゃんに、笑いかけていました。
「…………!」
その瞬間。
急いでいたわたしの足が、急に止まりました。
胸の奥がつきん、と痛んだような気がして。
髪から汗が一粒飛んで、蛍光灯の中に光って、消えて行きます。
ゆうにいちゃんのとなりで、ゆうにいちゃんと一緒に、おねえちゃんが笑っていて。
シックなスタンドカラーのコートに、お気に入りのアイボリーのベレー。群青と濃緑色のチェックの深い色をしたロングスカート。
そんなおねえちゃんは、デニムに黒のダウンコートを大きく羽織ったゆうにいちゃんによく似合っていて。
きゅっと。
わたしは小さな手で、ピンクのコートの胸許を握りました。
わたしなんかじゃ、似合わない。
子供のわたしは、背の高いゆうにいちゃんには、釣り合わない。
誰がどう見たって。
このチョコレートにどんなに思いをこめたって。
届かない。
ゆうにいちゃんに似合うのは。
大人っぽい、おねえちゃんみたいな女のひとだ。
握った手の中で、チョコの包みがくしゃっと音を立てました。
俯いた視線の先、ショートブーツの爪先が滲んで、ぼやけて行きます。
うん。
そうだよ。
ゆうにいちゃんと、おねえちゃんが幸せになるなら、わたしはそれで幸せ。
だから。
これでいい。
だけど。
そう思うと、やっぱり胸の奥がつきんと痛んで。
その痛みに、気づかされます。
まだ、何も終わったわけじゃない。
わたしだって、もう少ししたら。
ゆうにいちゃんに釣り合うような大人になるんだし。
あきらめることなんて、
ない。
わたしは目を閉じ、深呼吸をします。
まぶたの端から溢れた雫を指先でぬぐって。
前を向いて。
あきらめた顔なんて、見せるもんか。
弱気な心は、隠してしまえ。
大丈夫、
わたしは、女優なんだから!
「ゆうにいちゃん!」
わたしはもう一度駆けだして、背の高いシルエットに向けて、大きな声で名前を呼びました。
「お、連。お疲れ!」
それに気づいたゆうにいちゃんが右手を挙げて、応えてくれます。
視線がわたしだけを捉えて。
ゆうにいちゃんは、とびっきりの笑顔をわたしに向けてくれました。
(投稿:びぜんや様)