MAICOの 「 あ ら か る と 」

写真と文で綴る森羅万象と「逍遥の記(只管不歩)」など。

秋の彼岸は彼岸花

2011年09月24日 | あらかると

昨日田舎に彼岸のお参りに行った。
田舎に行く時は殆ど兄夫婦の車に同乗して行くのだが、
車中でなんとなく探していたのが、
前回電車の車窓から見て気になっていた「彼岸花」。

結果的には田舎の道すがらのあちこちで咲いているのが見つかった。
と言うことで本日、昨年見つけた都立公園の彼岸花の群生地に行ってみた。

すると最後の写真のように、咲いていたのは2~3割程度で蕾が多かったのである。
なんとなく田舎の彼岸花よりも遅く咲いているようである。
雑木林の境界の草叢の中に群生しているので日照時間が少いためなのか、
あるいは、都会の温暖化のせいなのか・・・・。

咲いている数こそ少なかったものの快晴だったため、
木漏れ日がスポットライトとなり「面白い被写体」には困らなかった。

数多く咲いていた場所が巻頭の写真。

人の訪れた気配も少なく、踏み荒らされているような場所はなかった。
もっとも、
写真を撮っている間中「藪蚊の猛攻」にあうので、人気がないのかもしれない。
私は30枚ほど撮ったが、撮っている間に5箇所も刺されてしまった。
と言うことで今度行く時は「キンチョール」を持参しようと・・・・

スポットライト的に木漏れ日が当たると、バックの花がシルエットとなったり、


雑木林側から撮ると広場の明るい芝生と日陰の陰陽の対比が面白いし、


前方のスポットライトを受けた花と、後方のスポットライトを受けた花との対比においては、
前景にピントを合わせたり、後方の花にピントを合わせるだけで、
趣の異なる写真となる。


後方に明かりを入れるか(下の写真)、入れないか(上の写真)によっても、
「広がり」の差が出てくる。
そしてそれはどちらも正しい撮影方法である。


開花している花はすべて30cm前後の高さがあるが、
その下にはまだ沢山の蕾があったので、これから続々と咲いてくれるだろう。


ところで彼岸花は「自生」しないため、
誰かが球根を植えない限り花を咲かすことはない。
つまり、山奥でひっそり咲いていたとすれば、
そこにはかって人が住んでいたか、耕作地があったということになる。

野蒜も人の生活圏にのみ生え、山の奥には自生しない。
人のゴミを餌としている「ハシブトガラス」も、山奥では生活できない。
山にいるカラスは「ハシボソガラス」で、虫や木の実を食べている。
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古いアルバムを断捨離

2011年09月23日 | あらかると

2ヶ月ほど前、今流行の「断捨離」の第一弾として、
チューナーやスピーカーなどのアナログオーディオセットやレコード、
初期のビデオデッキやノートパソコン、
LD(レーザーディスク)デッキやLDソフトなどを処分した。

当時は最先端な機器だったが、技術の進化でゴミと化していたものである。
他にも色々と必要でないものがある。

私の場合は引き継ぐものがいないので、
永年貯めてきた「思い出のアルバム」もやがてはゴミになる運命にある。
どうせゴミになるなら、私の手で処分しようと、
アルバムの半分ほどをスキャナーにかけてデジタル化した。
デジタル化の終了したものは順次裁断しゴミになる予定である。

そんな中から一時代前に所属していた「海上自衛隊時代」の写真の一部を載せてみました。

巻頭の写真は私が勤務していた頃の「海上自衛隊下総基地」で、
駐車している車に古き時代が偲ばれます。

下の写真は叔母が劇場内の売店を経営していたため良く遊びに行った浅草の「国際劇場」。
劇場の横にあった従業員用出入口の守衛さんに叔母の名前を言うとフリーパスだったのであるが、
今は国際劇場もなく、優しかった叔母は彼岸に行ってしまった。
写真は松竹歌劇団(SKD)によるグランドフィナーレ。


当時の下総航空基地の「基地祭」。
中央に立っているのは当時のアイドル的存在だった歌手の中村晃子で、
この年か翌年に大ヒット「虹色の湖」が生まれている。


この当時は外出は制服と決められていて(現在は制服での外出は禁止されているらしい)、
よく制服のままでサイクリングに出かけたものである。
下の写真は友人と筑波山までサイクリング時のもので、バックの山が筑波山。


下の写真の、当時は新鋭機だった航空機(対潜哨戒機)も今は引退している。
尾翼についているマークが、私の所属した航空隊のシンボルマーク。
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「首都圏の帰宅困難者」対策が更に前進する

2011年09月22日 | あらかると

日本各地に被害をもたらした台風15号は
北海道沖でやっと熱帯低気圧に変わった。

都心を通過した時は丁度サラリーマンの帰宅時間であったが、
すべての電車が止まってしまったため、
3月11日の震災時と同じように「帰宅困難者」が多数出てしまった。
これを機に東京都石原知事の一声で、
地震ばかりでなく台風や大雪などによって生じ得る帰宅困難者を、
抜本的に検討し保護しようと言うことになった。


私がサラリーマン時代だった頃、
私鉄やJRが災害に寄らない別の理由で1日中止まることがあった。
労働争議によるストライキが公共機関といわれる鉄道で実施されたのである。
が、
当時のサラリーマンには「電車が動いていないので欠勤します」などと言う人はなく、
会社に泊り込んだり(貸し布団屋が繁盛した)、友人宅に泊まったり、
10km以上も歩いたりして通勤したものである。


さすがに台風だけはどうしようもなかったが、
今回の地震で「帰宅困難者」が多数出たことにより、
地震ばかりではなく、様々な自然災害面でも対策が取られることは非常に喜ばしいことだが、
出来れば都心ばかりでなく、
日本全国でそうした対策が取れるよう法制化を望みたいと考えるが・・・


写真は台風一過の今朝の空。
しかし
夕方にはまた雨が降り出した。




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台風15号関東・甲信越を直撃中。

2011年09月21日 | あらかると

18時現在、台風は関東・甲信越地方を縦断中で、
中心は秩父市付近にあると推定されている。

大都市東京を中心として殆どの電車が止まった。
都心有数の繁華街の渋谷の道玄坂では街路樹が倒れて、
タクシーが下敷きになっているニュースも飛び込んできた。

気象庁は「最大級の警戒」を呼びかけているが、仕事や帰宅途中であれば警戒にも限界がある。

台風は時計と逆の回りをするため、
台風通過の右側に当たる部分は危険半円といわれ、
台風の持つ風の強さに台風の通過速度が加わるためより強風となる。
首都圏はまさにその危険半円の中に入っていたのである。

北の高気圧に阻まれ迷走台風となった15号は、
沖縄付近に停滞し瞑想しているうちに発達し、
ついには都心の交通網まで遮断してしまったのである。

私の住む団地の棟は南側が開けており、
8階からの眺望はすこぶる良いのだが、
台風が西側を通ると、ものすごい風雨が窓を打つ。

団地の窓はアルミサッシで出来ているので安心しているが、
風に対する耐性については何の知識もない。
知識が無いから「台風の強風にも耐えるのか」と心細くなり、
心細さはやがて恐怖心に変わってくる。

窓を叩く雨の強さや、
めったに聞くことの無い荒れた風の音には恐怖を感じるので、
風の音が殆ど伝わらない北側の裏部屋に退避して台風をやり過ごす。

やることが無いから台風の最中にこの記事を書いているのである。

裏部屋に退避して外を覗くと、
私の住む棟が風除けとなっていて、
隣の棟は風も少なく平和そのもののように見えた。
で・・・・
どちらの棟に住みたいかといえば、やはり眺望をとりたい私である。


以上記事の原稿を書いていたのが丁度通過中で、
今は巻頭の写真のように航空機も通常に近い離発着を行なっているようです。
で、
着陸態勢に入っている航空機の航跡を拡大すると、
風に煽られていて直線の航跡ではない。


海自の航空隊では「着陸は常に初心にもどれ」というのがパイロットの心構えの一つであったが、
やはり旅客機のパイロットも同じような教えがあるのかもしれない。
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天上に咲き誇る花「曼珠沙華」

2011年09月20日 | あらかると

秋の彼岸の入りである。
彼岸と言えば春と秋にあり、
普通に『彼岸』と表記した場合は春の彼岸をさすというのが季語の世界で、
秋の彼岸の場合は「秋彼岸」とか「後(のち)の彼岸」と表される。

梨腹も牡丹餅腹も彼岸かな 正岡子規

さびしさは秋の彼岸のみづすまし 飯田龍太


彼岸と言えばこの時期に決まったように咲き始める「彼岸花」。
秋に花を咲かせ、花が終わってから葉を出して冬を越し、
春には枯れてしまうと言う変わった花だが、
やはり特徴的なのは遠くからでもそれとわかる真紅の美しい花である。


彼岸花は曼珠沙華(マンジュシャゲ)とも言われ、
梵語の「曼珠沙華(マンジュサカ)」は「天上に咲く赤い花」という意味がある。


「マンジュシャカ」といえば、
阿木燿子が作詞し、山口百恵が歌った「曼珠沙華」
と言う曲目では「まんじゅーしゃかー」と唄っていたのである。
歌詞の内容的には「女の情念」のようなものを歌っていて、
吉岡治作詞、石川さゆり歌の「天城越え」を髣髴とされる歌詞なのである。


この記事に使われている写真はすべて昨年10月1日に撮ったものだが、
昨年は「猛暑」と言うこともあって開花がやや遅れ気味だった。
今年も少しは遅れるのかもしれないと思っていたが、
今日の通院途中、武蔵野線車窓から草叢の中に赤い花を発見した。

この時期に草叢に咲く赤い花と言えば「曼珠沙華」しかない。



曼珠沙華抱くほどとれど母恋し  中村汀女


今週は田舎に帰り両親の墓参りをする予定ですが、
母が元気だった頃は連休と言えば外国に遊びに行っていて、
なくなってから毎年欠かさず彼岸の墓参りしている私です・・・・・
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