季語は「柿若葉」ですが、この句の完成後に講談社版の「日本大歳時記」を調べてみたら、掲載されていなかった。が、ネットで調べてみると存在していたのでホッとしています。おそらく高校時代かその後に覚えた季語で、この季節になると何句か作ってきた。
生家には柿の木が6本あり、幼きときからのおやつ代わりになっていた。生家は本家から分家した父が初代なので、父が植えたものであろうが、どういうわけかすべてが渋柿だった。
渋柿といえども、色づいた頃に焼酎をかけて樽に入れて密閉しておくと1週間ほどで渋が抜けて甘い柿に変身する。「樽柿・たるがき」と呼んでいた。
一家では食べきれないほどに実るので、子供に持たせて本家や隣近所に分けては喜ばれていた。
父は明治末生まれで厳格なところもあったが子供には優しかった。
学校で同級生と喧嘩して怪我をさせ、親が学校に呼ばれて注意を受けても「男はそのぐらいがいい」といって憚らなかった。今の時代なら大騒ぎになることだろう。また、悪さをして近所から苦情が入っても「お前の教育が悪い」といって叱られるのは母だった。そんなわけで叱られた記憶は残っていない。残っているのは子に優しい父の姿である。