彼岸の墓参等で久し振りに田舎に帰った。
いつものように次兄の車に同乗しての帰郷だが、
常磐高速道を走るので「守屋サービスエリア(Pasar守谷)」に立ち寄ってもらった。
前回立ち寄ったのは、改築される前の食堂があった頃だったが、
施設は全て建て直したようで、フードコート仕様の内装になっていた。
ここで欲しかったのは巻頭の写真の「干し納豆」で、
前回の帰省時に持ち帰ったのだが、これがなかなかの逸品で、
私の好みに合致したのである。
昔は、納豆は殆ど各家庭で造っていたものだが、
その食べきれなかったものなどに、
適量の塩をまぶして乾燥させたのが「干し納豆」で、
子供の頃のおやつ(当時おやつという言葉は無かった)がわりにもなった。
帰省時には時間があったので、犬を連れて穀倉地帯に散歩に行った。
下の写真の乾田は、江戸時代に沼を干拓して作られたいわゆる「新田」で、
足軽などの士族によって行われたものである。
その名残で今でも江戸方言が語源と思われる言葉が残っている。
昔の田圃の用水路には、目高やザリガニがいて子供らの遊び場にもなっていたが、
田圃が時代の流れとともに湿田から乾田に変わり、
変わるにつれて用水路の水は田植えの時期まで枯れており、
たまにみられた下の写真のような溜まりには、
生き物の姿は見られなかった。淋しい限りである。
いまは荒涼とした乾田も、5月連休の頃には、
早苗の緑と溢れんばかりの水が輝き、
実りの秋には黄金色になってゆく。
家近くの川土手には菜の花が咲いており、
越冬していたと思われる「紋白蝶」が数頭飛び回っていた。
私にとっての今年の初紋白蝶である。