MAICOの 「 あ ら か る と 」

写真と文で綴る森羅万象と「逍遥の記(只管不歩)」など。

からくに女の独り言

2016年07月21日 | 写真俳句


紅蜀葵が、道端の木陰の下で咲いていた。

真っ赤な花をみて、ふと昔の出来事を思い出した。
現役時代はボーナス時期の年末年始やお盆の時期、あるいは5月の連休には、
よく海外に出かけていた。
国内旅行よりも大分割安感があったからである。

特に韓国は搭乗時間が短いこともあって、
回数が多くなり、中盤からは自分でソウルのホテルを予約し、
航空券も旅行業者を通さず、直接航空会社に予約をしていた。

韓国語もNHKラジオの「ハングル講座」などで独学し、
会話虎の巻きも自分で作り持ち歩いた。
韓国の場合、儒教思想が今でも残っているため、
先輩や年上に対しては勿論、さらには自分の兄や姉にさえ敬語が必要で、
その使い分けが必要なのである。
例・・・「ありますか/いますか?」は「イッソーヨ?」で、畏まった丁寧語が「イッスムニッカ?」

が・・・個人であちこちと遊ぶほどの語学力は身につかず、
一人で行くときは、韓国の知人を通して通訳を雇った。

その日の通訳は女性だった。
夜のソウルも案内していただき、
日本では入ったことの無いディスコクラブにも入ったが、
漫談があり歌謡ショーなどもありキャバレー的でもあった。

ショーの合間の僅かの静けさの中、通訳がハングル語で何か呟いた。
私との会話は全て日本語だったので、急なハングル語には対応できず、
何を呟いていたのかは聞き取れなかった。

彼女には半日以上も案内していただいたにも拘らず、
赤いルージュのことは殆ど気にならなかったが、
呟いた直後の彼女の真っ赤なルージュは光を受けて美しかった。
(当時の韓国女性は赤いルージュが多かったように記憶している)
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