MAICOの 「 あ ら か る と 」

写真と文で綴る森羅万象と「逍遥の記(只管不歩)」など。

万緑の中の只管打座

2015年05月11日 | 写真俳句

落葉樹も常緑樹も若葉が緑を増してきて、
そよ吹く風に揺れては煌いている。
いわゆる「風光る」の候なのである。

そんな公園のベンチで目を閉じ歩き疲れた体を休めていると、
風の音、人の声、小鳥の啼声、蛙の鳴声などが聞こえてきた。

「只管打座」とは只管に座すことで、座禅のことを言うのだが、
昔習った座禅の方法では、背を伸ばして姿勢を正し、
目を半眼にし(閉じても良い)、丹田に両手を軽く組んで当て、
ゆっくりと腹式呼吸を行いながら「何も考えない」いわば「無の境地」で座るのである。

そんな座禅の方式でベンチに座っている(座禅ではないので足は組まない)と、
様々なものが聞こえてくるのである。

最初は様々な鳴声や音が聞こえてくるのだが(聞くことに集中してみた)、
やがて海外に遊んだ思い出などに思考が変化していった。
このようなことは、
座禅をしていたときもそうで、「無」になろうとしつつも様々な思いが頭の中を駆け巡る。
われに返って「無」に戻ろうとするが、
今度は別の思いが駆け巡ってくるのである。
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