3月8日、大津川の河口である手賀沼を目指してポタリング。
大津川では「初雲雀」の軽やかな囀りに自転車を下り、
手押ししながらの逍遥。
厳冬期から解き放たれたうれしさは人ばかりではなく、
雲雀も「初モンシロチョウ」も
「甲羅干しのアカミミガメ」も同じに違いない。
畦道にはホトケノザが咲き誇り、
ホトケノザの影では「天道虫」が何処に行く当ても無く、
右に左に、ホトケノザの幹の上に下にと動きを止めない。
オオイヌノフグリの早春らしい花の青さもいい。
何度撮っても、また撮ってしまう花でもある。
写真を撮り終えて大津川土手に上がり、いざ手賀沼へ・・・・
と・・・・
散歩中の人から「今日は」と声をかけられ、
ついでに立ち話になってしまった。
なんと四方山話は1時間以上も続き、
話し込んでいるうちに南風が強くなってきた。
南風に煽られながらも立ち話・・・・
アルミサッシ製造会社に長年勤務したとかで、
鹿島建設の下請けをこなし、日本初の高層ビルである「霞ヶ関ビル」や、
「貿易センタービル」の外壁のアルミサッシの製造と取り付けをしたとの話。
つまり単なるおじさんではなく、
日本の高層ビルの黎明期を支えた人物でもあったのだ。
すぐ近くにはタンポポの花も・・・・
鹿島建設に高層ビルといえば・・・・・
学生時代にアルバイトをしていた渋谷の「青写真」の会社でも、
鹿島建設の現場にコピー機(業務用特大機で設計図のコピーなど)を持ち込んでいて、
その作業員としてのお鉢が私に回って来た。
最初は「パシフィックホテル東京(2010年営業終了・現「SHINAGAWA GOOS(シナガワグース)」)」、
の建設現場に派遣され、
その経験を生かして、「KDD本社ビル(現KDDIビル)」や「住友新宿ビル」と、
高層ビルの建築現場で働いたことがあるが、
工事現場に入ったことは無く、正社員ほどの人的な交流も無かった。
また、何気に夢を保ち切れなさそうな将来の姿が見えてきたので、
住友を最後に会社を辞め正社員として金融会社に就職した。