MAICOの 「 あ ら か る と 」

写真と文で綴る森羅万象と「逍遥の記(只管不歩)」など。

工場群の中の合歓(写真俳句)

2009年08月26日 | 写真俳句
田舎の畑の周りにあった雑木林は、夏はカブト虫やクワガタのたくさん取れ、秋は栗の実やキノコが採れるので、子供たちにとっては格好の遊び場であった。

畑では玉蜀黍や薩摩芋や西瓜、白菜などが栽培されていて時にはそれらがおやつの代わりにもなった。
さすがに玉蜀黍を生で食べることはなかったが、薩摩芋は生で食べても甘いので食べることがあった。白菜はポケットに忍び込ませておいた塩をかけ手で揉むと即席漬物が出来、新鮮さも手伝ってか甘みがあって美味しかった。

西瓜は友人の家で栽培している場合は友人とともにそれを戴き、遠くまで遊びに行ったときは西瓜泥棒(といっても子供のすることだから熟れた大きいものは盗る事ができず食べた記憶はない)などをしてスリルを楽しんでいた。
当時は西瓜泥棒が多かったようで、大きな畑で西瓜を栽培している家では畑の中に「番屋」と呼ばれる小屋を立て、その中で見張りをしていたのである。

このような様々な遊びは、先輩から悪しき伝承として子供らに伝えられ続けていたのであるが、中学生になるとこのような遊びからは卒業していった。

そんな思い出の雑木林や畑は工場の建物で占拠されていた。
わずかに残った雑木林も手入れされなくなり荒れていた。雑木林には昔と同じように合歓の花が咲いていたが、私が中高の通学時にみた合歓の木とは違うようだった。

下の写真は手入れがされないまま荒れてしまった雑木林。こうなると樹液の出る橡(クヌギ)の根元にはカブト虫や蝶などが近寄れず消えてゆく運命にある。勿論人も入ることはない。


たまたま道路わきで見つけた一部分手入れのされた雑木林。下草などが刈られ、林の中は見通しが良くなるので、迷うことはなくなる。昔はすべての雑木林がこのように美しく手入れされていたのである。勿論橡は薪やシイタケ栽培の原木として時々伐採されるので写真のような大きな橡はなかった。

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