MAICOの 「 あ ら か る と 」

写真と文で綴る森羅万象と「逍遥の記(只管不歩)」など。

石楠花山道

2005年12月21日 | 花随想の記
 学生時代、アルバイト先の上司が計画した登山に何もわからぬまま参加したことがある。
 新宿駅発の夜行列車で仲間十数人と三ッ峠駅に降り立ったのは深夜の2時を回った頃だった。
 ひんやりと澄み切った夜の空気に冬の訪れを感じながら、静まり返った街中を歩いて三ッ峠登山道に入っていった。
本格的な登りに入る前に軽食タイムがあり、三々五々思い思いの時間を過ごしていた。

「あっ、流れ星」
女性が叫んだ。見上げると満天の星空だった。
 新月だったにも拘らず満天の星の明るさが登山道の木々を浮かび上がらせていた。
わずか一時間足らずの間に7~8個の流星が我々一行の頭上を飛んだ。若い女性の中には、手を合わせて一心に空を見ている者もいた。

 流星の感動に心を洗われた一行は、雑木林のような登山道をさらに登って行った。
登るにつれて東方の山の稜線がわかるほどに明るくなってきた。明るくなるにつれて登山道後方には富士山が姿をあらわしてきた。最初は黒い影に過ぎなかった富士山は夜明けとともに徐々に色を変え、やがて赤く染まった。

赤富士の出現だった。

 「すごい」「綺麗」「わおー」様々な形容の言葉と感動とも溜息ともつかない言葉が発せられた。リーダーの声で一行は足を止めしばし呆然と赤富士をながめていた。
三つ峠から河口湖河畔までの行程であったが、晩秋の山は澄み渡り、雲一点無い天候にも恵まれ私の初登山は終了した。

三ッ峠登山がきっかけとなり、登山が趣味の一つとなった。
登山中に雨が降ってきても、雲の切れ目から絶景が現われるかもしれないという期待があった。雨によって空気中のチリが洗われた後にはキレの良い光景が現れることが多かった。一日中雨であっても雨を楽しめるようになっていた。

 初登山から数年間、天気図の書き込みや気象の予測、非常食の調査や登山コースの設定や時間配分などを先輩から指導を受け、あるいは登山書を購読して独学していた。登山に関してあらゆる方面から検討するという手法は、その後のサラリーマン生活において企画立案や新規部門の開設などに大いに役立つこととなった。

 やがて転職し登山仲間も変っていったが、昇格する度に仕事も忙しくなり、年に一、二度の登山しか出来り遂には山登りを止めてしまった。その山行きの最後を締めくくったのが西沢渓谷だった。

 西沢渓谷は山梨県を流れる笛吹川の上流にあり、登山と言うにはやや物足りないが、山の気分は十分に満喫できるので人気があった。真冬には滝が全面凍結して氷のオブジェに包まれるのでニュースになることもある。

 男三人女二人のグループで新宿を早朝の電車で発ち、塩山にて下車、タクシーに乗り換え西沢渓谷の入り口である不動小屋に着いたのは午前十時頃だった。
小屋の前で身支度を整え、記念写真を一、二枚撮ってから沢の右岸から入っていった。

 左下からは沢を流れる水の心地よい音が聞こえていたがまもなく沢も見えてきた。沢の水は美しいコバルトブルーだった。それまでの登山で様々な川や谷川を見てきたが、コバルト色の流れは初めてだった。

 周りの緑に溶け込むことのない水の色は奇異と言えば奇異だったかもしれないが、見る者は一様に感動していた。
水の美しさの原因は鉱毒だった。明治時代、銅鉱石を採るための鉱山が上流にあり、その鉱毒が水に溶け込んでコバルトブルーの美しい光景を作り出していたのだった。

 水補給のため、西沢と東沢の合流地点から東沢に入り軽い食事をし、食後の珈琲も楽しんだ。珈琲と言ってもインスタントではなく、珈琲豆を挽いて持ってきたものをドリッパーで入れた本格的なものである。挽いた豆が一夜で酸化していたのだろう家で飲むほどの味は出なかったが、香りだけは周りに漂った。

 谷川の清水を汲んできて点てたコーヒーを、沢で生まれた満ち溢れるオゾンと小鳥の鳴き声や沢音に包まれながら飲むのは、喧騒の中で辟易暮らしていた私にとっては有り難く、小さいながらも最高の贅沢だった。

 間近に渓谷や滝を見ながら歩きつづけ、川幅がわずか数メートルとなったところで川を渡った。西沢を挟んで一周する折り返し地点だった。
 折り返し地点からは西沢にある数個の滝を俯瞰するように登山道が作られていた。登山道は材木などを運ぶために作られたトロッコの廃軌道だったとかで、所々に朽ち果てた枕木と錆びたレールが残っていた。

 西沢を一周して不動小屋も近くなってきた頃
「あっ、綺麗な花が咲いている」
と女性の声がした。
 指差す登山道の斜面を見ると、2m以上はあろうかと思われる樹に赤ピンク色の大ぶりの花が咲いていた。一枝に5,6輪つけた花は殆どが満開だった。

石楠花だった。



 ヤフー検索で調べたトロッコの由来。
この森林軌道跡は、西沢や東沢の木材や黒金山の銅鉱石搬出のために塩山駅まで敷設された全長36kmの三塩軌道で、昭和8年~43年まで利用されたという。軌道は西沢渓谷の迂回路にも結構きれいに残っており、途中には「トロッコの由来」と題された解説板もある


写真は石楠花の花。
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