青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

『三国志展』に行きました

2019-08-12 08:38:14 | 日記

東京国立博物館の特別展『三国志』に行ってきました。
日中文化交流協定の締結40周年を記念して開催されたこの展覧会には、三国志関連の資料がなんと162点も展示されています。しかも展示物は映像以外すべて写真撮影OK(フラッシュは不可)。
実は、先月行った『恐竜博2019』は私の趣味でしたが、今回の『三国志展』は夫の趣味で、私自身には三国志の知識が殆ど無い状態でした。事前に渡邉義弘浩の『図説雑学三国志』を読んだりNHKの特番を見たりしたくらいです。だもので、この先の感想もかなり的外れなことを言っているような気もします。
超初心者ですので、音声ガイドプログラムを借りて見学しましたよ。ナビゲーターは吉川晃司さんでした。他に『真・三國無双』というゲームとのコラボで、ゲームに出演している声優さんがナビゲーターをしている音声ガイドもありました。

会場は、以下の六つのブロックに分かれていました。
第一章 曹操・劉備・孫権――英雄たちのルーツ
第二章 漢王朝の光と影
第三章 魏・蜀・呉――三国の鼎立
第四章 三国歴訪
第五章 曹操高陵と三国大墓
エピローグ 三国の終焉――天下は誰の手に

黄巾の乱から呉が西晋に滅ぼされるまでの約百年の三国志関連の展示物なのですが、たった百年の出来事とは思えないほどの情報量でした。見るべきものが多くて、頭の中で整理をつけるのが大変。長らく「後漢時代末期の黄巾の乱以降、戦乱の世となり、物質文化は停滞した」という先入観が強かったそうですが、どうしてどうして、経済や文化に纏わる展示品も数多く、この時代の中国が文化的に暗黒時代だったとはとても思えなかったのでした。


孔明出山図。
三顧の礼の結果、諸葛亮が劉備に応えて、軍師としてその旗下に加わった場面です。


関帝廟壁画は、一枚に二つの場面の絵が描かれた壁画が三枚展示されていました。
これは、右が「曹操、覇橋で袍を進ず」、左が「関羽、兵書を読む」。


関羽像。伝世像屈指の「美関羽」で、どの角度から撮っても風采がいいです。


関羽・張飛像。


趙雲像。




三国故事図は12枚展示されていました。
これは、上が「馬超は渭水にて曹操を追撃、許褚が馬の蔵で矢を防ぐ」の図。下が「天水関において姜維が諸葛亮に降伏する」の図。


玉豚。子孫繁栄の象徴である豚の肉を、死後の世界でも食べられるように備えたもの。
董園村一号墓から出土。この墓は曹操の父、曹嵩の墓とされています。


人物画像磚。この磚が発見された白果樹村第一墓は、曹操一族の有力者の墓と推定されているので、この絵の人物も曹操一族の者である可能性があります。


青銅の儀仗俑。張将軍の墓から出土。涼州軍閥の有力者で董卓と関連があった可能性も。


銅製食器。夫婦を合葬したと思われる墓から出土。


多層灯。


五層穀倉楼。


四層穀倉楼。






戟、剣、矛などの漢三国の実践武器。


弩。


鏃。


武器が展示されていた部屋の天井を飛ぶ無数の矢。こんな風に弩と鏃を使っていたんですね。赤壁の戦いで戦死した武者たちは、死の瞬間にこんな光景を見たのかもしれません。


武士俑。


撒菱。


童子図盤。木胎漆器。


帯鉤。ベルトを留める金具。


五龍硯。




蜀の俑は七体ほど展示されていましたが、何れも笑顔で蜀の経済力が人民の精神に余裕を与えていたことが伺えます。


呉の俑は簡素な作りながらも場面構成が多彩。




呉の青磁。上が羊尊。下が神亭壺。


ガラス盤とガラス連珠。

ここからは、いよいよ曹操高陵。
室内は曹操高陵内部を模した作りになっていました。曹操は遺言で薄葬令を出していたので、副葬品はこれまでの展示物に比べて驚くほど質素でした。
棺を豪華にし、亡骸を着飾らせ、金細工の類を副葬品にするのが、当時の上流層の葬送観念でした。それを、あえて薄葬令を出し、臣下に忠実に守らせた。その事実に寧ろ曹操という人物の偉大さを感じました。
薄葬といっても高陵の作り自体は立派なものでした。陵園は広大で、墓は地下深くにあり、天井の高さも当代随一だそうです。


副葬品目を刻んだ石牌。


飾板と釵。


帯を解くのに用いた道具。觽と書いてケイと読みます。


瑪瑙円盤。漢時代から三国時代には瑪瑙製品は貴重品だったそうです。


侍俑。




画像石。


白磁の罐。

220年の正月、曹操は「情勢が不安定であるゆえ、埋葬後は喪に服さず、将兵らは持ち場を離れず、官吏は職務を遂行せよ。遺体は飾ってはならぬ。宝飾品も墓に入れてはならぬ」という遺言を交付しました。
2008年から始まった発掘によって、内部からは玉衣の断片も金細工の類も発見されず、副葬品が質素であることが確認されました。これらは曹操の遺言と一致しています。曹操高陵は何度も盗掘にあっているので、当初の姿を完全に知ることは出来ませんが。


金製獣文帯金具。「鮮卑頭」と呼ばれる類の金具で、曹操の第一子、曹丕はこれを欲したそうです。曹操高陵の質素な副葬品を見た後だと、きらびやかさが余計に目に染みます。


揺銭樹の副葬は蜀の地にほぼ限られています。


揺銭樹台座。経済力に恵まれた蜀らしい銭の樹信仰です。

『三国志展』の締めくくりは、蜀でも魏でも呉でもなく、西晋でした。蜀は魏に滅ぼされ、魏と呉は西晋に滅ぼされました。「晋、呉を平らげ天下泰平」という、あまりにも短すぎる分に諸行無常を感じましたね。蜀・魏・呉、それぞれの豊かな文化と武将たちの勇壮な姿がたった百年で無に帰したとは。

会場には、NHK人形劇『三国志』で使われた川本喜八郎の人形も展示されていました。






上から、曹操、劉備、孫権。他に曹丕、曹植、献帝、諸葛亮、甘寧、孟獲の全九体。


これは孟獲。私は三国志では曹操が一番好きですが、人形はこの孟獲が一番格好いいと思いました。


お土産に図録を買いました。


カバーを外した状態。
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