青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

魔猫

2017-01-26 07:13:45 | 日記
エレン・ダトロウ編『魔猫』は、十七名の欧米作家による、猫に関わる短編を集めたアンソロジーである。

収録作は、
「天国の条件」……A・R・モーラン
「マリゴールド・アウトレット」……ナンシー・クレス
「白のルークと黒のポーン」……スーザン・ウェイド
「親友」……ゲイアン・ウィルソン
「スキン・デープ」……ニコラス・ロイス
「習慣への回帰」キャシー・コージャ&バリー・N・マルツバーグ
「五匹」……ダグラス・クレッグ
「露助」……ウィリアム・バロウズ
「ぺちゃんこの動物相 詩 第37:猫」……ジェイソン・ヨーレン
「ある猫の肖像」……ストーム・コンスタンティン
「壁のなかで」……ルーシー・テイラー
「猫と殺し屋」……スティーヴン・キング
「動物愛護について」……スティーブン・スプルーイル
「セーラ」……ジョエル・レイン
「誰もおれの名前を知らない」……ジョイス・キャロル・オーツ
「猫からの贈り物」……ハーヴィ・ジェイコブズ
「顔には花、足には刺」……タニス・リー

収録作のうち再録は、スティーヴン・キングとウィリアム・バロウズの作品のみで、残りは本書のために書き下ろされた作品である。
解説に〈猫=魔性の生き物をテーマにしたホラー&ダーク・サスペンスのアンソロジー〉と記してあるが、全体的にホラー色もサスペンス色も薄めだった。おまけに、猫アンソロジーなのに猫が添え物扱いの作品もいくつか見られて、猫好きとしては食い足りない内容だった。猫好き猫嫌い双方が納得の傑作「黒猫」を生み出したポーはやはり偉大だと再認識。
とは言え、全くの不作だったという訳でもなく、何作かはしっかりと猫×ホラー(或いはサスペンス)の良作もあった。

十七名の作家のうち、私が知っているのはスティーヴン・キングとウィリアム・バロウズ、それから、ジョイス・キャロル・オーツの三名のみで、後は初めての作家ばかりだった。
私がアンソロジーを読む最大の理由は、未知の作家と出会いたいからだ。しかし、残念ながら本書収録作で文句なしに面白かった四作のうちの三作が既知の三名のもの。初めての作家の作品は、ハーヴィ・ジェイコブズの「猫からの贈り物」のみ。
あとの作品が全部気に入らなかった訳ではないけど、薄ら寒くて湿っぽい作品が多かった。猫ってもっと粋な生き物なんじゃないかと不満が残る。特に“猫と暮らす可哀想なおバカさん”系の話には全く共感できない。
倉橋由美子がエッセイかなんかで「馬鹿は幸せになれない」と言っていたけど、そういう人が主人公のお話は退屈で通俗的で、まったく猫らしくない。飼っていたのが偶々猫というだけで、亀でも兎でも一緒なんじゃないだろうか。私自身は共感力に欠ける性質なので、ベソベソした作品を読んでもイライラするだけだが、優しい人が読んだら全く違う感想を持つのだろうか。

以下、気に入った作品について感想を述べてみる。

「露助」
本書収録作の中で抜群に面白かった。他と全然違う。一行目から好奇心を鷲掴みにされる。
ロシアは、アジアでもなければヨーロッパでもない、独特の魅力と不気味さを放つ国であるが、本作は猫の神秘性にロシアの神秘性をうまく掛け合わせて、怪異に説得力を持たせている。

“グレート・ギャツビー”と呼ばれた男の元にいた、誰もから死を望まれた猫の物語。
猫の名前はルスキ。ロシアン・ブルー、だから、ルスキ(露助)。

“グレート・ギャツビー”は、ルスキのことをKGBの大佐だと言う。
パーティの客たちは、それを冗談だと愉快がっていた。“グレート・ギャツビー”の通訳を介して、客たちからの質問にルスキが答える。ルスキは、客たちの性的趣向から、医療ミス、財政上・法律上の問題まで何でも言い当てた。皆、ルスキが死ねば良いのに、と思った。

そんなルスキが殺された。
CIAの男が肉片に毒を仕込んだことを暴いた途端、射殺されたのだ。その場に居合わせた客たちは、CIAの男を非難した。皆、ルスキの死を願ってはいたが、そこに係り合いたくはなかったのだ。

それから一年後、“わたし”はタンジールのパレード・バーでそのCIAの男に偶然出くわしたのだが…。

CIAの男は何故落ちぶれてしまったのか?彼は本当にルスキの幽霊の存在を信じているのか?彼が正気を保っているのかも疑わしいところだが、それらについての説明は一切ない。ただ、悲惨な末路だけが予見される。
僅か4ページの掌編は、唐突に始まり唐突に終わる。ひどく無慈悲でスタイリッシュ。そして、気まぐれ。猫の特性を的確に捉えた傑作だ。

「猫と殺し屋」
たぶん、本書収録作の中で最も悲惨な主人公。
でも、本人の性格が醒めているので、悲壮感はない。あまりに酷過ぎて笑ってしまうが、本人も同情されるくらいなら笑って欲しいと思っているはず。

ベテランの殺し屋ホルストンは、世界屈指の製薬メーカーの経営者ドロガンから、三人の人間を殺したという猫の殺害を6000ドルで依頼される。
ホルストンは猫好きだった。敬意を払ってさえいる。だけど、それ以上に彼はプロなので、相手が猫でも全力だ。というより、プロの感が「この猫は侮ってはいけない」と警告を発しているのだ。

想像力に欠き、迷信などてんから信じない殺し屋が、初見で奇妙な感覚に襲われるほど印象的な猫。確かに今回が初対面のはずだ。それなのに、“おれたちは知りあいだよな”と心が囁くのはなぜなのか?

この後、仕事に取り掛かったホルストンは猫と凄まじい死闘を演じ、語り草になるような死に方をする。第一発見者の農夫の間抜けな印象と相まって、このシーンはかなり笑えた。

農夫の証言によると、猫は急いでいるようだった。まるでやり残したビジネスでもあるみたいに…。ドロガンは逃れられないだろう。
猫が本気を出したら、大実業家も、ベテランの殺し屋も叶わないという話。

「誰もおれの名前を知らない」
本作は、オーツの短編集『とうもろこしの乙女、あるいは七つの悪夢』にも、「私の名を知る者はいない」というタイトルで収録されている。
猫が子供の息を吸い取り殺してしまうという迷信に、生まれたばかりの妹に周囲の大人たちの愛情と関心をすべて持っていかれてしまった長女の千々に乱れる心模様が巧くミックスされている。
このブログでも、2016-12-15に感想を載せているので、今回は深くは触れない。
ただ、『魔猫』収録作には、猫と子供の組み合わせの作品が、他に二作あるのだけど(「マリゴールド・アウトレット」、「セーラ」)、それらとは猫モノとしての面白さが格段に違うということは言っておきたい。冷めた語り口、突き放したようなラストシーン、主人公の早熟さ(というか他の二作の主人公が馬鹿すぎ)、何よりも猫の特性を存分に生かしたテーマ。猫好きが読んでも猫嫌いが読んでも、猫ってこんな感じだろうなぁと満足できるクオリティだ。

「猫からの贈り物」
ブラックな猫あるある。

ダーリーンは、毎日のように飼い猫のジュバルから贈り物を受け取っていた。
ジュバルは、木の葉や小枝、ときには太った虫やナメクジといったものをダーリーンの足元に置く。ダーリーンは、ジュバルの戦利品に大げさに喜び、取っておくふりをして、猫がその贈り物を忘れるのを待ってからごみ袋に放り込むのが常だった。

成猫になるにつれて、ジュバルの贈り物は、ネズミに、小鳥にと、だんだん厄介になっていく。
相変わらず、ジュバル自身は渡すだけ渡すと贈り物のことなど忘れてしまう。だから、ダーリーンもこれまで通りに、ジュバルの目につかないようにごみ袋いっぱいに詰まった小鳥の死骸をごみ収集に出す。収集人の目はあまり気にしていない。

“まあすてき、ありがとう
気のいい優しい、わたしの猫ちゃん“

さらに、ジュバルの贈り物は進化を遂げて、何処の誰かもわからないバラバラ死体のパーツを拾ってくるようになるが、ダーリーンの対処法は相変わらずなのだった。だって、ジュバルの責任ではないのだから。

猫につられて、ダーリーンの行動がさりげなく常軌を逸していく過程が、愛猫家あるあるだ。
猫を飼っていると、猫に媚びたり諂ったりで、とんでもなく間抜けな口調になってしまう。猫飼いは猫の天然自由なところが好きなので、猫から与えられる贈り物が人目を憚る物であったとしても、心の底から “気のいい優しい、わたしの猫ちゃん“と思うのだ。猫の愛くるしさの前では、法律も倫理も霞んでしまう。
猫に憑かれるって、こんな風に密やかに幸せに狂っていくことなのだろう。
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