青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

和菓子のアンソロジー

2016-05-18 07:05:53 | 日記
『和菓子のアンソロジー』は、『和菓子のアン』の著者・坂木司が人気作家たちに執筆を依頼した和菓子がモチーフのアンソロジー。日常ミステリー・刑事モノ・SF・怪談などジャンルは多岐にわたる。

収録作は、坂木司『空の春告鳥』、日明恩『トマどら』、チチとクズの国『牧野修』、近藤史恵『迷宮の松露』、柴田よしき『融雪』、木地雅映子『糖質な彼女』、小川一水『時じくの実の宮古へ』、恒川光太郎『古入道きたりて』、北村薫『しりとり』、畠中惠『甘き織姫』

アンソロジーの楽しみは、未知の作家のとの出会いだ。今回の収穫は、恒川光太郎『古入道きたりて』だった。

九月に入る少し前。“俺”は岩魚釣りのために長門渓谷を訪れていた。突然の雷雨。避難小屋で偶然知り合った老婆の厚意で、彼女の家に泊めてもらうことになった。
二階の座敷。古箪笥や長櫃が置かれている。部屋の隅に飾られた写真に納まる軍服の男性は、老婆の夫で、日露戦争で戦死したそうだ。

“俺”は老婆から“古入道”の話を聞かされる。老婆の話は今一つ要領を得ない。自分にとっては当たり前のものを、それを全く知らない人に理解出来るように話して聞かせるのは誰にとっても骨の折れること。
お化けや幻の類らしいが無害。運が良ければ、夜、見ることが出来るが、灯りを付けたり同伴者がいてはダメ。繊細な現象なので、灯りを消して寝たふりをしていなければならない。

少し眠った。窓の外を眺めると、満月が低山の連なりを照らしている。虫の音と、草の香を運ぶ風。それから、月光を受けて銀色に輝く雲。
“俺”は、古入道が山を歩く姿を見た……。

翌日、老婆が膳におはぎを添えてくれた。老婆はそれを夜船といった。その菓子は季節によって名前を変えるのだ。春は牡丹餅、秋はおはぎ。夏は夜船。

“俺”の名は、杉本といった。
南方の島に送り込まれて、玉砕間際。銃と弾薬、僅かな水の他は何もない。杉本は、戦友の七尾に古入道の話をした。そして、老婆が作ってくれた夜船が、人生で一番うまかった甘味だったことも。

七尾は、その夢のような話を信じた。そして、「俺は、必ず生きて帰ってそこにいって、どうれ、夜船を食べながら、巨人を見物してやる」といった。それに対して、杉本は、「是非行ってくれ。本当だってわかるから。花火に近いものがある。消えてからは、ああ、終わった、と切なくなった。老婆に会ったら、よろしく言ってくれ」と答えた。もう、自分がそこに行けないことを覚悟しているようだった。

空に月が輝いている。
古入道は、夢を見た。兵隊になって追い詰められた人間の夢だ。どことも知れぬ土地の誰かの人生。薄れつつある夢の記憶に想いを馳せるが、もう詳細が分からない。
古入道は、歩く。力尽きていったん倒れると、季節が何百回も巡るほどの長い時間、動かない。やがて力が満ちると再び歩き出す。そして最後は永遠に目の覚めない、本物の小山になるのだろう。
自分が人間の夢を見るように、人間もどこか別の時空で、自分の夢を見ているのだろうか……。

《胡蝶の夢》という故事がある。
荘子が夢の中で胡蝶になり、自分が胡蝶か、胡蝶が自分か区別がつかなくなったという「荘子」斉物論の故事に基づく、自分と物との区別のつかない物我一体の境地、または現実と夢とが区別できないことのたとえだ。
古入道と夜船の思い出を抱え、南の島を彷徨う兵隊としての彼と、兵隊としての記憶を思い返しながら、山を彷徨う古入道としての彼。きっと、どちらも本当の彼だ。

和菓子に限らず食べ物をモチーフとする小説は、その食べ物が美味しそうに描かれていなければ失敗だと思う。
このアンソロジーでは、『古入道きたりて』が、もっとも菓子が美味しそうで、心がこもっており、さり気なく技巧が施されていて上手かった。菓子を出す者と食べる者が一期一会の赤の他人という関係なのが、却ってしみじみとした人情を感じさせる。親子や友人、恋人同士で思いやりがあるのは当たり前なので、そういう作品には特に人情のありがたみは感じない。
日露戦争で夫を亡くした老婆が、近いうちに戦地に送り込まれるであろう行きずりの若者のために、心を込めて作った夜船。
第二次世界大戦から40年後。九死に得た一生を懸命に生きた七尾は、おはぎを食べるたびに杉本を思い出す。古入道。長門渓谷。老婆。春は牡丹餅。夏は夜船。
満月の晩。熊笹の生い茂る丘の上で、七尾は、倒木に腰かける。まるでそこはいつか迷い込んだ夢の場所のようだった。
現実と幻想。我と彼。月の明かりに照らされてすべての境が曖昧だ。その朧のような世界の中で、夜船の甘さと人の優しさ、切なさが心地良い良作だった。
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