吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2017年11月16日/〈津屋崎まちなみ散策〉056・〈津屋崎千軒・町歩きスポット〉67「万葉古道 名児山越え」

2017-11-16 08:25:07 | 津屋崎まちなみ散策

 

写真①:細い山道の落ち葉を踏みしめて歩く「ふるさと塾」参加者たち

      =福津市奴山の「万葉古道 名児山越え」で、2017年11月14日午前10時35分撮影

〈津屋崎千軒・町歩きスポット〉 67

 

「万葉古道 名児山越え」

 

福津市奴山の古代官道・〝名児山越え〟フットパス楽しむ

「第17回ふるさと塾・万葉古道の植物探訪」で追体験

 福津市奴山(ぬやま)と宗像市との境にある名児山(なごやま)を越える古代官道・〝名児山越え〟があるのを、ご存じですか。今から1287年前の奈良時代の天平2年(730年)11月、大宰帥(だざいのそち。大宰府の長官)大伴旅人(おおとものたびと)の異母妹の万葉歌人・大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)が、大宰府から奈良の都へ帰る時にこの古代官道を通り、日本最古の和歌集『万葉集』に収録される長歌を詠みました。同じ11月の14日、私が所属する「津屋崎千軒 海とまちなみの会」は「第17回〈津屋崎千軒〉ふるさと塾」・万葉古道の植物探訪=写真①=として、当時から自生していた野草や花=写真②=などを調べながらフットパスウオークを楽しみ、『万葉集』に女流歌人として最も多い84首の歌を残した坂上郎女が名児山を詠んだ長歌の歌心に想いを馳せました。

  

写真②:花を油に漬けて傷薬にすることから名付けられたアブラギク(油菊。キク科の多年草)の黄色い花

     =「万葉古道 名児山越え」の路傍で、10時30分撮影

  坂上郎女が詠んだ長歌は、『万葉集』(巻6 963番)に載っています。
 〈大汝(おおなむち) 少彦名(すくなひこな)の 神こそは 名づけ始(そ)めけめ

名のみを 名児山(なごやま)と負ひて わが恋の 千重の一重も 慰めなくに〉

 歌の意味を現代語訳すると、〈大汝の神と少彦名の神が名付けたに違いない名児山は、〝心が和む山〟という意味を持ちながら、私の悩む恋心の千分の一さえ慰めてはくれない〉。大汝(大国主神)と少彦名(少名毘古那神)は、日本の国造りをした二柱の神です。

  この日の「ふるさと塾・万葉古道の植物探訪」では、「海とまちなみの会」会員や福岡、古賀、福津3市の『万葉集』ファン、登山愛好者の男女10人が午前10時20分に福津市奴山の「大現寺1号池」堤防下の農道から「万葉古道 名児山越え」の坂道を登り山中へ。起伏に富む細い山道約5百㍍を約40分歩き、同会とともに「宗像植物友の会」にも加盟している女性会員から植生の解説を聞き、野の花の名前を確認したり、道を覆う落ち葉の下から生えたケムリダケ(煙茸。ホコリタケ科)=写真③=をカメラに収め、蹴ると黄色の煙が霧散すると解説されて笑顔になる場面も。

  

写真③:道を覆う落ち葉の下から生えたケムリダケ

   =「万葉古道 名児山越え」で、10時25分撮影

 〝名児山越え〟をして宗像市田島に通じる県道502号線に出た私たちは、近くの福津市勝浦の「あんずの里運動公園」道路脇に旧津屋崎町(現福津市)が平成11年(1999年)に建てた坂上郎女の長歌を刻んだ「名児山万葉歌碑」=写真④=を見学しました。

 

写真④:坂上郎女の長歌を刻んだ「名児山万葉歌碑」

     =福津市勝浦の「あんずの里運動公園」で、2017年10月29日撮影

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