吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2007年6月30日/〈日記〉135・「東京ビッグサイト」と「矢切の渡し」

2007-06-30 17:29:53 | 日記
写真①:「東京ビッグサイト」の会議棟(手前を左右に走るのは東京臨海新交通「ゆりかもめ」)
     =東京都・台場で、2007年6月23日午前8時37分撮影

 東京都の長女宅を訪ねた旅行で23日、江東区有明の「東京ビッグサイト」(東京国際展示場)=写真①=と、葛飾区柴又から千葉県松戸市の矢切へ通じる「矢切の渡し」を見る機会がありました。

 「東京ビッグサイト」は株式会社東京ビッグサイトが運営するコンベンションセンターで、敷地面積約24万平方㍍。鉄筋コンクリート造りでユニークなデザインの会議棟(地上8階、地下1階)や、西展示場(地上5階)、東展示場(地上3階、地下1階)などの施設があり、国際見本市やモーターショー、コンサート会場などに利用されています。

 会議棟には、東京臨海新交通「ゆりかもめ」から降りたビジネスマンたちが、次々と出入りしており、東西の展示場も活気があります。東京の国際ビジネスの中心施設なのだと実感しました。

 「矢切の渡し」は、葛飾区柴又を流れる江戸川を挟んで対岸の千葉県松戸市矢切を結ぶ渡し舟。江戸時代に徳川幕府が地元民のために設けた渡し場で、明治時代に伊藤左千夫の小説『野菊の墓』の舞台になり、昭和57年には細川たかしの歌謡曲『矢切の渡し』が大ヒットして有名になりました。

 23日、細君、長女と「柴又帝釈天」を訪ねたあと、東側の江戸川に出て、広い河川敷の向こうを流れる川を渡って行く舟=写真②=を初めて見ました。暑い日差しの日中でしたが、舟の乗客たちは涼しげでした。

 私は読売新聞西部本社代表室長だった平成11年(1999年)当時、月に1回上京して読売新聞東京本社での会議に出席していましたが、千代田区大手町のビル街に吸い込まれていくビジネスマンの群れを見るたびに、東京は住む所にあらず、と感じていました。しかし、「柴又帝釈天」や「矢切の渡し」のある江戸川界隈を散策して、河川敷の芝生で寝そべっている家族連れやジョギング、サイクリングなどを楽しむ人も見かけ、自然もあって息抜きできそうなこの辺りなら住めるかも、と思いました。

 「東京ビッグサイト」というビジネス・ショーの最先端施設と、「柴又帝釈天」や「矢切の渡し」という民衆の歴史を伝える下町の風情、この二つの顔を併せ持つところが、東京の魅力の一つかもしれません。


写真②:千葉県松戸市矢切方面へ江戸川を行く「矢切の渡し」
     =東京都葛飾区柴又で、6月23日午後1時21分撮影
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