赤丸米のふるさとから 越中のささやき ぬぬぬ!!!

「勧進帳」の真実、富山県高岡市福岡町赤丸村の消された歴史⇒「越中吉岡庄」から「五位庄」へ

🔴🔹 南北朝時代の【越中国郡統治絵図】⇒守護畠山氏の直轄地「赤丸浅井城」と「赤丸浅井神社」での法要の記録!!

2018-09-23 | æ—§ç”ºå 富山県西礪波郡福岡町赤丸
●南北朝統一後の「越中国」は「八郡」 に分かれ、「利波郡」のほぼ全域が「五位庄」と成り、小矢部川を境に「五位の西庄」と「五位の東庄」に分かれる。「東寺百合文書」に、高岡市中田から砺波市にかけて在った「般若野庄」の中に「五位の東庄」が含まれた事が記載され、又、福野町野庄が「五位庄野尻」として記載される。南北朝を統一した室町幕府第三代将軍「足利義満」は、南朝の後醍醐天皇の庄園「吉岡庄」を接収して(※南北朝末期に「宗良親王」が「五位庄」と改名⇒《宝永誌》)、「五位庄」を足利家御糧所とし、室の日野業子が亡く成ると、自らが創建した「相国寺」に寄進している。








◆室町時代の「越中八郡絵図」


◆「足利義満」が統一する前には、赤丸浅井神社を郷社とする「後醍醐天皇」の庄園「越中吉岡庄」で在った。


◆江戸時代の「越中四郡絵図」


■「畠山文書」には、その当時の統治状況も記載され、「赤丸浅井城」は「畠山持国」、「福満城」・「木舟城」は「石黒氏」と成っている。又、その他の地域についても詳しく記載される。

■「足利義満」は、母方が「宇多天皇」と「宮道氏 ミヤジ」の子孫に当たる事から、「宮道氏」の子孫に当たる「越中蜷川氏」を政所代に任じ、越中の「利波郡」・「新川郡」を統治させた。「蜷川氏」の菩提寺「最勝寺」(※富山市蜷川⇒富山インター近く、富山県健康増進センター後ろ)を創建した「亀阜和尚」は、「赤丸浅井神社」・「川人山鞍馬寺」で「 赤丸村在住の藤原直家」 が父の法要を「明応四年」・「明応八年」に営んだ事が「富山県史中世」に記載されており、この「父」は「川人山鞍馬寺」を再建した人物で在るとその法要の香語に記載されている。




■「畠山文書」の絵図を見ると、「赤丸浅井城」は「越中守護畠山一族」の直轄の城と成っている事から、この法要の主催者は「畠山一族」と見られる。「能登畠山氏」は「源氏」だが、「応仁の乱」の時の「畠山義就」の子の「修羅法師」は、興福寺門徒で藤原氏の武将「古市胤栄」(※茶道小笠原流元祖)に預けられて育った。
恐らく、「藤原直家」とは、「応仁の乱」で悪人とされて追われた父の「畠山義就」との関係を伏せて、秘かに畠山氏直轄地の赤丸村に隠れ住んだ「義就」の子供「畠山修羅」の「子供」と見られ、父の「畠山修羅」が若くして亡く成った為に、「藤原直家」を名乗ったものと見られる。(※「大乗院寺社雑事記」)




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