赤丸米のふるさとから 越中のささやき ぬぬぬ!!!

「勧進帳」の真実、富山県高岡市福岡町赤丸村の消された歴史⇒「越中吉岡庄」から「五位庄」へ

🔴🔷🔹 【 真実の高岡市の歴史】は、かくて闇に葬られた。⇒暗黒の加賀藩の遺産【高岡市史】!!

2018-09-14 | 旧町名 富山県西礪波郡福岡町赤丸
●加賀藩記録「石堤村氏神一件」
(※「金沢市立玉川図書館」所蔵の皆月家(※赤丸村組合頭)文書)



◆「五位庄五十三ケ村惣社 延喜式内社赤丸浅井神社」


徳川幕府と手を組んでいた高岡市の「関野神社」は、越中の「吉田神道」の筆頭に在り、皇室と縁が深い「両部神道」(※修験道本山派聖護院、修験道当山派、熊野修験道、白山修験道等)・「白川神道」(※伊勢神道)等と対立して全国で吉田神道への改宗を迫り、半ば強制的に吉田神道に改宗させた。

■全国で吉田神道の陰謀が巡らされて、越中では加賀藩の前田利長を祭る神社として加賀藩を背景に延喜式内社赤丸浅井神社や二上射水神社、先宮熊野社等を関野神社の配下にする陰謀が氏子も交えて組織的に行われた。「前田利家」は、「豊臣秀吉」が行った「修験道聖護院派別院」の京都「方広寺」の造営に対しても高額な寄進をしたとも云われ、徳川幕府の手先的な吉田神道に対しては表向きの対応をしていた様だ。天皇家と密接で歴代の天皇皇子が門跡となられた「聖護院」の末寺の「川人山鞍馬寺・延喜式内社赤丸浅井神社」には、密かに歴代藩主が書面を遣わし、前田利家自身も赤丸浅井神社に五位庄管内53ケ村からの初穂米徴収権を安堵していたと云う。又、現在の「浅井神社」の額は、「加賀藩第十三代前田斎泰」の書によるもので、加賀藩の江戸板橋下屋敷には「赤丸山」と言う「築山」迄を造っていた事が知られる。

■「吉田神道神道関野神社」は、「二上射水神社」を配下に組み入れて高岡城の旧跡に移設する事に成功した事に味をしめて、高岡市熊野町の「先宮熊野社」(※後醍醐天皇皇子宗良親王創建)や元後醍醐天皇庄園「越中吉岡庄」の鎮守社の「延喜式内社赤丸浅井神社」等の由緒在る神社を密かに簒奪する陰謀を巡らした。「先宮熊野社」では、無断で関野神社の鳥居に「先宮熊野社」と額を掲げた事から、熊野町の氏子が関野神社に押し掛けてその額を破壊したと云う。これは、加賀藩時代には「先宮事件」として有名な事件であったと「越中宮極楽寺由緒」に記載されている。
「赤丸浅井神社」に対しては、「赤丸浅井神社」の末社の「石堤浅井神社」の神官の国吉村月野谷の清水神官を焚き付けて、「五位庄53ケ村総社、郷社延喜式内社浅井神社」と名乗らせて、「浅井神社」の本社は「石堤浅井神社」で在るとして、本来の「石堤浅井神社」に祭られていた祭具等を撤去して勝手に吉田神道の祭具を運び入れて吉田神道の「湯の花の神事」を行い、赤丸浅井神社に前田利家が安堵したと言う「初穂米の徴収権」を主張して勝手に管内から初穂米を徴収して廻った為に、「赤丸浅井神社」の別当「聖護院派川人山鞍馬寺」や加賀藩内の「聖護院派寺院」は連帯して「門跡寺院聖護院本山」や「加賀藩寺社奉行」に「関野神社」と「石堤浅井神社」の「不法」を訴えた。






■加賀藩では、寺社奉行の吟味が行われて「赤丸浅井神社」に勝訴を告げ、「月野谷清水神官は石堤浅井神社から勝手に持ち込んだ祭具を撤去して原状に戻せ」と命じた。
それでも、この争いの後も、加賀藩を背景にした関野神社一派は、事在る毎にその主張を続け、「宗良親王」の御車を改造したと「越中宮極楽寺」に伝わる高岡市二番町の「御車」も、【豊臣秀吉が後陽成天皇を聚楽第に御迎えした時に天皇が使用された鳳輦と言う輿を改造したものだ】と由緒を捏造して、高岡市の【御車山祭り】は「関野神社の神事」にまつわるものだと詐称している。「後陽成天皇」が聚楽第に行幸された時には「與車」(※牛車)では無く、人達が担ぐ「輿」を使用されている。
(※「後陽成天皇行幸絵巻」)










■しかし、現在の高岡市では、歴史的検証も無く、「高岡の命名由来」 や「御車山祭り由来」、「如意の渡し史跡」等についても検証される事無く、事実を伝えていない。「高岡市史」には「資料編」が無くて、「高岡市史」の信憑性は甚だ疑わしい作文が見られる。近年、この疑わしい「市史」に基づいて高岡市の文化が「●●遺産」として指定されている事に 著しい違和感を感じざるを得ない。



■【修験道廃止令 明治五年】全国の修験道は廃止を命じられて建物や本尊が廃棄された。この時に、修験道の寺院は「天台宗」か「真言宗」への改宗を迫られた。又、還俗して「神道」に基づいて「神社」のみを遺した両部神道寺院の「神官」には「苗字帯刀」を許すとされて、砺波郡赤丸村の門跡寺院聖護院派「川人山鞍馬寺」の別当「西宝院」は、還俗して「延喜式内社赤丸浅井神社」の神官になる事を選択して、名前も「川人他治馬」と改名した。この一族は平成に入って当主の47代川人貞現氏が亡くなると後継者が途絶え、今は縁者の「白川神道」の神官が代わって神官を勤めている。