赤丸米のふるさとから 越中のささやき ぬぬぬ!!!

「勧進帳」の真実、富山県高岡市福岡町赤丸村の消された歴史⇒「越中吉岡庄」から「五位庄」へ

🔴🌄「加賀藩江戸下屋敷」の「赤丸山」、「大岩不動尊」!! ⇒加賀藩第十三代前田斉泰公の『赤丸浅井神社』の信仰。

2018-09-03 | 旧町名 富山県西礪波郡福岡町赤丸



(※天保年間に使用された【加賀藩参勤交代道中懐中絵図】、江戸から金沢迄の道中のルート、宿舎、費用、時間等と共に街道沿いの名勝等も記された長尺の絵図。)

■『加賀藩下屋敷』
(※出典「中山道板橋宿と加賀藩下屋敷」板橋区、金沢市友好都市協定締結記念誌)
◆「絵図」には「越中五位庄 赤丸浅井神社」の鎮座する「清水山」を模した築山を【赤丸山】として、又、加賀藩主が崇敬した「越中国 大岩不動尊」を祀る築山を【大岩】として、二ッの「築山」が江戸下屋敷に設けられていた。
【大岩】には「大岩不動尊」の実際の岩を切り取って不動尊の写しを彫らせ戸室石の祠に祀って在った。(※この「不動尊像」は、昭和期に富山県上市上市町の「大岩不動尊」に遷仏され、本堂脇に安置されている。)










■東京の板橋に在った「加賀藩下屋敷」は幕末期には兵器工場と成り、大砲や鉄砲の生産を行っていた。







■「越中五位庄惣社 延喜式内社赤丸浅井神社」
(※富山県高岡市福岡町赤丸)

「赤丸村」には『清水山』や『城ケ平山』等の山並が在り、山々には延喜式内社として信仰が篤かった「赤丸浅井神社」や「別当 門跡寺院聖護院派 山伏 川人山鞍馬寺 」、「清水観音堂」、「愛宕社」、「熊野社」等が在り、京都の「清水寺」に在る「音羽の滝」の名をつけた大滝が浅井神社背後に在り、当時は観光地、景勝地として富山県内では著名だった。又、加賀藩第十三代藩主の『前田斉泰』が『赤丸浅井神社』の社名を書いた掛軸を寄進している。この掛軸の文字を写して現在の『浅井神社』と言う額が作製されている。
(※「門跡寺院聖護院」;歴代の天皇の皇子が門跡に成られた京都の寺院。初代門跡は、「越中吉岡庄」の領主「後白河上皇」の皇子「浄恵法親王」。川人山鞍馬寺宝物として今も献上札が赤丸浅井神社に残る。)
(※「延喜式内社赤丸浅井神社」;「皇室」が祀る八神の内の「高皇産霊神」と出雲の「大国主」系の神「八河江比売」を主祭神とし、「五位庄域内の神々」を併せて祀る地域を代表する惣社)





























■「大岩不動尊」(※富山県上市町)

【大 岩 山 三 門】
(※正式には「空門」・「無相門」・「無願門」の三境地を経て仏国土に至る門、「三解脱門」の意味から『三門』と云う。)





■『越中国 大岩山』の『大岩不動尊』の写しが加賀藩の下屋敷に祀られていた。その石材は、実際の富山県上市村の磨崖仏『大岩不動尊』の右肩の石を削って使用されていた。現在も『大岩不動尊』の右肩上部には、この石材を切り出した跡の大きな穴が空いている。
この大岩不動尊の写しは、昭和時代に加賀藩下屋敷が某生保に売却された時に、この生保と施設施工会社の寄進により上市町の大岩不動尊に遷仏され、盛大に「遷仏会」が行われ、現在は本堂隣の「愛染堂」に祀られている。



■「加賀藩板橋下屋敷」には「赤丸山」と云う小山や「大岩不動尊の写し」を祀った「大岩」と呼ばれた「築山」が在った。

広大な「加賀藩下屋敷」(中山道板橋宿)には、「赤丸山」、「大岩」等の富山県の地名がつけられた山があり、「大岩」には大岩不動尊の岩で造った大岩不動尊の写しが、高さ1M近くの金沢の「戸室石」で造られた「祠」に祀ってあった。加賀藩は前田利常が大岩不動尊に祈願して子宝を授かった事から、歴代の奥方は嫁いだ時に数ヵ月間「大岩不動尊」に参籠された。

■加賀藩下屋敷は参勤交代の時にも使用された様だが、平時にはこの広大な下屋敷では亥狩りや鴨等の狩りが行われて将軍に献上されたと云う。この下屋敷には山や川、湖、山林、農地等が有り、幕末の時には兵器製造工場となり、大砲が鋳造された。加賀藩には上屋敷、中屋敷、下屋敷が有り、上屋敷跡は東京大学のキャンパスになっている。現在、板橋区と金沢市は姉妹都市になっている。


■「大岩不動尊」※富山県上市町
本尊大岩不動尊

愛 染 堂

観 音 堂

六 本 滝


(※資料は大岩不動尊の許可済み)

💥💥 相変わらず続く「高岡市のウソ」 ⇒「義経記」では「勧進帳の場面のモデル」は「五位庄二位の渡し」の事。しかし、北日本新聞の記事では、高岡市は性懲りも無く、市の予算で新たに設置し直すと云う。

2018-09-03 | 旧町名 富山県西礪波郡福岡町赤丸
■【お粗末な高岡市の教育レベル、観光振興政策】
「高岡市」では、市長や教育委員会がでっち上げた「義経記」の「二位の渡し・如意の渡し」に無駄な税金を投下し続けている。この実際の場所は、富山県高岡市福岡町赤丸の「延喜式内社赤丸浅井神社」・「赤丸浅井城」の前に在った舟乗場だが、「小矢部川の伏木河口がその場所だ」と主張して公費をかけて「観光地」をでっち上げた。真実は「義経記」そのものを読めば自ずから明らかで在る。
(※小矢部川は鎌倉時代には西山の麓に沿って流れていた。高岡市の水道公園にはその説明版が在る。)
平成29年には、この【贋の渡し場】に設置されていた巨大な「義経・弁慶の銅像」を再び、公費をかけて伏木駅前に動かしたと云う。この様に、市民の税金が高岡市長、議員、教育委員会・地元有力者の「悪趣味」の為に私的に浪費されて、高岡市財政は破綻した。
(※関係者はこの有名な「義経記」すら読んだ事も無い【エセ知識人】!!)





■小矢部川河口には巨費を投じて巨大な「義経・弁慶の銅像」が設置されている。




■この場所は、「元正天皇の二宮が創建された赤丸浅井神社前の二位の渡し(※二宮)」での出来事だが、加賀藩士が書いた「越中志徴」で、「元正天皇は女帝で子供が無い事からこの浅井神社由緒は間違いだ」とし、伏木の「古国府城」の近くに守護町があるから、「場所は伏木河口か?」と記載した為に、伏木の人達は「五位庄の出来事」とも知らず、「守護町」が南北朝の斯波氏が数年館を構えたに過ぎない事も知らずに、小矢部川河口に「如意の渡し」と言う観光地を佐藤高岡市長がでっち上げた。?
しかも、この小矢部川河口は「二上庄」と言う地域で、「五位庄」とは全く違う場所だ。
元正天皇は文武天皇の妹で、文武天皇が若くして亡く成った為に文武天皇の中宮に擬制されて女帝と成り、幼い聖武天皇の母代わりに成られた。『赤丸浅井神社』は「続日本紀」にも記載されるが、この聖武天皇の義弟で在り、実在の人物の「石川朝臣広成」の創建であり、万葉集にもこの人物の歌三首が掲載されており、大伴家持、利波臣志留志と同時代の人物だ。「赤丸浅井神社三社記」にはこの人物が浅井神社を中興されたとされている。
(※元正天皇は「継嗣令」を発布して「全て天皇の子供は親王とする」とされた。)
高岡市の観光は誰でも知っている歴史を偽造して、正確な歴史も知らずに作り上げられており、正に無知厚顔と言える。

●江戸時代の享保年間に作成された「養老律令」の解説書「令義解」には「養老律令継嗣令」の解説が遺されている。





●「義経記」に登場する場所は、「義経記」では「五位庄」となっているが、実際は南北朝時代末期迄は皇室庄園の「越中吉岡庄」(※高岡市福岡町赤丸周辺)と呼ばれており、「義経主従」が奥州に向けて落ち延びた時には、「義経」を庇護していたとされる「後白河上皇」の庄園(※後院領)で在った。(※「平範記」)

■「国立歴史民俗博物館庄園データーベース」



■「延喜式内社赤丸浅井神社」の別当は門跡寺院聖護院派の「川人山鞍馬寺」で在り、「川人山鞍馬寺三社縁起」にはその由緒が記されており、聖護院の初代門跡は後白河上皇の皇子が就任されている。