歩き日記

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前田三介男氏絵記録を読み解く(P1/23~P4/23)

2012年12月13日 | Weblog
 山の案内 歩き日記 前田三介男氏絵記録を読み解く(P5/23~P8/23)

 私は、前田用水路の沿革を、一冊の本にまとめた時、指導を頂いた、坂元徳郎先生から、前田三介氏の絵記録を見せてもらい、興奮したのを覚えています。詳しくは→前田三介氏絵記録 を見てください。その時、読み解かないと、いけないと、思っていました。

 やっと、思い腰をあげ、今回の公開となった次第です。くずし文字は、難読な文字が多く、苦労しました。勝手に解釈した文字もあります。また判読不能文字は、???で表現しました。

 絵日記は全23ページですので、ぼちぼち公開したいと思います。前田三介氏は、東京在住で、一歩園管理のため、度々、宮崎県庄内町を訪れています。絵記録の日付は、記録した日付と思われます。 

 関之尾水源地の取入口 昭和三年十二月十九日 P1/23

  先月三十日宮崎県庁で池田庄内町長、志和池村長、山田村助役、林耕地課長と寄合して愈々水利組合を設立することに取運び、翌月十五日此区域決定の為め庄内に寄合するとを 約束して一日に出発三等特急で 昼夜兼行を翌二日夜に帰京した」

 其の約束を果たす為めに十二月十五日の夜庄内に来た 尤も此の日から夜半にかけて 宮崎市民は県会が女子師範を都城に移転することを決議することに 激高して消防隊???の卿筒を以て 二百馬力のガソリンをかけて県会、知事官舎を水攻めにし 一万の群集が騒ぎ出し 警察も手の下し様もなく軍隊憲兵の応援を以て漸く鎮静した」

 此の思い掛けなき突発事件の為めに池田町長事県会副議長は多忙を極め十五日此の寄合いは逆に未だ果たされて相にない 十九日市兵衛と水源に行く 何時見ても清々しいのは此処の眺めだ 冬の水は澄み切って居る 何の騒擾も知らざるめく」
  
 宮崎女子師範移転反対騒動 愈愈(いよいよ):その時がやってきた。 騒擾(そうじょう):事件などを起こし社会の秩序を乱すこと。

水源の水門小屋 昭和三年十二月十九日 P2/23

 冬は田に水は要らないが 新田が用水時期に水を成る丈け吸わないために 冬も水をかけて置く必要がある 然のみならず 下流の谷頭辺りでは 消防用の水は一歩園の用水に頼るのだから 二度も警察から通水を要求して来た」
 
 刈入時に止めて置いた水を通す為めに 市兵衛は水門を開けた上に(関ノ尾水路のを)上がるといふ 即ち一緒に行く」

 彦四郎爺(ジジイ)も来てゐた 市兵衛は水門のハンドルを執つて グルリ」グルリと廻す二寸丈け開ける 此の夏から不思議に多い、川の水は開けられた水門の中に泡を立て、吸い込まれて行く 渦が出来る 枯れた松葉がクルッと廻り 乍ら潜り下って行くのが見ゑる」

作業を終わった市兵衛と彦四郎爺は 一服の莨をさも美味(ウマ)そうに喫ふ」

関ノ尾ノ滝
 昭和三年十二月十九日 P3/23

 関ノ尾ノ瀧は宮崎県下の名勝地の一つだ 春から夏にかけて見物に来る人数は年を遂ふて増す 瀧のノ上の亀甲岩は 世界でも珍らしいものとして 近来有名に成った

 昔は庭石に採って来られたけれ共 今では厳重に保護されて 誰も持って来ることは出来ない 此の辺に小屋でも立てやうかといふ考は 誰にでも起きることだが 御大典の記念に是非そうしたいものである。両岸共一歩園のホ有地に成ってゐる

御大典:天皇が皇位を継承したことを内外に示す儀典で、最高の皇室儀礼とされる。

関ノ尾水路より庄内町、東岳を遠望 P4/23
 昭和三年十二月十九日

 雲もなければ 風も吹かない 珍しい 良いお天気だ 九州の空気は鈍重で厚さのある感じがする 遠山には青味が濃くかかる 偶には好ましい色を呈する。偶には:たまには

 

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