マラソンと登山と音楽が趣味だったオット。
ウォーキングの帰りに横断歩道を横断中、
制限速度を20キロ以上オーバーした4tトラックに跳ね飛ばされました。
その距離、約27メートル。
25mプールを余裕で飛び越えて
意識不明の重体。
骨盤は左右と真ん中の3カ所折れてグラグラ。
お腹の中は噴水状態だったそうです。
頭から足首まで身体中骨折して、
膨れ上がった顔は誰だかわからないくらいでした。
オペに入れたのは、運ばれてから1時間後で、
いつの間にか日付が変わっていました。
「耳は最後まで聞こえている」
という、天童荒太の「悼む人」の言葉が頭にあって、
オペ前に子供達を会わせるかと聞かれた時、
「会わせます」と即答。
茫然としている2人を促し、
「みんな来てるよ。みんなついてるからね」
と声をかけ送り出しました。
1時間もせずに待合室の「救急救命、手術中」の表示が消えた時は、
駄目だったか、と一瞬思いました。
まずは止血の処置だけで、
あとは本人の力に期待しましょう、と言われ、
祈るしかありませんでした。
2時間後には出血が多くなって緊急手術。
その後、骨盤の手術ができるまで数回手術がありました。
腫れあがったお腹が閉じられたのは9日後、
それまでパックリ開いたままでした。
その後もいろんなことを乗り越え、
リハビリ病院へ1ヶ月半後に転院しました。
そのころはまだ足に体重がかけられず、
車椅子に移る時も二人掛かりでした。
意識はというと、はっきり戻ったとは言えないと言われていて、
目の焦点は微妙で話は出来るんだけど、会話にならない会話をしていました。
記憶はどんどん消えて、付き添い中にちょっとトイレに行って戻ってくると、
「わー、来てくれたんだ」
と、毎回新鮮に驚いてくれていました。
それからひと月半して、リハビリ病院の先生の強い強い要望で、
頭の中に溜まっている血を抜く手術を元の大学病院でする事に。
大学病院では今抜かなくてもいいのではと、かなり渋っていたけれど、
勢いよく結構な量の血がでたらしく結果的に良かったという事でした。
翌日会いに行くと、オットは別人のようになっていました。
というより、目の焦点があって元に近くなっていたのです。
「目が覚めたよ!」
が第一声でした。
ずっと夢の中にいるみたいだったそうです。
事故から3ヶ月経っていました。
なんでこんなにも
加害者は守られているんだろう
なんでこんなに
被害者は
立場が弱いんだろう
揚げ足を取られかねない危険な立場にいるのは
なぜ
私たちなんだろう
どこで本音を吐き出せばいいのか
そんな日は来るのか
飲み込んだ言葉の色々が
腐っていく
いつの間にか3月。
息子は高校生活を一年、なんとか終えようとしています。
イロイロあって今、落ち着いています。
加害者ってさ
保険の担当者に丸投げでいいよな
謝ったのも連絡も上司でさ
本人
他人事だろうな
って思い始めると
腹立ってくる
そんな感情も
日々の生活が落ち着いて忘れてたけど
弁護士さんから
事故のアレコレ、
オットの障害アレコレ
聞かれると
蘇ってきて
行き場のない怒り
ぐるぐると渦巻きに
そんな時はゴロンとひっくり返って
屍になるのだ
ケ・セラ・セラ
寝るしかない
言っても仕方ない事
どうにもならないこと
を、あえて言う。
事故がなかったらさ
って、
タラレバは存在しないってわかってても
モヤモヤした消化不良の気持ちが
心と頭からでていかない
そんな夜があってもいい
おはようございます
今朝は小雨がぱらつく曇り空です
長袖シャツにパーカー、と一気に長袖二枚重ね
秋が深まってきたなぁと感じます。
先日土曜日、オットは午前中精神科の受診
午後はメディカルフィットネスでした
実は6か月間リハビリした病院を退院後すぐ
精神科を二人で受診しました。
なぜかというと
ただわかなかったからです
オットがどんな事が辛くて
どんなことが不安なのか
私にはわかない
冷静にフォローできるほど
自分は落ち着いていない
彼がもしパニックになってもどうしたらいいか
すごくすごく不安だったので
専門家の手を借りようと決めたのです。
ところが、実は私が一番
心の濁流にのみこまれそうになっていたようで
コレはヤバイ!
どんな事をしても自分がまずは自分の足で立たなくては!
と思いました。
ええ、思いましたし、決心しましたし、誓いました。
プライド捨てでも!
子供達、支えてくれる両親、兄、友人、会社の皆さんのためにも!!
ここにオットが抜けてるんですよね
何でだろう?
それからずっと心に引っかかっていました
しかし病院でのリハビリを日常にいかす難しさ
オットの障害の現実
経済的不安
刑事裁判の行方
保険や承諾書のサインの山
娘の受験のフォロー
息子の部活の送迎、試合
リハビリ、精神科受診への付き添い
諸々と
日常が細切れでやる事の優先順位が混乱し
不安のスパイラルにはまってしまい
体重は一気に5キロ落ち、体力的にも限界に
退院3か月後、娘の入試、入学手続きの書類作成の頃には
字がまともに読めない、書けない状態になり
自分の名前さえ一字一字、いや一画一画の真剣勝負!
そんな中多感な年頃中2男子が黒子のように
オットをサポートし
私がキレそうだとみれば
白馬の王子のようにさっと出てきて
オットを避難させる、という
役割逆転、カオス化していた我が家
あんなに誓ったのに
プライド一つ捨てられないとは。。
何度Dr.にビンタくらっても(もちろん実際殴られたわけじゃありません)、
離せませんでした
受け入れられないことさえ受け入れない
なんという頑固さ!
そんな自分を初めて知りました
そして肝心のオットの精神状態は。。。。
どうだったんだろう
今、退院して10ヶ月がすぎてみて
彼は変わっていないのかもしれません
今もあの時もただ家に帰れて嬉しい
それが一番で落ち着いていたのかも
もしかしたら
あの時、ツマの頭からオットが抜けていたのは
彼なら大丈夫
自分で立ち直る
と、勝手だけどそう信じていたのかも
ともかく、退院後精神科に行った事は
大正解でした。
まだまだこれからも生活の変化は続きます
ツマの見栄もまだそこかしこに残っていますし
反省して、またキレて、ちょっと学習して
限りなく薄い層がバウムクーヘンのように
成長していってると確信しています

