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(再録)現代中東の王家シリーズ:サウジアラビア・サウド家(19)

2019-03-19 | 今日のニュース

 

初出:2007.9.7

再録:2019.3.19

(注)以下の人名、肩書はいずれも2007年当時のものです。

 

(19)サウド家の後継問題(2):皇太子選定ルールを透明化

 アブダッラー国王は皇太子にスルタン第二副首相兼国防相を指名した。第二副首相が次代の皇太子になることは、先々代のハーリド第四代国王の時代にアブダッラー自身が第二副首相に任命されて以来、サウジアラビアの慣例となっており、スルタン皇太子指名は順当なことと受けとめられた。

 アブダッラー国王は83歳、スルタン皇太子79歳といずれもかなりの高齢である。スルタンの王位継承は80歳過ぎとなる可能性が高く、スルタン政権が短期に終わることは間違いない。仮にスルタンがアブダッラーより早世したとしてもアブダッラー政権がさほど長くないことも明らかである。彼らと同じ第二世代の王族の中にはムクリン・ハイール州知事[1]のように第二次大戦後生まれの王子もいるが、大半は70歳を越えている。サウド家は世代交替の時期に入っていると言える。

 首相を兼務するアブダッラー国王は即位後の内閣改造で第二副首相を置かなかった。そのことについて内外のメディアで種々の憶測が飛び交った。もしアブダッラーが死亡若しくは退位してスルタンが第7代国王になった場合、統治基本法に従えばスルタン新国王が皇太子を指名することになる。これまでのような第二副首相がいないため、新皇太子はスルタンの胸先三寸で決まることになる。

 現在のサウド家はファハド前国王時代の名残として、スルタンを筆頭とするスデイリ・セブン一派とアブダッラー国王を中心とする反スデイリ一派の二大派閥に分かれている。穏健でコンセンサスを重視する国王が第二副首相を指名しなかったのは、二大派閥の暗闘が表面化し内外にサウド家分裂の印象を与えたくなかったためと考えられる。しかしこのまま事態が推移すると次期皇太子の決定権はスルタンが握ることになる。

 そのような中で昨年10月、アブダッラーは勅令で「忠誠委員会法」を公布し、皇太子指名のプロセスを明文化した 。忠誠委員会とは第二世代の全王族(故人や継承権放棄者についてはその子息の1人)による協議機関であり、その目的は皇太子の選定が新国王及び彼に同調する一握りの王族による密室協議で行われる不透明さを避けるためである。

このような協議機関としてはファハド前国王時代の2000年に「王室評議会」が設置されているが、両者の大きな違いは、「王室評議会」が一部の直系王族と五摂家など外戚を含む18名で構成されていたのに対して、「忠誠委員会法」では外戚をはずし第二世代及びその直系王族で固めたことにある。忠誠委員会の委員は、アブドルアジズ初代国王の息子(第二世代)及び孫(第三世代)で構成され、第二世代の最年長者が委員長とされている。

委員会の構成人数は明記されていないが、初代国王の息子は36人であるため、委員も第二世代の存命者21人及び物故した王族15人の子息から各1名ずつと見るのが順当であろう。その場合、スデイリ・セブン系統は全体の2割の7人を占める最大の派閥となり、この点では「王室評議会」とさして変わりはないように見えるが、第二世代全員を対象としたことで透明性を増したことは間違いない。

 委員会法では新国王が即位して30日以内に皇太子を指名するとされている。現在の状況を前提とするならば、アブダッラー国王が亡くなりスルタンが新国王に即位した場合と言える(但しスルタンがアブダッラーよりも先に亡くなるケースもあり得るが)。また国王或いは皇太子が重病となった時を想定して、3人の医師を含む5人の医療小委員会が設置され、国王又は皇太子が執務不能になったか否かの医学的判断を行い、忠誠委員会に報告書を提出することになっている。

 皇太子選定プロセスは、新国王が3名の候補者名簿を委員会に提出し、委員会ではその候補者の中から新皇太子を選定する。もし委員会が国王の示した候補者全員を拒否する場合は、委員会自らが独自の候補者を国王に提示する。そして国王が委員会の候補者に同意できない時は、委員会は先に国王が提示した3名の中から投票で皇太子を選出する、とされている。この間、委員は新皇太子を選出するまで退席することは許されない。このあたりはローマ法王庁で新法皇を決める際の「コンクラーベ」と同じである。

 このように皇太子指名のプロセスはこれまでよりも格段に透明化された。しかし忠誠委員会が何時開催され、そして皇太子に誰が指名されるかはまさに「神のみぞ知る(インシャッラー)」である。

(続く)

 

本件に関するコメント、ご意見をお聞かせください。

荒葉一也

Arehakazuya1@gmail.com

 

 

(再録注記)



[1] 後にサルマン国王即位時の2015年1月に皇太子に指名されたが、わずか2カ月で退位した。

 

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