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サウジアラビアが国名を変更する日

2019-05-13 | 中東諸国の動向

(英語版)

(アラビア語版)

 サウジアラビアは1932年に成立した歴史の新しい国家である。正式国名「サウジアラビア王国 (Kingdom of Saudi Arabia)」が示す通り、サウド家が支配するアラビアの王国である。リヤド近郊の豪族アブドルアジズ(通称イブン・サウド)がアラビア半島の諸部族を制圧して初代国王に即位、彼の死後は息子たちが王位を継承、第六代サルマン現国王もその一人である。現国王の後は第三世代のムハンマド皇太子(Muhammad bin Salman, 略称MbS)が次期国王に予定されている。しかしサウジアラビア国内外の政治・経済状況は不安定であり、ムハンマドが国王になれる保証はない。本稿は以下に述べる推論をもとにサウド家が権力の座から陥落する可能性を指摘したものである。

 

サウド家が主張する二つの正統性

 アラビア半島を武力で制圧したサウド家が自らの支配力を誇示するため「サウジアラビア王国」と名乗ったのは当然の帰結であろう。しかし国名に支配者の家名を冠した国は世界でも例を見ない。(他にはイスラームの開祖ムハンマドの家系ハシミテ家の名を冠した「ヨルダン・ハシミテ王国(通称ヨルダン)」のみ。) 第二代国王以降も国名と専制支配体制を当然のこととして継承しているが、第二次大戦後に民主主義、法治主義が世界の主流になると共にサウジアラビアに対する風当たりは強くなっている。

 

 法治主義を考慮して第五代ファハド国王は1992年に「サウジ統治基本法」を制定した。同法第5条では、サウジアラビアはアブドルアジズとその子孫(男子)が統治する君主制と規定し、サウド家支配の正統性を明文化した。しかし統治基本法はサウド家が自らを正当化するものに過ぎず、一般国民が同家の正統性を認めた訳ではない。

 

 このためサウド家は専制統治の正統性にイスラームを利用した。1986年にファハド国王(当時)が「二聖都の守護者(Custodian of the Two Holy Mosques)」を宣言し王位の宗教的権威付けを行ったのである。イスラームではマッカ、マディナ及びエルサレムの三つの聖地があるとされ、サウジアラビアにはマッカとマディナがある。ここで注意を要するのはサウド家は守護者であると宣言したのであって、サウド家自身はあくまで世俗政権であり、イスラームの宗教的権威を利用しただけである。しかしサラフィズム(原理主義)運動の一つワッハーブ主義を厳格に適用してきた同国が、最近は原理主義を排除し、さらにイスラーム同胞団をテロ組織と認定するなど宗教色を薄めようとしている。信仰心の篤い中高年層はこのようなサウド家の身勝手さに疑問を抱いている。

 

 一方で為政者には国民との契約関係に基づく世俗的正統性も求められる。通常の国民国家では為政者は国民の基本的人権を認め生命財産を守ることを要求される。国民はその代償として国家による徴税権を認める。もし為政者が税を恣意的に分配した場合、国民は為政者の交代を求める権利がある。それが近代国家の普通の姿であろう。

 

 ところがサウジアラビアはレンティア国家であり徴税の必要性が無い。レンティア国家とは「金利分配国家」つまり不労所得を国民に分配することで財政が成り立つ国家のことである。サウジアラビアの場合、その不労所得とは石油の富である。サウド家は石油の富を国民に分配することで国民を満足させ或は不満を抑えている。

 

 また国民が王制を支持するもう一つの要因として、国王が国民を抑圧せずなおかつ為政者にふさわしい義務を果たせば、国民は君主制の存続を認める。これはフランス語のNoblesse obligeと呼ばれるものであり、高貴な者が身分に伴う義務を果たすという意味である。これは現代社会で意外に意味があることはヨーロッパの王室或は日本の皇室の例を見ればわかるであろう。サウド家も国民の敬愛がなければ正統性に疑問が生まれるはずである。

 

正統性が劣化しつつあるサウド家

 ムハンマド皇太子が唱える「サウジアラビアは普通の国家になるべきである」と言う主張がサウド家統治の正統性を劣化させつつある。「普通の国家」を標榜する皇太子は石油に頼らない経済と称してVAT(付加価値税)を導入するなど国民に負担を求めている。急激に増加する人口を養うためには負担はやむを得ないと国民自身も感じているが、これまでの安穏な生活に慣れ切った大人たちにはその覚悟がない。生活水準が悪化すれば政府が何とかしてくれるはずだという甘えがある。

 

 若年層は将来の生活に対して大人以上に不安である。公務員になることは難しく、選択肢は民間企業で働くか、自ら起業家になるかである。民間企業は公務員に比べ給料、福利厚生などが低く魅力が乏しい。皇太子はVision2030でAI、IT、エンターテインメント等のバラ色の新事業を盛り込んで若者の起業熱をあおる。

 

 ただ起業は決して容易ではない。成功するのは独創的な発想と並外れた集中力を発揮する一部の者に過ぎない。ぬるま湯の教育福祉制度のもとで育ったサウジアラビアの若者たちに独創性や集中力は期待できない。結局多くの若者たちは夢破れて失業し、政府の無策を叫びだすに違いない。

 

 だからと言ってサウジアラビアに直ちに革命が起こる訳ではない。革命とは納税者たる市民が無為無策の政府に向けた怒りの具体的な行動である。しかしサウジアラビアには国民の不満を抑え込むことが可能な石油の富がある。結局脱石油政策は失敗に終わり、再びレンティア国家に戻るであろう。

 

 その時になって国民は石油の富が等しく分配されているかについて厳しくチェックするであろう。そしてサウド家の富の分配政策に疑問を感じた時、自分たちの国が「サウジアラビア」すなわち「サウド家のアラビア」であることが妥当かどうか考え始めるに違いない。

 

以上

 

本件に関するコメント、ご意見をお聞かせください。

荒葉一也

Arehakazuya1@gmail.com

 

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