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(再録)現代中東の王家シリーズ:サウジアラビア・サウド家(12)

2019-02-05 | 中東諸国の動向

 

初出:2007.8.7

再録:2019.2.5

(注)以下の人名、肩書はいずれも2007年当時のものです。

 

(12)サウド家の有力家系(1):アブダッラー国王[1]

 これまで11回にわたってサウド家の歴史或いは王族の閣僚・知事・高級官僚について概観してきたが、今回から数回に分けて現在のサウド家を構成する有力な家系について考察することとする。

 アブドルアジズを第一世代とする第三次サウド王朝は既に第六世代まで誕生しており[2]、男子王族の数は千人を超えている。18世紀初頭の第一次サウド王朝にまで遡ればサウド家の家系は無数とも言える数にのぼるが、ここではアブドルアジズの子息達、即ち第二世代のうち有力と考えられる何人かの王族とその子孫の家系を取り上げることとする。

 なおサウド家の王族には名前の最後に「サウド家」であることを意味する「Al Saud」が付けられている。第一次、第二次サウド王朝から派生した傍系王族にはスナイヤーン家、ジャラウィ家などを名乗る家系もあるが(第1回「サウド家のはじまり」参照)、第三次サウド王朝であるアブドルアジズの息子達の家名は、故ファイサル国王の子息と孫達が自らを「ファイサル家(Al Faisal)」と名乗っていることを唯一の例外として、その他の第二世代の王族とその子孫は全て「サウド家」の家名を使用している。

しかし本稿では第二世代の王子の名前をそのまま家系名とし、以下の通りアブダッラー国王とその子孫を「アブダッラー家」、スルタン皇太子[3]とその子孫を「スルタン家」等と呼ぶこととする。

アブダッラー家(アブダッラー国王家々系図」参照)

 アブダッラー家の当主アブダッラー現国王はアブドルアジズ初代国王とアラビア半島で最も有力なベドウィンであるシャンマル族出身のアル・ファハダ王妃の間に生まれた男子である。彼自身もベドウィンの生活慣習を最も重視し、春先に首都リヤド郊外の砂漠で行われるベドウィンの祭典「ジャナドリーヤ」では必ず開幕宣言を行うほどである。因みにこのジャナドリーヤの祭典には英国のチャールズ皇太子もほぼ毎年顔を出しており、サウジアラビアと英国の王室の親密さを印象づけている。

実の兄弟が無いアブダッラーは、「スデイリ・セブン」と呼ばれ多くの兄弟を持ったファハド前国王とは対照的である。ファハドは若くして欧米文化に触れ、皇太子・国王時代を通じて親米的な方針に終始したが、一方のアブダッラーはイスラム教育で育ち、また彼自身がベドウィンの流儀を好んだため保守的とみなされてきた。そしてファハドが弟達との強い結束でサウジアラビアの近代化を進めてきた中で、アブダッラーは皇太子というNo.2のポストにありながら、むしろスデイリ兄弟に疎外され目立たない存在であった。そのため1982年に彼が皇太子に指名された時、欧米では彼のことを単に保守的でおとなしい王族としか理解していなかった。

しかしファハド前国王が病床に伏し90年代半ばにアブダッラーが実権を掌握すると、彼が有能で他の王族や部族に人気の高い為政者であることが明らかになった。それは血族に対する依姑贔屓がなかったこと、またサウド家以外の他の部族とも強い信頼関係を醸成し、ベドウィンの伝統である話し合い(マジュリス)の精神を尊重したためと言える。こうして彼は今では国内でカリスマ的な人気を得ており、さらには対外面でもアラブ・イスラームの指導者として揺るぎない地位を確立している。

アブダッラーの権力基盤は国家警備隊(National Guard)である。国家警備隊はサウド家に忠誠を尽くす各地の部族が中核となっているサウド家の近衛部隊とでもいうべき存在であり、正規軍と共に国防の双璧をなしている。アブダッラーは40年以上前の1963年に国家警備隊の司令官となり、国王になった現在もその地位にとどまっている。因みに正規軍についてはスルタン(現皇太子)が1962年に国防大臣に就任し現在に至っている。このようにアブダッラーとスルタンは国防面で勢力を二分しているのである。

アブダッラーはこれまでに少なくとも5人以上の女性と結婚し、10数人の王子を含め30人以上の子供をもうけている。そのうちアヌード妃との間に生まれたムテーブ王子(1949年生)が父親の右腕として国家警備隊副司令官の地位にある。彼の実兄ハーリド王子もかつては国家警備隊東部地区副司令官であったが、現在は民間企業数社の会長・社長をつとめている。その他アイーダ妃の長男アブドルアジズ(1964年生)はMillennium Fundの会長であり、また彼の実妹のアディーラ王女はジェッダ商工会議所の女性部会長である。

このようにアブダッラーの子供達には国家警備隊以外の官職に就く者が無く、実業界に名を連ねる者が多い。この状況を見る限りではアブダッラーが息子達を官職に就けることに熱心でなかったように見受けられる。これは彼自身の性格が淡白であるためと言うより、むしろファハド前国王時代にスデイリ・セブンが大臣や中央官庁の高級官僚ポストを一族で独占したことに原因があると思われる。アブダッラーは、国家防衛隊を自己の勢力の中核とし、またそれを通じて地方の部族を味方に引き付けることでスデイリ・セブンに対抗しようとしたのであろう。

スデイリ・セブンのスルタンとナイフが国防相と内務相としてサウジアラビアの国防・治安を押さえていることに対抗して、アブダッラーは国家警備隊組織を通じて地方の有力部族を自陣営に引き込んでいる。そして彼の弱点である外交関係についてはファイサル家のサウド外相[4]を、また経済関係についてはタラール家のアル・ワーリド王子(Kingdom Holdingオーナー)をそれぞれ味方につけることでその弱点をカバーしていると言える。つまり中央政府の国防・治安を握るスルタン家及びナイフ[5]家のスデイリ兄弟を、地方組織を掌握するアブダッラー家と外交を握るファイサル家が包囲するとでも言うべき図式である。

但し今後スルタン・ナイフ(スデイリ)連合対アブダッラー・ファイサル連合の権力闘争が表面化すると見るのは皮相であろう。これら4家はあくまで「サウド家」の傘の下の運命共同体であり利益共同体である。一族の内紛がサウド家王政の命取りになることは彼ら自身が一番良く認識しているはずだからである。


(続く)

 

本件に関するコメント、ご意見をお聞かせください。

荒葉一也

Arehakazuya1@gmail.com

 

 

(再録注記)



[1] 2015年没。現在はサルマン国王。

[2] Abdulrahman S. Al-Ruwaishid著「The Genealogical Charts of The Royal Saudi Family」Second Edition, 2005年発行によれば第6世代まで検索可能であるが、現在までにさらに世代更新が進んでいると考えられ全容は不明。

[3] 2011年没。

[4] 2015年没。

[5] Naif bin Abdulaziz Al Saud、2012年没。

 

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