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(目次)
第1章 民族主義と社会主義のうねり(17)
033.イスラエル独立(その4):対英テロ活動を経てついに独立(3/3)
独立の好機到来とばかりハガナーやイルグンなどは対英・対アラブのテロ活動を強化した。ハガナーの主要メンバーには後に首相となりノーベル平和賞を受賞するイツハク・レビン、隻眼の軍人として数々の武勇伝を持つモシェ・ダヤン等が、またイルグンにはこれも首相になったメナハム・ベギンがいた。
そしてユダヤ人たちは英国の委任統治終了の日に独立を宣言した。独立の指導者ベン・グリオンはこの日、「イスラエルの地はユダヤ人誕生の地である」と言う書き出しに始まる独立宣言を読み上げた。周辺アラブ諸国はイスラエルの独立を認めず軍事介入に踏み切る。これが第一次中東戦争である。
1949年3月、紅海につながるアカバ湾の最奥部にある港町エイラートも戦場となりイスラエル軍が占領した。この時イスラエル軍は近くのホテルのシーツに青いインクでにわかづくりの国旗を作り港に掲揚した。これが「インクの旗」と呼ばれるものであるが、その時の写真は第一次中東戦争を象徴するものとして今も語り継がれている。それはまさに太平洋戦争の激戦地硫黄島で米軍が掲げた星条旗の写真とうり二つである。こうしてイスラエルは地中海に加え紅海側にも出口を確保したのである。
同じ年エイラートの町の郊外のパレスチナ人農家ザハラ家に男の子が生まれている。この戦闘ではザハラ家は戦火を免れ細々とではあるが平穏な暮らしを続けることができた。しかしその平和な生活がいつまでも続くという保証はなかった。
(続く)
荒葉 一也
E-mail: Arehakazuya1@gmail.com
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