とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

オタマジャクシが空から大量に降ってきた

2009-06-10 22:42:00 | ニュース
NHKのニュースでも取り上げられていたが、最近石川県内では空からオタマジャクシが大量に降ったと思われる現象が相次いでいるという。

市民センターの駐車場に100匹くらい散らばって死んでいたり、民家の周辺でも40匹くらい見つかったそうである。実際に空から落ちてきたのを見た人はいないようだが、状況からすると空から落ちたとしか考えられないようだ。

原因としては、竜巻で巻き上げられたとか、鳥が落としたのではないかという説もあるが、当時竜巻が起こるような気象条件ではなく、仮に竜巻としても一緒にゴミも落ちてくるはずだがそれはない。また、鳥が落としたとしても大量すぎるし、鳥の口から原型のままで落ちる可能性は少ない。

つまり、原因不明なのである。もしかしたら、宇宙人の仕業なのか。はたまた別次元から湧き出してきたのか謎は深まるばかりである。あるいは、単なるいたずらなのか?今日はこんなニュースが気になりました。

詳しくはこちらです。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090610k0000m040033000c.html

「かぐや」が見た月と音楽の協演

2009-06-09 22:11:35 | サイエンス
AQUA'09~惑星(ほし)に還ろう~「かぐや」が見た月と音楽の協演 [HD]


2007年9月14日、日本初の大型月探査機がH-IIAロケットによって打ち上げられた。この計画は「SELENE(セレーネ:SELenological and ENgineering Explorer)」と呼ばれ、アポロ計画以来最大規模の本格的な月の探査として、各国からも注目されていたという。

主な目的としては、月の起源と進化を解明するためと、将来の月の利用のためのさまざまな観測である。月周回衛星である「かぐや」は月表面の元素組成、鉱物組成、地形、表面付近の地下構造、磁気異常、重力場の観測を全域にわたって行っていたが、ついにその役目を終え、6月11日3:30頃(日本標準時)に月の表側、東経80度、南緯63度付近へ落下させられることになったそうである。何故、落下させられるのかはよくわからないが、充分なデータが得られたのであろう。約1年半で月の全球を観測できたようであり、今後の研究結果の公表が楽しみである。

さて、JAXA(宇宙航空研究開発機構)では、「かぐや」が撮影した月の鮮明画像を幾つも公開している。以前にも地球のダイヤモンドリングの映像を紹介したが、今日は「かぐや」が見た月や地球の映像にあわせて音楽が流れる素晴らしい映像を紹介する。「かぐや」はCGで描かれているが、月の表面や地球の映像は本物である。しばし、幻想的な映像を楽しんでもらいたい。

久々に走った

2009-06-08 23:16:55 | マラソン
会社の人と蛍が見られる場所の話となり、我が家から数キロ先に蛍が見られる場所を教えてあげた。毎年、梅雨時前のこの時期は、その場所に走って見に行ったものである。今年はまだ見に行ってなかったので、教えた手前本当に蛍がいるか確認しに行かねばと思い、久しぶりに走ってみることにした。

5月初旬にマラニックで膝を痛めて以来、1ヶ月以上走ってなかった。痛めた右膝の感触は9割方回復した感じがする。しかし、昨日山で岩にぶつけた左膝が未だに治ってなかった。それでも、走りに時々歩きをいれたりして往復5キロほど走ってきた。左膝は単なる打撲なのでそのうち治るはずである。1ヶ月も休むと、たった5キロでもきついものだ。何事もなく走ってた頃が懐かしい。今週から走れる距離を少しずつ延ばせたらいいな。

さて、肝心の蛍はどうだったかというと、残念ながら1匹しか確認できなかった。去年はもっと一杯見えたのに今年はかなり少ないようだ。会社の人には、別の場所を教えてあげなくてはならなくなった。

御座山(おぐらさん:2112m)に登る

2009-06-07 22:49:34 | 山登り
今日は長野県の御座山(おぐらさん:2112m)という山に登ってきた。日本二百名山に認定されている山である。この一帯は「佐久の幽巒」といわれる秘境で、針葉樹林の千古の原生林で覆われている。山名は「神のおいでになる山」ということから、神の鎮座する所を指す御座に由来するといわれる。この山は、シャクナゲが咲き誇る初夏と秋の紅葉のころが最も美しい。位置としては、昔日航ジャンボ機が墜落した御巣鷹山の西隣にある山だ。

今回は、シャクナゲが美しい山と聞いていたので、まさにタイムリーなこの時を選んで出かけたのである。昨日から急激に天気が回復し、早朝からピーカンの天気であった。5,6台しか停められない登山口駐車場にギリギリの駐車スペースを見つけて駐車することができた。急坂を1時間ほど登ると、徐々にシャクナゲの花が咲き出しているのを見かけるようになっていった。あとは、山頂までずっとシャクナゲの花を見ながらの山行となった。




頂上は、南北に細長い岩稜となっており、両側はスパッと切れた谷となっている。岩から足を踏み外せば真っ逆さまに滑落してしまう、恐ろしい岩場だ。山頂からは360°の大展望で山が一杯見えていた。ただ、遠くの山なみには雲がかかっていて、はっきり確認できない山が多かった。早朝の時間帯には雲もかからず、ほとんどの山が見えたそうだが、残念ながら少し遅かったようだ。足元に気をつけて北のはずれまで行くと、山名の標識前で記念写真を撮って、昼食とした。

昼食をしたスペースの前にもシャクナゲや可憐なイワカガミの花が咲いていた。


自分たちは早い時間に頂上に着いたのだが、天気がいいためか、登山者が続々と上がってきて賑やかになってきたので、早めに下山を開始した。下山は元来た道を再び戻った。日が当り、気温が上がってきたせいか、帰り道で見たシャクナゲはさらに開花が進んでいたようだった。あとは、いつもの通り温泉に立ち寄って帰った。今回は、下山途中に滑って左ひざを岩にぶつけてしまった。おかげで、まだ左ひざが痛い。ランニングで痛めたのが右ひざなのだが、これで両膝が危うい状況だ。早く両膝が完全に直ってくれないことには、ランニングが再開できない。うーん!困ったことだ。





社会人大学2回目

2009-06-06 20:00:39 | 社会人大学
第1回目の講師だった静岡文化芸術大学の学長である「川勝平太」氏が、昨日静岡県知事選に正式に立候補することを明らかにした。いままで、よく知らなかった人であったが、講義を聞いたばかりで他の候補と比べ親近感があり、選挙の行方が気になるところだ。

さて、第2回目は大阪の名門ホテルに34歳で転職して、スタートの遅いハンディを克服するために、数千名ともいう顧客の顔と名前、車種、ナンバーを頭に叩き込み「伝説のドアマン」と呼ばれた「名田正敏」さんの講演だった。

34歳で入社となると、まわりの同僚はバリバリと仕事をこなし、名田さんは相当の劣等感を感じたことだろう。はやくみんなと同じレベルに到達したいと考え、人と同じ事をやっていてはダメだと思い、週1回の休みは全て顧客の顔や車を覚えるために、顧客の会社に出向いたそうだ。当初は、駐車場にへんな男が立っていると大いに怪しまれたそうだが、やがて理由が理解されると、口コミで財界の社長連中に話が伝わり、逆に顧客からも声をかけてもらうようになり、大いにホテルの顧客増加につながったそうである。

また、ホテル特有のトラブルの話もあり、いかに対処してきたかという話は興味深かった。例えば、高価な着物を着てきた客にボーイがワインをかけてしまい怒らせてしまった話がある。その高価な着物は、お客がお気に入りの絵柄だったのだが、ワインのシミを完全にとることはできない。何度も謝ったが客は納得しないのだ。しかも絵柄をデザインした画家は歳をとり手が震えて、同じような絵を描くこともままならい。そんな二進も三進も行かない状況で名田さんは、その画家の家に日参したそうだ。そんな名田さんの熱心さに負けて、画家の奥さんが画家に「手が震えない時もあるから書いてお上げなさい」と進言してくれたのである。そして1年かけて出来上がった絵で着物を作り、お客に納めたそうである。よくもここまで粘り続けたことに感心した。

ホテルといえば、暴力団との係わり合いもありホテルマンは苦労が多いようである。名田さんのホテルも暴力団の幹部が長きに渡って居座ったことがあるそうだ。幹部の護衛で黒服の子分がホテル内を我が物顔に動き回り、一般の客足はどんどん遠ざかっていった。暴力団とはいえホテルとしてはあからさまに宿泊を拒むことはできないし、暴力沙汰に発展することは避けたい。なんとかしないとホテルの経営は行き詰ってしまうし、スタッフ達も暗い雰囲気になってしまう。名田さんは、意を決して宿泊を遠慮してもらうように幹部に話を持っていったが、簡単に受けるはずもない。それでも何度も話に行ったそうだ。脅しにも何度もあい、家族への危害を匂わされて震撼したそうである。家族にも危害が及ぼしそうになることには、さすがに弱気になったそうであるが、それを見ていた若い従業員たちが勇気を出して暴力団に立ち向かうようになった。一人だけではできないことでもみんなが同じ気持ちで立ち向かえば、困難は克服できるということである。やがて、暴力団幹部たちも居心地が悪くなり全てホテルを出て行ったそうである。今では、海外の賓客や国内の名士も泊まる名門ホテルになっているという。

昔、テレビで名門ホテルを舞台にしたドラマをやっていたが、話はドラマで見たような話が満載であった。事実は小説より奇なりとは言うが、まさにその通りであった。今回の講演では「継続は力なり」という言葉と、「企業は人なり。ホテルはまさに人なり」という言葉が印象に残った。特に今は不況のさなかである。企業は、目先の利益だけではなく人を考えた経営をしていかないと生き残るのは難しいかもしれない。

おまけ「屋久島未公開写真」

2009-06-05 22:46:01 | 山登り
屋久島ネタはこれで最後にします。未公開写真の一部を載せました。


咲き始めたシャクナゲの花はきれいなピンク色です。


満開になると白い大輪の花となるシャクナゲ


今も尚現役のトロッコ


灰が染料になるというハイノキ


マムシが鎌首を持ち上げたような形のマムシグサ


登山道から宮之浦岳を振り返る。左が翁岳。


魚の横顔に見える倒木


枝が縦横無尽に伸びている


水の美しさに息を飲む


青空に伸びている枯れ枝


苔むした岩がごろごろしている


縄文杉(数枚の写真をデジタル合成しました)


雨に濡れたサクラツツジ


ツツジの原種


年輪のような杉の表面


夫婦杉。仲良く枝が繋がってます。


強風で山の上を流れる雲


ディジュリドゥの演奏


新田次郎 「剱岳(点の記)」を読んだ

2009-06-04 23:11:56 | 読書
北アルプスを登りだしたころは、槍ヶ岳とか穂高をまず目指すのであるが、剱岳は最初から目指すのは恐れ多くて、いつになったら登れるのだろうかと憧れだけが先行している山だった。それでも、何年か経験をつんで6年前の夏に憧れの剱岳に登頂することができた。雪渓や岩山を幾つも乗り越えて険しい岩峰の先に着いた時は、我を失うばかりの絶景が待っていた。天気が良くなければ、なかなか頂上を極めることができない厳しい山である。

そんな、憧れでもあり畏敬を放つ孤高の山「剱岳」に、明治時代初登頂した測量隊の話が映画になるという。どんな映像が撮られたのか、山好きには大いに気になる映画だ。映画を早く見たいのはもちろんだが、原作をまず読むべきだと思い文庫本をまず買ってしまった。原作は、山岳小説では有名な新田次郎作で「剱岳(点の記)」である。

点の記とは、三角点設定の記録であり、この話は実際に剱岳に登って測量をした人たちの記録を小説化したものである。すべてノンフィクションなのである。日露戦争後、陸軍は国防のための日本地図の完成を急いでいた。陸軍参謀本部陸地測量部の測量手、柴崎芳太郎は最後の空白地帯を埋めるため「陸軍の威信にかけて」との命令を受けて剣岳の登頂を目指す。当時、設立されて間もない日本山岳会も剱岳の初登頂を目指していたこともあり、測量隊と日本山岳会との競争になるといった側面もあったのだ。

話としては、山岳会との競争とか勝負とかいった内容が主ではなく、むしろ淡々とすすむ。冒険物のように血沸き踊るといったことはなく、日本地図を作成するために何人もの人たちが苦労して山に入り、未踏の地を掻き分け測量を行っていた話がひしひしと伝わってくる。山岳信仰によって守られてきた剱岳の歴史背景も詳しく書かれ、興味深く読み続けることができた。剱岳を登ったことのある人も、これから登ろうとする人にも、先人の苦労が如何ほどだったかということを知るためにも是非読んでほしい本だ。

そして、6月下旬には映画も公開されるということで、映像でも素晴らしい景色が映し出されることは間違いない。小説で読んだ登場人物たちが、どんなキャストで描かれているかを見るのも大いに楽しみだ。

三ツ峠山に登る

2009-06-03 22:21:21 | 山登り
屋久島後の初山行は山梨県の三ツ峠山に行った。今回は2回目であるが、まだ登ったことのない人のリクエストに答えて計画したものだ。植物が豊富で、岩登りでも有名であり、富士山展望の山としても知られている。

初めて登った時は、北からの最短ルートで登ったのだが、今回はあえて、表口登山道から府戸尾根を下る最長のルートで計画した。全て初めて歩くコースである。今回は初参加の人を含めて計7人が集まり、賑やかに登山ができた。

家を出た頃は天気が思ったより良くて、これは幸先いい出だしだと思い河口湖駅に着いた。河口湖駅では現地集合のメンバーとも合流し全員が揃った。駅前の駐車場に車を止め富士急の電車で三ツ峠駅まで向かうことにした。電車は「機関車トーマス」の可愛いキャラクターで描かれていた。

車内も子供の楽しめそうな絵柄が描かれていた。30分ほどで、三ツ峠駅に着き、ここから歩きが始まる。出だしが遅くなったので既に10時になっていた。

住宅街を抜け三ツ峠グリーンセンターの横を抜けると山の歴史を記した看板がある。先に進むと公園があり、滝への遊歩道を進み森の中に入っていった。

しばらく進むと「達磨石」という石が置かれた場所に出た。「達磨石」には梵字でアークと刻まれている。

アークとは大日如来を表す言葉で、かつてはこのような信仰で栄えた山でもあったらしいのだ。

大曲り、股のぞき、馬返しといった場所を通り、霧に包まれた山の中を進んだ。

急な登りが幾つも続き、かなり疲れてきた。時間も3時間近く経ち、お腹も相当すいてきたので頂上はまだ先だったが昼食にした。ちょうど八十八大師のある広場でもあり昼食には手頃の場所だった。

お昼はみんながいろいろ持ち寄ってきてくれるので何が出るか楽しみである。私は、鹿児島で買ったさつま揚げを持っていった。網も持っていったので、コンロの上で炙って食べてもらった。網で炙るというのは屋久島で覚えたばかりで、これから病み付きになりそうだ。おにぎりも網の上で焼くとなかなかいける。ビールやカクテル等アルコールも少し入り皆さんご機嫌になったようだ。食後には甘いフルーツも出て、元気一杯になった。


深い谷の間を過ぎ、

沢を二つ通過すると屏風岩と呼ばれる岩登りマニアには有名な場所に出た。

ガスがかかり展望はまったくないが、この日もたくさんのクライマーが屏風岩を登っていたようだ、姿は見えないが、たくさんの荷物が周囲に置かれロープが何本も垂れ下がっていた。自分たちはとても岩登りなんてできないが、少し岩に登って遊んだりした。


急な階段を上ると、立派な山小屋「四季楽園」の前に出た。三角点のある開運山は、この先でかなりキツイ上りだった。三ツ峠山とは三つの峠があるのではなく、三つのトッケ(突起)が訛ったものといわれている。つまり三つの山の総称である。三つの山は開運山(1785m)、御巣鷹山(1775m)、木無山(1732m)の三つである。最も高い開運山からは、富士山の展望をはじめ晴れていたら最高の眺めができる場所である。ところが、今回は「晴れ男」の面目はまるつぶれ。山頂で記念写真を撮り終わると雨が降り出してきてしまった。

以後、長い尾根道をカッパを着て下山することになった。

府戸尾根は緩やかな尾根道なので歩くのは楽であったが、雨でぬかるんでズボンは泥だらけとなった。長い下りを過ぎてロープウェイのある天上山についたのは17時を回っていた。予想通りロープウェイの営業時間は終了していたので、さらに町まで歩いて下りていかなければならない。長時間の歩きとなり、みんな声も出なくなっていたが、河口湖駅が見えたときはホッとした。日が長くなったおかげで、まだ明るかったが18時を過ぎていた。雨とはいえ大した雨でもなかったし、風はなく空も明るかったので特に焦ることもなかった。あとは温泉に直行である。メンバーからは霧に包まれた山歩きも、いい感じだったと感想を頂き安心した。

社会人大学に入講

2009-06-02 19:27:03 | 社会人大学
先週末から、「社会人大学」という教養講座を受講することになった。いわゆる普通の大学ではないので試験とかはない。何年も前からやっている講座で今年のテーマは「どういう生き方をするか」ということで計11回の講座が計画されている。ずっと昔から受講していたというヒロボーさんの勧めで今年から参加することにした。

人生、美術、芸術、音楽、食等あらゆるジャンルで活躍している一流の講師を招いて1時間半程度の講義を受けるのである。今年の講師陣は、ヴァイオリン奏者、大学学長、美術大学教授、登山家、動物園園長、ジャーナリスト、ホテルマン、大手企業会長等のそうそうたるメンバーが予定されているようだ。また、別メニューでヴァイオリンリサイタルやバレエ、歌舞伎、文楽、美術館鑑賞等の行事も希望すれば参加できる。

ずっと長い間、仕事と家の行き帰りだけで教養的なことを身につけることもなかった。趣味はマラソンとか山登りや読書、映画鑑賞等もすることはあるが、世の中にはもっといろいろなことがあって、知らないことばかりだ。付き合う人は仕事がらみや趣味が同じ人になってしまいがちであり気楽ではあるが、新たな知的探究心を満たすことができない。そんなことで、自分とはまったく違う世界で生きてきた人たちの話を聞くのは、凄く興味があり、同じことはできないにせよ何かしら生きていくことにヒントになればいいと思い受講することにしたのだ。

第1回目の講師は、現静岡文化大学学長でもあり、最近民主党から静岡県知事出馬を要請されたばかりという「川勝平太」氏であった。まさに時の人で、直前にニュースで名前を聞いたばかりだったので、驚いた。ひょっとしたら、次の県知事になるかもしれない人の講義なんてなかなか聞けるもんじゃない。ただ、本人が出馬するかは、まだ明確ではないようだ。

講義のテーマは「日本の文化力」だ。静岡文化芸術大学は近年9倍近い倍率があり、非常に人気がある大学であるそうだ。大学のコンセプトは文化人や芸術家を育てるのではなく、文化や芸術を操る人を作るのだという。つまり文化や芸術をデザインして美しくかつ使いやすいものを作れる人を育てたいというのが大学の目的であるらしい。日本人は、単品では素晴らしいものを作ることができるが、それらを組み合わせて総合的に美しいもの、使いやすいものにすることはあまり得意ではない。技術力はあっても、それをうまく生かしきれていないというのはよく聞く話だ。そんなことから、この大学のコンセプトを心得た人たちが日本の社会を変えていけるといいなと思った。

川勝氏の話は、あっちこっち脱線するのだが、面白い話ばかりで飽きることはなかった。ただ、話の中で一貫していたのは、日本の文化は素晴らしいということである。日本の文化は四季折々の自然を含めた全てであるという。花を見て美しいと思ったり山を見て美しいと思ったりするのは日本人の持っている感性であり、自然を見る目を養わなければならないと力説していた。

また、自然に逆らわない、自然を生かすのが日本の原点でもあるという。北海道では原住民のアイヌのつけた地名が未だに残っている場所が多い。また、富士山は日本の象徴とでもいえる存在で、全国の山には○○富士という別名が付けられている。このように日本の自然は文化性があり外国とは違った面を持っているのである。自然を愛でていくと俳句ができるというのも頷ける話である。俳句には季語が入り自然を詠んだものが多い。これも日本の素晴らしい文化でもある。また、外国の農作物は大量生産で大雑把な作りだが、日本の農作物は丁寧に作られ芸術品であるという。農芸品という言葉がある所以でもある。食文化も同様で、海外旅行に行くと外国の食事は大雑把で、日本料理の繊細さにはとても叶わない。

最終的に、川勝氏の言いたかったことは、美しいことに賛嘆する目を持ち、自然も文化の一つとして大事にするとともに、日本の文化は世界に誇ってもいいということだと思った。初回は、こんな講義内容であったが次回はどんな講義になるか、また楽しみである。

屋久島ツアー4日目(5/26)

2009-06-01 23:02:52 | 観光
さて、この日は最終日。民宿での朝食は、デザート付きで、洒落たお皿に地元特産品を一口サイズであっさり盛り付けたものだが、口に入りやすく美味しく頂いた。

船の時間までは少し時間があったので、近くを散策した。しばらく歩いたところに「牛床詣所(うしどこもいしょ)」という場所がある。ここは屋久島の山岳信仰の聖地で、安全祈願などの様々な石塔が奉納されていた。屋久島では重要な史跡であるようだった。

二日間過ごした民宿の部屋ともお別れである。記念に部屋の写真を撮って、宿を後にした。

港まで、女将さんが送ってくれた。船の出航時間まで、お土産屋で買い物をして鹿児島港行きのトッピーに乗った。鹿児島に着いたのは12時過ぎで、帰りの飛行機の時間までは大分あったので、観光タクシーで鹿児島市内を見物することにした。

鹿児島といえば、明治維新前後で活躍した偉人をたくさん輩出した町である。島津藩の当主である島津斉彬や西郷隆盛、大久保利通を称える維新ふるさと館を見学した。「日の丸」や「君が代」がこの薩摩の地が発祥だったとは知らなかった。

島津斉彬という人は新しいものが好きで、西洋の文明を早くから取り入れ明治維新の礎を作ったといっても過言ではない。また、西郷隆盛や大久保利通の業績等も称えた展示も多く歴史の勉強になった。

その後は、お決まりの西郷さんの銅像前での記念写真や城山からの桜島見物をする。


そして、最後に行ったのは仙巌園という広い庭園のある場所である。広い庭からも桜島がよく見える素晴らしい庭園だった。

また、昨年はNHKの大河ドラマ「篤姫」のロケもこの地で行われたらしく、毎週見ていた妻は大喜びだった。


観光を終え、タクシーで鹿児島空港まで送ってもらった。鹿児島空港入口にも足湯が作られており、搭乗時間を待つ間しばらく足を浸かっていた。

やがて、時間が来て大阪に帰る娘と別れ、我々夫婦は名古屋へと向かった。名古屋からは空港バスで浜松に帰り家に着いたのは夜11時過ぎだった。長いようであっと言う間の4日間だったが、屋久島の素晴らしい自然に触れ充実した4日間でもあった。屋久島は一回ではとても全てを見ることはできない。機会があれば、また是非行ってみたい場所である。