とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

「男と女」古今亭志ん輔さん

2012-09-06 23:36:05 | 社会人大学
今日の社会人大学は、昨年も来た落語家の古今亭志ん輔さんだ。従って講演会というよりは落語の公演会であった。

今日の主題は「男と女」ということで、男と女の間に横たわる様々な人生の機微を捉えた味わいのある噺であった。

まず本題に入る前に、有名な「死神」の小話で始まった。この噺は、良く知っていたのでオチはわかっていたが、どんな語り口で聞けるのかと期待して聞いていた。簡単に紹介するとこんなストーリーである。

お金の算段も出来ず、女房に悪態をつかれて家を飛び出してきた男が「死んじゃおうか」と思い始めていた時、死神が現れて金儲けの方法を教えてもらう。その方法とは、病人には必ず死神が付いているのだが、その死神が病人の足元に付いていれば助かり、枕元に座っていたら助からない。足元の死神は呪文を唱えれば消えて居なくなり病人は助かるという。死神の姿が見えるようにしてもらい、呪文を教えてもらった男は『いしゃ』の看板を出した。その後、男は『いしゃ』として多くの病人を診たが、ほとんどの病人の足元に死神が座っていたので呪文を唱えると全快となり、お金がどんどん入るようになった。しかし、持ちなれない金を持つようになって女を囲うようになり、女房、子供に金を付けて追い出してしまった。女に上方を見たいと言われ、家屋敷を処分して、豪遊に出た。しかし、金は使えば無くなるもので、いつの間にか女は居なくなってしまった。そのうち、どこからも診療の依頼が来なくなった。たまに行っても、頭の方に死神が居て仕事にならなかった。

しかし、ある時金持ちから診療を頼まれて病人を見に行くとやはり頭の方に死神がいた。治る見込みがないと言ったが、大金を積まれてとんでもないことを考え付く。力持ちの若者4人を寝床の四隅に座らせた。合図をしたら布団をくるっと回して、頭は足元に足は枕元になるようにしてくれと頼んだ。死神の隙を見て合図を送り、布団を回し呪文を唱えると死神は驚いて飛び上がって消えてしまった。病人はウソのように全快して、お金を貰って帰ってきた。

男は久しぶりに一杯引っかけて、上機嫌で歩いていると死神に声を掛けられた。死神は男を洞窟のような所に連れて行く。そこには燃えている蝋燭が沢山あった。蝋燭1本1本が人間の寿命で、くすぶっているのは病人、長いのは寿命があり、短いのは寿命が短いのだと言う。長くて元気に燃えているのは息子で、半分の長さは前の女房であった。隣にある蝋燭は今にも消えそうであった。聞くと自分の寿命だという。死神は男の寿命がまだまだ有ると言ったが、それは、お金に目がくらんで患者と蝋燭を交換してしまった為だと言う。

男は「金を返すから何とかして」と懇願したが「一度交換したものは出来ない」と死神のつれない返事。「昔、因縁があったのでしょう、だったら何とかして・・・」、「では、燃えさしがあるから、これを繋いでみな」。上手く繋がれば命が延びるという。「何でそんなに震えて居るんだ。震えると消ぇるよ。消ぇると死ぬよ」、「そんな事言わないで~」、「震えると消ぇるよ。へへへ・・・消ぇるよ。・・・消ぇるよ。・・・ほらほら・・・ 、消ぇた」。

とまあ、こんな内容で蝋燭が消えてしまうくだりが、最後の一番の見せ所だ。欲をかいてはいけないという戒めの噺でもある。

前振りが終わると、一旦引き上げてお囃子と共に志ん輔さんが羽織姿で再登場した。今日のメインのお噺である真景累ヶ淵(しんけい・かさねがふち)の解説があって、その中の「豊志賀の死」という噺が始まった。「真景累ヶ淵」は明治の落語家、三遊亭圓朝による創作落語で、本にすると500ページにも渡る大作であるそうだ。この噺を全て語ることはとても無理であり、その中の第3章「豊志賀の死」という件を聞く。これだけでも1時間くらいの長い噺だが、内容に引き込まれ最後までじっくり聞かせてもらった。

内容は、男嫌いなはずの豊志賀が、様々な経緯から若い男と深い男女の仲に陥り、嫉妬と憎悪の中で自滅していくという男女の関係を深く考えさせられる噺だ。怪談噺じゃないけど、女のうらみは如何に怖いかと思わせられる。

「真景累ヶ淵」は、旗本が金貸しの鍼医皆川宗悦を切り殺したことを発端に両者の子孫が次々と不幸に陥っていく話(前半部分)と、名主の妻への横恋慕を発端とする敵討ちの話(後半部分)を組み合わせていて全97章から成るという。落語では、その僅かな部分しか語られていないわけで、「豊志賀の死」のあとはどんな怖い噺になっていくのか大いに気になった。村上春樹氏もこの「真景累ヶ淵」を絶賛しているというからには、いちど原作本を読んでみたいものである。

その後、少し休憩が入って最後の話「紙入れ(かみいれ)」を聞いた。間男がテーマでこれも「男と女」の噺だ。

あらすじは、以下の通り。

旦那の奥さんと関係ができた新吉、今夜は旦那がお帰りがないからと呼び出されたのだが、旦那が突然に帰宅したので慌てて逃げ出して気が付くと、その旦那にもらった紙入れに奥さんの手紙を入れたまま忘れてきてしまった。翌日、おっかなびっくり挨拶に出掛け、旅に出るから暇乞いに来たと申し出る。問い詰められて出入り先のかみさんと関係したというと、「で、先の旦那に見つかったのか」「見つけましたか」「俺が聞いてるんだよ」
「よく分からないんですが、紙入れと手紙を忘れて来ちゃったんです」「そうか、心配だなァ。おい、嬶、聴いたか、新吉が間違いをしでかしたらし いんだ」「聞きましたよ。でもね、旦那の留守に若い男を引き入れて楽しもうという女じゃないか。そこに抜かりはないと思うよ。旦那のお帰りと戸を開ける前に、そこらを見回して、ちゃんとこっちにしまってあるから……と私はおもうよ。ねえ、旦那」「えッ、そうとも。またそこいらに紙入れが放り出してあったとしても、自分の女房を寝取られるような間抜けな野郎だもの。そこまでは気が付くめえ」

しかし、この旦那どこまでも間抜けなものだ。それにも増して、奥さんのほうは上手過ぎる。以上、こんな落語噺を3つ聞いて楽しんできた。

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2 コメント

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落語 (見切り)
2012-09-08 20:03:47
私達が普通聞いていたり知っている落語は 長いストーリーの本の一部だったりするのですね、
長い長い叙事詩のような落語には 人生の機微や教えが沢山詰まっているのでしょうか。

最後の「男と女」の話
女性の抜け目のなさとふてぶてしさが よく出てますね。
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見切りさんへ (とっちー)
2012-09-08 23:27:01
落語って、人生の機微や教えを上手く伝えてくれるんですね。
落語家のちょっとしたしぐさや話し方でいろんな場面が想像できてたのしいものです。
時々は、寄席に行くのもいいものです。
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