とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

「美しい装幀とは」菊地信義氏

2010-10-20 21:51:51 | 社会人大学
最終回の社会人大学は、装幀家の菊地信義氏の講演であった。菊池氏は出版界では有名な人である。日本で出版された本は、かなりの数が菊地氏の手による装幀だという。読書好きで、とくに日本の現代文学に関心がある方なら、菊地信義という名を目にしたことがあるかもしれない。たとえ名前は知らなくても、彼が手がけた書籍を手にしたことがあるはずだ。主なところでは、講談社文庫や歴史物で有名な山川出版の本は、全て菊地氏の装幀によるものだ。家に帰ってから、講談社文庫と山川出版の本を見たら、確かに菊地信義という名前が記されていた。

講演の初めは、ご本人が最近目の手術をした話から始まった。全身を固定され身動きも出来ない状況で網膜内部に内視鏡やメスが入ってくる様子を脳で感じていたような話をされていた。目の麻酔が充分利いていなかったらしいが、不思議な体験をしたようで興味深く聞かせてもらった。

そして本題に入った。菊地氏によると「装幀」とは本のカバーで読者を誘惑することだと言う。また「美しい装幀」とは、特に風合い(視覚と触覚がもたらす感覚)がいいものであり、読むことがワクワクするようなものであるとのことだ。なかでも「風合い」という言葉を強調されていた。「風合い」とは経験を通して得られる感覚であり、それらを経験する上でのプロセスが人を作るということを話されていた。なんだか、抽象的過ぎて私には良くわからなかった。

次の話では、装幀には7つの要素があるという。
①文字(書名、著者名、会社名等)
②色
③素材(風合いのある紙)
④図像(写真や絵)
⑤時間(人が手に取る時間)
⑥空間(本を手にとり向きを変えることによって空間が変化する)
⑦重層的な構成

これら7つの要素を考えて、視覚と触覚を操るのが装幀の仕事だという。
本というものは、最初に目にするのは装幀である。これが美しくないと買う気にもなれないのは確かである。本を買うか買わざるか悩む時、装幀に誘惑されて買ってしまうことも大いにある。一つの本ができるまでには、これほどの思いがあって作られていたことを知って本が更に愛おしくなりそうだ。

後半は、「美しい装幀」というべき本をいくつか紹介されていた。
まずは、俵万智の初めての歌集『サラダ記念日』。これも菊地氏の装幀である。普通、歌集というジャンルの本は売れないとされていたが、この本は300万部を超える大ベストセラーになった本だ。表紙に著者の写真を大きく載せたのは、この時代としては異例のことで、題名もアルファベットにしたというのも、読者の目を惹くためのアイデアだったと言う。中身もよかったと思うが、装幀による力もあってベストセラーになったのだろう。


近年、菊池氏が手がけた装幀では、蜂飼耳の「孔雀の羽の目がみてる」という本がある。男か女かも良くわからないようなペンネームの女性作家だ。中原中也賞を受賞し現代詩界のホープといわれる著者が、繊細で鋭敏な五感と言葉でつづったエッセイ集である。この本の表紙は、題名が右端に大きく書かれているが、著者の名前が見えない。よくよく見てみると、「の」の字の脇に小さく書かれている。意表を衝くほどの小ささである。また、この本の一番の特徴は「チリ」(表紙と本文の判との間の、三方はみ出た部分)が、通常三ミリのところ八ミリ取っているという。菊地氏によると深いチリにした理由は、「読む」と同時に文が「見える」ことが必要な文章と思われたようで、文を一望できるような意図から深いチリにしたという。これも、思いもよらない装幀であるが、文に惚れ込んだからこそ、思いついたことに違いない。


最後に紹介されたのは、竹下夢二の「露地のほそみち」だ。これは、夢二が装幀から本文まで全て自分で作ってしまったという作品である。初版本は、古書の世界では50万円もの値がつく貴重な本である。これは、実物を会場内で回覧してもらった。まさに大正時代のテイストがどっぷり漂う仕上がりであり、これぞ「美しい装幀」のお手本だろうと思えた。


最後に、一番納得した事は「あらゆる物の中で、ことば(書物)が最も遠くに連れて行ってくれる。本は心を作る道具である」という言葉であった。電子書籍などが出現する時代となったが、やはり書は人生の友であり続けるのは間違いない。