この間の土曜日、私はいつものように、家から教室に向かう坂道を、急ぎ足で歩いていました
いよいよ教室に近づいたところでは、坂は急になり、急ぎ足でも結構のスピードが出てきます ちょうど駅全体が見下ろせる見晴らしの良いところにさしかかった時、小さくではありますが、前方に大きな蟻が1匹、歩いているのが見えました
このあたりは、町中のわりには緑が豊かで、多くの鳥や虫たちの住処になっています きっとこの蟻のおうちも、左右どちらかのお家の庭にあるのでしょう。
その時、私の携帯電話が鳴りました クラスが始まってしまうと電話に出ることは出来ない・・・と思った私は、咄嗟にバッグから携帯電話を取り出し、電話に出ました 一瞬、私は前方に見えていた、蟻のことを忘れました
短い電話を切り、ハッと気づいた時には、蟻が歩いていたところはすでに後方・・・とても気になって振り返ってみたのですが・・・蟻はもう歩いてはいませんでした。
もう、明らかでした。蟻が、忽然と姿を消すわけがありません。あんなに遠くから視野に入っていた大きな蟻なのですから
何とも朝から後味の悪い出来事でした
もし、蟻が視野に入っていなければ? 携帯電話が鳴り、話し、そしてまた小走りで教室に向かう・・・同じことをしていたでしょうね。そして、気づかないからこそ、良心の呵責に苛まれることもなかったのです。
そう思い直せば、それほど大したことではなく、よくある話、なんですよね
けれど・・・残念ながら、あの日は確かに、蟻の歩いているのが私の目に飛び込んできてしまったのですもの。
いったい蟻には、私達人間の世界が、どのように見えているのでしょう?
こういう疑問を持つと、必ず、厚意で「学術的な説明」をしてくださる方がいます 昆虫の目は~~で、とか、魚の視野は~~だから、とか、動物の知能は人間と比較すると~~で・・・のように。
そうでしょうねえ だから、人間の視点や感性で、何かを必要以上に考えることは的はずれなのかもしれません
当然、何でもかんでも、人間の「かわそう」とか「残酷だ」というような感情のみで生物と付き合えば、生物学的に言えば、私達の生活環境の中に、害虫を含めたたくさんの生物が大繁殖してしまう・・・そんな危惧もあるのでしょう (環境保護の観点は、全くこの論点の反対をつくのですが)
おっと、横道に逸れてしまいました
とにかく、私はあの時に思ったわけです 小さな、小さな生き物は、巨大な人間と共存して、彼らは彼らの世界を生きています
私達人間は、日頃、あまりそんなことを気にも留めずに生活をしていますが、時にはふっと、他の生き物、それも、私達よりずっとずっと小さな生き物達になったつもりで、どんなふうに世界が見えているのだろうか?という、単純な「はてな???」を感じるのも良いのではないでしょうか?
子供達は、案外平気で、小さい虫、生き物を捕まえ、結果的にそれらの生命を奪ってしまうことがあります それが「飼育」することによって、命を愛おしむ心を育てることであったとしても、やはり、私達人間の勝手で、それらの環境を変え、寿命を縮めたりすることもある・・・
私はここで、「飼育」を云々しているわけではありません
ただ、時には、車も頻繁に通る道の脇を、忙しそうに歩く働き蟻達の目になってみたり、人間に見つけられて、悲鳴とともに捨てられる毛虫や芋虫の気持ちになってみたり・・・
ときにはそんな感性も、愛情を持って日々子供に接する親として、必要な時間、必要な心、ではないのかな?
あれから2日が過ぎても・・・何だか今日は、あのありんこちゃんが歩いていた道を通らずに、教室にいくことを考えている私です
(類似した事をお伝えしたブログ 「ガリバーの階段 」
本日の「アンキッズクラブ」
今日ご紹介しているものは、子供向けの本2冊です
私たち大人は、すでにどんなものを見ても、あまり驚いたり、不思議だなあ、と思ったりしなくなってしまっているんですね
そういう本来はとっても素敵な感性が、さび付いてしまっている
子供と一緒に、ハッピーな気分で、一緒に楽しめる本を紹介しました 是非、ご覧くださいね
いよいよ教室に近づいたところでは、坂は急になり、急ぎ足でも結構のスピードが出てきます ちょうど駅全体が見下ろせる見晴らしの良いところにさしかかった時、小さくではありますが、前方に大きな蟻が1匹、歩いているのが見えました
このあたりは、町中のわりには緑が豊かで、多くの鳥や虫たちの住処になっています きっとこの蟻のおうちも、左右どちらかのお家の庭にあるのでしょう。
その時、私の携帯電話が鳴りました クラスが始まってしまうと電話に出ることは出来ない・・・と思った私は、咄嗟にバッグから携帯電話を取り出し、電話に出ました 一瞬、私は前方に見えていた、蟻のことを忘れました
短い電話を切り、ハッと気づいた時には、蟻が歩いていたところはすでに後方・・・とても気になって振り返ってみたのですが・・・蟻はもう歩いてはいませんでした。
もう、明らかでした。蟻が、忽然と姿を消すわけがありません。あんなに遠くから視野に入っていた大きな蟻なのですから
何とも朝から後味の悪い出来事でした
もし、蟻が視野に入っていなければ? 携帯電話が鳴り、話し、そしてまた小走りで教室に向かう・・・同じことをしていたでしょうね。そして、気づかないからこそ、良心の呵責に苛まれることもなかったのです。
そう思い直せば、それほど大したことではなく、よくある話、なんですよね
けれど・・・残念ながら、あの日は確かに、蟻の歩いているのが私の目に飛び込んできてしまったのですもの。
いったい蟻には、私達人間の世界が、どのように見えているのでしょう?
こういう疑問を持つと、必ず、厚意で「学術的な説明」をしてくださる方がいます 昆虫の目は~~で、とか、魚の視野は~~だから、とか、動物の知能は人間と比較すると~~で・・・のように。
そうでしょうねえ だから、人間の視点や感性で、何かを必要以上に考えることは的はずれなのかもしれません
当然、何でもかんでも、人間の「かわそう」とか「残酷だ」というような感情のみで生物と付き合えば、生物学的に言えば、私達の生活環境の中に、害虫を含めたたくさんの生物が大繁殖してしまう・・・そんな危惧もあるのでしょう (環境保護の観点は、全くこの論点の反対をつくのですが)
おっと、横道に逸れてしまいました
とにかく、私はあの時に思ったわけです 小さな、小さな生き物は、巨大な人間と共存して、彼らは彼らの世界を生きています
私達人間は、日頃、あまりそんなことを気にも留めずに生活をしていますが、時にはふっと、他の生き物、それも、私達よりずっとずっと小さな生き物達になったつもりで、どんなふうに世界が見えているのだろうか?という、単純な「はてな???」を感じるのも良いのではないでしょうか?
子供達は、案外平気で、小さい虫、生き物を捕まえ、結果的にそれらの生命を奪ってしまうことがあります それが「飼育」することによって、命を愛おしむ心を育てることであったとしても、やはり、私達人間の勝手で、それらの環境を変え、寿命を縮めたりすることもある・・・
私はここで、「飼育」を云々しているわけではありません
ただ、時には、車も頻繁に通る道の脇を、忙しそうに歩く働き蟻達の目になってみたり、人間に見つけられて、悲鳴とともに捨てられる毛虫や芋虫の気持ちになってみたり・・・
ときにはそんな感性も、愛情を持って日々子供に接する親として、必要な時間、必要な心、ではないのかな?
あれから2日が過ぎても・・・何だか今日は、あのありんこちゃんが歩いていた道を通らずに、教室にいくことを考えている私です
(類似した事をお伝えしたブログ 「ガリバーの階段 」
本日の「アンキッズクラブ」
今日ご紹介しているものは、子供向けの本2冊です
私たち大人は、すでにどんなものを見ても、あまり驚いたり、不思議だなあ、と思ったりしなくなってしまっているんですね
そういう本来はとっても素敵な感性が、さび付いてしまっている
子供と一緒に、ハッピーな気分で、一緒に楽しめる本を紹介しました 是非、ご覧くださいね