良い子、悪い子、こまりん子

幼児教育20余年。多くの子ども達を育て、ママ達の悩みに耳を傾けてきました。辛口アドバイスも含め、子育ママ達にエールを!

ありんこの気持ち

2006-06-19 10:46:16 | つぶやき
 この間の土曜日、私はいつものように、家から教室に向かう坂道を、急ぎ足で歩いていました 
 いよいよ教室に近づいたところでは、坂は急になり、急ぎ足でも結構のスピードが出てきます ちょうど駅全体が見下ろせる見晴らしの良いところにさしかかった時、小さくではありますが、前方に大きな蟻が1匹、歩いているのが見えました
 このあたりは、町中のわりには緑が豊かで、多くの鳥や虫たちの住処になっています きっとこの蟻のおうちも、左右どちらかのお家の庭にあるのでしょう。

 その時、私の携帯電話が鳴りました クラスが始まってしまうと電話に出ることは出来ない・・・と思った私は、咄嗟にバッグから携帯電話を取り出し、電話に出ました 一瞬、私は前方に見えていた、蟻のことを忘れました
 短い電話を切り、ハッと気づいた時には、蟻が歩いていたところはすでに後方・・・とても気になって振り返ってみたのですが・・・蟻はもう歩いてはいませんでした。
 もう、明らかでした。蟻が、忽然と姿を消すわけがありません。あんなに遠くから視野に入っていた大きな蟻なのですから
 何とも朝から後味の悪い出来事でした

 もし、蟻が視野に入っていなければ? 携帯電話が鳴り、話し、そしてまた小走りで教室に向かう・・・同じことをしていたでしょうね。そして、気づかないからこそ、良心の呵責に苛まれることもなかったのです。
 そう思い直せば、それほど大したことではなく、よくある話、なんですよね
 けれど・・・残念ながら、あの日は確かに、蟻の歩いているのが私の目に飛び込んできてしまったのですもの。

 いったい蟻には、私達人間の世界が、どのように見えているのでしょう?
こういう疑問を持つと、必ず、厚意で「学術的な説明」をしてくださる方がいます 昆虫の目は~~で、とか、魚の視野は~~だから、とか、動物の知能は人間と比較すると~~で・・・のように。
 そうでしょうねえ だから、人間の視点や感性で、何かを必要以上に考えることは的はずれなのかもしれません
 当然、何でもかんでも、人間の「かわそう」とか「残酷だ」というような感情のみで生物と付き合えば、生物学的に言えば、私達の生活環境の中に、害虫を含めたたくさんの生物が大繁殖してしまう・・・そんな危惧もあるのでしょう (環境保護の観点は、全くこの論点の反対をつくのですが)

 おっと、横道に逸れてしまいました
とにかく、私はあの時に思ったわけです 小さな、小さな生き物は、巨大な人間と共存して、彼らは彼らの世界を生きています
 私達人間は、日頃、あまりそんなことを気にも留めずに生活をしていますが、時にはふっと、他の生き物、それも、私達よりずっとずっと小さな生き物達になったつもりで、どんなふうに世界が見えているのだろうか?という、単純な「はてな???」を感じるのも良いのではないでしょうか?

 子供達は、案外平気で、小さい虫、生き物を捕まえ、結果的にそれらの生命を奪ってしまうことがあります それが「飼育」することによって、命を愛おしむ心を育てることであったとしても、やはり、私達人間の勝手で、それらの環境を変え、寿命を縮めたりすることもある・・・
 私はここで、「飼育」を云々しているわけではありません

 ただ、時には、車も頻繁に通る道の脇を、忙しそうに歩く働き蟻達の目になってみたり、人間に見つけられて、悲鳴とともに捨てられる毛虫や芋虫の気持ちになってみたり・・・
 ときにはそんな感性も、愛情を持って日々子供に接する親として、必要な時間、必要な心、ではないのかな?

 あれから2日が過ぎても・・・何だか今日は、あのありんこちゃんが歩いていた道を通らずに、教室にいくことを考えている私です

(類似した事をお伝えしたブログ 「ガリバーの階段 」



本日の「アンキッズクラブ

 今日ご紹介しているものは、子供向けの本2冊です
私たち大人は、すでにどんなものを見ても、あまり驚いたり、不思議だなあ、と思ったりしなくなってしまっているんですね
 そういう本来はとっても素敵な感性が、さび付いてしまっている

 子供と一緒に、ハッピーな気分で、一緒に楽しめる本を紹介しました 是非、ご覧くださいね

育児でも「うるおい」ですね!

2006-06-16 22:48:40 | 良い子、良い親!
 
 何でも便利に、スピーディーに、そしてシンプルに
これが発展、進化のコンセプトでしょう それこそ、東海道五十三次を、えっちらおっちら行った時代から、汽笛一声新橋をーへと時代は移り、特急つばめ、新幹線ひかり、そして新幹線のぞみへ まさに進化そのものです インターネットの普及も、距離と時間を飛躍的に短縮した画期的な進化、でしょう
 
 けれど、何でもかんでも「便利、楽、簡単」だけに軸に置いた生活には、やっぱり「うるおい」がありません。
 うるおい・・・ 美容界では、今、最ももてはやされる言葉ですが、私は教育界、特に幼児期の教育でも、是非「うるおいある育児」をコンセプトにしたいと思いますよ、ほんと

 子供を育てていく上で、母親にとって「便利」なものは大幅に増えましたね
 私の子供達が幼い頃、必死に工夫して作ったもので、今ではすっかりスタンダードになって、簡単に市販で手に入るようになった、というものはたくさんあります
 また、世の中の意識もかわり、昔は子供連れでは眉をひそめられた場所が、今では当たり前にファミリー大歓迎になり、受け入れられている、って事もありますよね
 
 では、こうして楽に、便利になった事によって、お母さん達の意識はどう変わったのでしょうか?
 最近私が痛感する事・・・それは、多くのママ達が、我が子を育てる上で「なるべく少ない労力で、あまり苦労せず、楽に子育てをしたい 手を抜けるのであればなるべく手を抜き、人に任せられるところは人に任せて育てたい」と思っている、という悲しい現実です もちろん、これは極論としてのお話ですから、実際にはこういう傾向が強くなった、というべきかもしれません。
 
 確かに、24時間体制で子供を育てる事は大変です 私自身我が子が幼く、頻繁に怪獣に変身していた頃には、毎日育児に疲労困憊し、何とか息抜きがしたい 時には一人の時間が欲しい ホッとしたい そう思ったものです
 
 でもね・・・
人は、なかなか気づかないことなんですが。じつは、どんな人にとっても、一つの小さな手抜き、小さな怠慢をすると、確実にそれが呼び水となって、次はもっと大きな手抜きと怠慢を欲しがり、そして実際に、次は必ず大きな手抜き、大きな怠慢をすることになる・・・
 いつしか、手抜きや怠慢は、その人の生活の中の「当たり前」となって、もうもとの生活にも、意識にも戻れない
 
 手塩にかける この言葉をご存知ですか?
広辞苑で引いてみると、「手づから世話をする、自らめんどうを見て育てる、苦労して育てる」とあります
 要するに、むかーし昔から、手塩にかけて育てるからこそ、良い子が育つんですよ、という事だったのではないでしょうか?

 手塩にかけるという事は、過保護、過干渉にする、という事でも、24時間体制で、厳しい幼児教室の先生のように我が子をチェックする、という意味でもないはずです、よね
 
 いかがでしょうか? 隙あらば手抜きをし、新しい情報を仕入れては少しでも楽をして、専門家を見つけては人任せにする・・・やっぱり違いますよね
 
 今の我が子には何が必要か?
 今の我が子には何が重要か?
 自分は親として、我が子のためにどんな事がしてやれるか?
 自分は、我が子にどんな事がしてやれないのか?
 
 こういうことを一度しっかりと考え、そして、その上でひと手間かけて育てようとする
 この「ひと手間」が「うるおいある生活」となって、人の「豊かさ」に育っていくのだと思っています



 本日の「アンキッズクラブ」

サッカーのワールドカップ、やっぱりすごいですねえ
いよいよあさってはクロアチア戦です 善戦して欲しいものです

 ということで、世界中のたくさんの国々が参戦しているこのワールドカップ。せっかくの機会です。ぼんやりと見る?子供だから関係ない?
 いえいえ、世界中のいろんな国を知るのは、じつはとっても楽しいものです
 是非、子供でもみられる世界地図をどうぞ

たくさんの「語彙」を身につける

2006-06-14 10:00:12 | すてきパパママにご提案
 
 私の母は昭和6年生まれ。
典型的な大阪のおばちゃんですが、それでも一つの救いは、ずっと仕事をしていたため、とんでもないトンチンカンなことは言ったりしたりはしない・・・そう思っていました
 しかし、最近とみに思うのは、残念ながらここ1年、母が「普通のおばちゃん(年齢的にはおばあちゃん、ですよね)」になってしまっていることです まあ、どんな人も、年齢には勝てないのでしょうねえ、はっはっは
 
 先日、母は行きつけのデパートで、父のスーツ用のベルトを購入しました。
父はまだ現役で、週に数回会社に出社していますが、父には現在持病があり、すでに自分でパジャマからスーツに着替える、という行為は自力では出来ません。当然、母が着替えの手伝いをしますから、スーツ用のベルトは父のベルトでありながら、「母が扱い易いもの」ということが、品物選びのポイントだったんですね
 しかし、母はあまり吟味せず、今まで使っていたものと同様に見えるものを買いました。
 すると、実際にはとても使いにくく、金具からベルトを抜くためには、ぎゅーぎゅーと爪で押さえたり引っ張ったりしないと外すことが出来ず、爪の先が割れてしまった、と言うのです

 母はお掃除やお料理など、主婦業だけでいえば器用な人ですが、巧緻性や要領の面で言えば、かなり「トロい人」であることは否めません
 結局、デパートに持って行き、事情を話して、交換をしていただけるのであれば、是非交換をしておらおう、ということになりました
 幸い、カード精算をしていたこともあり、タグははずしてしまっていたものの、レシート等は手元にありました。

 さあ、いざいざデパートへ
ということで、私も一緒について行きました。
 母は紳士用品のフロアを確かめ、男性の店員さんを見つけて、購入したベルトを箱から出して話し始めました

 「あのね、これなんですけどね、私、ここをぎゅっとしないと外れなくて・・・そしたらほら、爪がこんなでしょう?この間も主人は同じようなものをしてたので、いけるわーと思って買って帰ったら、ちょっと違うみたいで・・・ほらあ、主人は自分で出来ないから、私がしないといけないでしょう。そうなったら、ここんところが固くて、うまいこと出来ないと・・・ほら、ね、なかなか外れないでしょ・・・」
 私は、この様子を見ていて、卒倒しそうになりました
私のクラスの年少児でも、しっかりとした生徒さんであれば、もっともっと上手に話します
 もし、目の前で話しているのが母でなかったら、きっと私は、このおばあさん、いったい、何が言いたいの?何をしたいの?デパートの方に何をしてほしいの?わけわからーんと思ったでしょう。

 ふん、ふん、とうなずき、母の相手をにこやかにしてくださっていた店員さんがあまりにお気の毒で、私はとうとう後ろから近づき、話しました

 「いやいや、長い話で申し訳ございません じつは、先日こちらで母がいただいて帰ったこのベルト、すでにタグはとってしまっているのですが、交換していただけるのであればありがたいのです。父が使うものではあるのですが、事情があって母にとって使い勝手の良いものを探していたのですが、少し、これは扱いにくかったらしくて。レシートはもってきているのですが、いかがでしょうか?もし、交換が無理なようでしたらこれはこれで頂戴して、新しい、母が扱い易いものをいただこうと思っています・・・

 「そういうことでございますか。どうぞどうぞこちらに 奥様の扱い易いものを一緒にお探しいたします。交換もさせていただきますし、金額に差が出ましても、きちんと問題なく処理できますので」とお応えくださいました。

 母は、なぜか呆気にとられている様子。いかにそのベルトが外すのが難しく、そしてそのせいで爪が割れたこともまだ言ってないし、父ではなく、自分が上手に使う必要がある、ということも話していない 大事なことは、まだ何も言っていないのに・・・
 それなのに、どうしてこんなにあっさりと、話が終わってしまったのかしら?もしかしたら、私がきちんと小綺麗な身なりをしているからかしら、ふふふ・・・

 おわかりいただけるでしょうか?
話し方って、大切ですね ましてや、それが「説明する」ことであると、たんに「話す」以上に、大変な作業です

 「話す、おしゃべりをする」は、あくまで自分が勝手に話すわけですから、万が一、相手が何も理解出来なかったとしても、誰にも迷惑はかかりません。
 よくありますよね。お年寄りが二人、にこやかに話しているから、さぞかし楽しい話題で盛り上がっているのだろうと思いきや、実際には自分の孫の自慢話で、それぞれがたんに自分の言いたいことを話しているだけ・・・「まあ」「それはそれは」などと相づちは打っていても、それはあくまで合いの手のようなもので、相手の言ったことに同意をしたわけでも、理解したわけでもない・・・敢えて言えば、はい、次は私が話す番ね!という意志表示のようなもの・・・

 しかし、「説明する」は全く意味が違います
話している相手が理解できなければ、その会話は意味がありません。
 要するに、私の母がデパートの店員さんを相手にしていたのは、「勝手な自分の話」であって、「伝えるべきことを伝えようとしていない」「何をして欲しいのかを、相手にわかるようには話していない」ということなのでした

 私はここ数年、最近の子供達は、「言語の分野で遅れている」ということをよく指摘します。まさに、私の母状態、です。
 自分の勝手なことは話せても(たくさんの流行語を使って、です)、伝えようとすると、いっこうに先に進まない・・・あのね、そのー、とか、こんなふうに、とか、擬音や擬態語はたくさん登場しても、大切な要点は全く説明しきれない・・・

 「あのね、ここがね、ぎゅーってなってね、ちょっとほらあ、あの、あのね、ちょっとぼくのね、あの、ほら・・・」
みたいな言葉では、何も伝えられません。

 じつは、説明をするためには、「たくさんの語彙」が必要なのですが、その語彙が極端に少ないのも問題なのです
 
 たとえば、体調の不良を伝えるにも、実際にはたくさんの言葉が必要です。
痛い、痒い、だるい、重い、etc. そして、痛いには、ずきずき痛い、ぎゅーっと痛い、きりきり痛い、など、痛さを表すための多くの言葉も必要になってきます
 ここでは、この私の考えがいかに生活の上で大切なことなのかをご理解いただくために、敢えて「体調不良について」を例に出しましたが、実際には、子供達の世界でも、説明は重要な位置を占めているのですよ
 幼稚園や保育園生活でも、いかに自分の意志を伝えるかによって、相手に理解を得られるかどうかが決まってきます。それは自分のポジション、自分の居場所を決める行為でもありますから

 「○○ちゃんってね、ママ、何言ってるかわかんないんだよ!」
などと家で言ったりしませんか?こんなふうに言われている○○ちゃんは、きっと子供の世界の中でも「こまったちゃん」の扱いを受けているに違いないのです 
 子供の世界では、子供なりの力は必要なのであって、決して「子供なんだから・・・」ということはあり得ません。だって、まわりは全員子供なのですから

 さあ、しっかり、要領よく、相手に伝え、理解してもらう重要性をまずは意識させ、幼い頃から、自分の意志や物事を表現するために、一つでも多くの語彙を学ばせてあげましょうね



  本日の「アンキッズクラブ」

サッカーのワールドカップ、始まりましたね
初戦のオーストラリア戦、残念でした

 ということで、世界中のたくさんの国々が参戦しているこのワールドカップ。せっかくの機会です。ぼんやりと見る?子供だから関係ない?
 いえいえ、世界中のいろんな国を知るのは、じつはとっても楽しいものです
 是非、子供でもみられる世界地図をどうぞ



「僕は母が大好きです!」

2006-06-12 23:20:29 | 良い子、良い親!
 
 「僕は、母が大好きなんですよ

 先日、育児関連のサイトの方とお目にかかり、仕事の話のあとの雑談で、家族の話になった時、その方はスラリとそう話されました 大学を卒業してから数年というその方は、とても感じのよい、聡明な社会人という印象でした。
 話の中で自然に語られたこの「お母さんが好きですよ」の言葉は、二人の子供の母親でもある私にとっては、大変心があたたかくなる、うれしい言葉ではあったものの、聞いた瞬間はあまりにそのフレーズが直球すぎて、「(えっ??}・・・」と聞き返してしまいました

 彼のお母さんは日頃は忙しく仕事をなさっていて、彼を含めた兄弟3人に、幼い頃からべったりかかりきる、ということはなかったと言います
 けれど、そんなお母さんがいつも子供達相手に真剣に話しておられたことがあるそうです。それは・・・
 「覚えていなさい あなた達のことは、最後は必ずお母さんが守ってあげるから 私が必ず守るからね
 このお母さんの言葉は、幼い頃から、なぜかずっとずっと頭から離れなかったといいます 
 「最後は守る」とか「絶対に守る」とか、たぶん、こういう言葉の意味もわからず、それがどんなシチュエーションのことを言われているのかもわからなかったに違いありません
 それでも子供達は、この言葉の本当の深さや尊さはわからずとも、とてつもなく大きなお母さんの愛情を、不思議に五感で感じたのでしょうね 
 
 今の世の中、少子化の日本では、24時間体制、全身全霊で子供に関わり、自分のすべてを子供にかけている、というお母さんも少なくはありません
 しかし、案外、そういうお母さん達が「ここぞ!」という瞬間を逃し、「これだ!」というポイントをはずして、たんに自己満足をし、空回りをしていることも多いものです・・・

 子供の感性、それも自分に対する「真の愛情」を感じる感性には、鋭いものがあります その愛情が甘い言葉ではなく、厳しい愛のムチであったとしても・・・

 「僕は、母が大好きなんですよ
成人した息子に、今でも思わずそう言わせるお母さんの愛情 私はその素敵なお母さんに会ってみたいなあと、しみじみと思いました


 今日のアンキッズクラブ

 今日ご紹介するものは、「子供用の傘」です。
これからの梅雨の時期、薄暗い雨の中で、子供の安全を守るのは大変ですね
 そんな中でも、LEDの力で、ぼんやりと傘の柄が「光る傘」をご紹介します

覚悟をもって、親になる!

2006-06-11 13:54:40 | 悪い子、悪い親?
 ここ2,3週間、テレビをつけると、どのチャンネルでも秋田の幼児殺害のニュースです 見たくないと思えば、教育テレビかBSの海外のチャンネルを見るしかありません

 5,6年前、高学歴、高収入のキャリアウーマン達が「結婚して伴侶はいらないけれど、自分の子供は欲しいわ」と言っていることが世の中で取り上げられたことがありました。
 私はその時も、何となくそのセリフに違和感があったのです

「はたして・・・子供って、そういうものだろうか?」

 きっと、その言葉の中に、経済的な余裕もできた、自分好みの素敵な住まいも手に入った、さあ、あとは私と楽しく暮らす血を分けた子供だけよね、みたいなお気楽思考?、子供に対しての「ペット的発想」が感じたからかもしれません。
 世の中のママ達は、毎日、一生懸命に戦っているんだぞ バカにするんじゃないよみたいな気分だったでしょうか・・・ 
 
 子育ては・・・やっぱり大変ですよね
1歳までは、おっぱいやミルク、離乳食・・・と、食べさせるだけでも神経を使い、2,3歳になれば、怪獣化した我が子を眺め、いったいなぜこんなことばかりするのだろうか?と時には悪魔を見る思いで見つめる・・・
 中途半端にものがわかるようになる4,5歳は、話し相手にはなるけれど、自分勝手な減らず口もたたき、6,7歳になると、もう勉強や成績のことも見ないふりは出来ない・・・

 十分にわかってはいたはずでも、育児の中にどっぷりとつかってみると「愛おしい、かわいい」と思う時間の、何倍、何十倍も「大変だあ、やめてー、助けてー」という時間があるものです

 秋田のあのお母さん。
七五三にお姫様みたいなドレスを着せて記念写真を撮る、自分のチャイナドレスを仕立て直し、娘に着せようと思う・・・

 リカちゃんやバービーちゃんには、ご飯も食べさせなくてもいいし、お風呂に入れなくてもいい。自分が遊びたい時だけ相手にしてやって、あとはおもちゃ箱に入れておけば文句も言わないし、幼稚園にも学校にも行かない・・・
 でも、生きている我が子は、リカちゃんや、バービーちゃんではありません

 溢れる育児情報、育児雑誌、育児関連サイト
人気が高いものは、ママ達向けのエンターテイメント情報だと聞きました。
「子供がいても、いない頃と同じように楽しむ方法」や、「いかに子育てをしながら、自分が楽しく暮らすか」など、どこまでいっても「自分の楽しみ中心」の生活・・・

 その一方、第2の人気サイトは「賢い子供に育てるためには何をすべきか?」とか「早期教育で、あなたの子供を天才に育てる」とか、子供の優秀さを求める情報らしい
 私は、この二つは両極端に見えながら、実際にはまったく同質のものに思えてなりません。
 なぜなら、この二つの思いには、「子供不在」という共通点があるのです えーーっ?賢い子を育てるって、主役は子供じゃないですか!と言われるかもしれませんね
 でも、こちらの場合も、主眼としてあるのは、子供を賢い子供として育てて、豊かな教養を身につけさせて、彼ら自身の人生を豊かにしてあげよう、親の思い、展望などではなく、むしろ、我が子を賢く育てて「賢い子供の親になる」という意味合いのほうが強い話題・・・ではありませんか?

 私は自分の教室で、4歳から6歳くらいの子供達を相手に、よくこんなことを話します

 「あのね、先生はね、ずっと子供でいたいと願っているピーターパンは格好悪いなあ、って思うのよ だって、好きなことを、好きなときに、好きなだけするっていうのが子供だとしたら、きっとそんなことばっかりしているうちに、そういう生活は飽きちゃうと思うのよね 大きくなるっていうことはね、自分の好きなことばっかりが出来なくなる、ってことなのよね たとえば、パパ。毎日、毎日、満員の電車に乗ったり、混み混みの道で時間かかって会社に行ってるよね 一日だって、「パパは今日は遊びたいから、会社には行かないことにしたよ!」なんて言わないよね 
 ママも「急に今日はお友達と映画を見にいきたくなったから、お洗濯もお掃除もやーめた あなた達のご飯だって、面倒くさいから作りたくなーい」も言わないよね。
 そう、みんな、そうして、「したいことではなくて、しなくてはいけないこと」をきちんとしているのよ だからこそ、一生懸命にそうしてがんばった後、ご褒美みたいにある「したいことをしてもいい時間」がとっても楽しいし、うれしいものなんだと、先生は思ってるのよ
 たとえばね・・・
大変 大変 大変 すてき 大変 大変 大変 すてき みたいな順番であるから、すてきな時間がうれしいんだと思うの 大変、すてき、大変、すてき、の順番でも、きっと違うと思うのよねえ

 こんなふうに話すと、ほとんどの子供は、私の言っている意味を感覚で理解してくれます
  スイミングのワッペンテストで上の級に上がりたくて、一生懸命にがんばったよ。合格して、欲しかった新しいワッペンがきた時、ものすごくうれしかった
  保育園の給食で、きらいなピーマンが出た。先生に、今日こそは食べなさい!食べてからでないと遊んじゃだめよ、と言われたの。がんばって食べたら、先生もママも、ものすごく誉めてくれて、とってもうれしかったよ
  どうしてもブランコに乗りたくて、走って走って公園に行ったら、すごーく強い子がもう乗ってたの。なかなか替わってくれなくて、ものすごく長い間、黙って並んで待ったの。次の日、その子と仲良しになったんだ

 子供達のこんな言葉には、すべて彼らの「辛抱や我慢、努力や根気」など、決して楽しさだけを求めなかったからこそ得た達成感や満足、喜びを体感したことが感じられます

 ときどき、「私達は、我が子に強要したり、強制したり、そういうことをさせたくないんです それは、親のエゴだと思うんですよね。とにかく、この子には自由に、のびのびと育って欲しいですから、好きなことを、目一杯させたいというのが私達の家庭教育の方針です」というご両親がいます この言葉だけを聞いていると、とても格好良く、素敵に聞こえませんか?
 けれど、この考え方には落とし穴があります
2歳児、3歳児を、彼らの好きなようにさせて暮らしたら?きっと、その子達は「おさるちゃん」になってしまうはずです いえいえ、お猿たちにはきっと、厳しい秩序があるでしょうから、お猿以下、ということでしょうか

 2,3歳の狭い世界、狭い選択肢の中で、彼らの好きなようにさせる、ということは、小さな世界に閉じこめて、何の新しい刺激にも、有意義なチャンスにもふれさせてあげない、ということでもあるのです

 もし、多くの子供達が、好きなことだけを、好きなようにして育ったら?
きっと、我が子をリカちゃんやバービーちゃんのような着せ替え人形的にしか扱えない、「大人にならずに親になる」人が増殖してしまうでしょう

 「子供のままで親になってしまう」これは、決して、テレビの中の犯罪者だけではありません。犯罪者にはならなくとも、あっちにも、こっちにも、「子供親」はたくさんいる・・・それが、一つの家庭環境として、まかり通っているのが現代なのかもしれません

 覚悟をして、親になる
それでも、人間を育てるということは大変なことです けれど、それほどの覚悟を持って親となり、たくさんの我慢や苦労をするからこそ、それに見合うだけのいっぱいの感動が、子供達との生活の中に生まれる・・・
 違うでしょうか・・・

 

 今日のアンキッズクラブ

 今日ご紹介するものは、「子供用の傘」です。
これからの梅雨の時期、薄暗い雨の中で、子供の安全を守るのは大変ですね
 そんな中でも、LEDの力で、ぼんやりと傘の柄が「光る傘」をご紹介します