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休題・雲南の夏は戦争の記憶

2012-09-22 22:50:30 | Weblog
昆明の観光地・西山の道教寺院と、そこからのぞんだデン池。

【続く地震】
雲南では9月18日午前2時21分、9月7日の時と同じ昭通市彝良県でM3.2の地震がありました。同日朝7時には雲南南部のプーアル市景谷県でも地震があり、3000人近くが被災しました。これから寒くなる時期だけに、心配です。

ところでこの地震は日本ではほとんど報道されず、尖閣問題一色でした。
今回は昆明でもデモが行われました。http://www.youtube.com/watch?v=kXtaOTV1UZk
破壊行為はなかったようですが、やはりショックです。

原因はいろいろと言われていますが、もとを正すと日本の国力と政治力が落ちているところを周辺国に突かれている気がしてなりません。少なくとも教育、とくに英語は、中国の子ども(ある層以上の子弟)の方が効果を上げていると感じます。

 娘は外国に行くと
「中国の人? う、英語が、やばうまい! 日本、アブないんじゃない?」と同じ世代の子を見つけては焦ります。また、その娘は日本の公立中学に通っていますが、今秋、転入してきた中国の子が「日本の方が数学、遅れてる・・。」「え? 宿題ないの?」などと、いちいち驚くのでまいった、といっていました。単なる一面かもしれませんが。

●テレビにも●
日本に関する教育といえば、雲南でもいろいろありました。

たとえば2004年、昆明郊外の観光地・西山の尾根の杭棒に「日本鬼子」との落書きがありました。また雲南はラオスから日本軍が第2次世界大戦終盤に攻め込んだルートにあたり、大理近くの雲南駅など数カ所に日本との戦争を含んだ博物館が設置されています。行くと、若い男性の説明員が私に

「こういうことがあったんですよ」

と、写真をいいにくそうな風情で指し示すのです。こういう特別な場所に限らず、日常から日本人とわかると、なんとなく間に薄紙が挟まった感じになる人々が、庶民層よりもインテリ層や町の有力者の中に、多く存在するようにも感じていました。

例年8月になると、中国の国営テレビでは日本では、まず、放送されないような東京裁判のフィルムが流され、雲南で行われた日本軍攻撃のフィルム(誰が撮影したのでしょう?)や近年、取材したと思われる日本側(日本軍の悪行の手記を書いた人など)・中国側のお年寄りの証言などが続く特集が昼間から延々と流されます。

なかには中国のお年寄りが
「山にこもった日本軍と激戦になったとき、若い日本兵が鉄砲を持って駆け下りながら手を挙げて『オ・カ・ア・チャン』(この部分、音が合うように当て字で字幕が書かれているのが、話に凄みを与えていた)といって、死んでいった」など、生々しい話も飛び出していました

中国の映画やドラマに見られる、残酷で人間味のない日本兵(と思われる)姿よりも、上記のようなNHK特集風の、落ち着いた男性アナウンサーの語りと当時のフィルム、証言取材などをつないだ番組の方が、ずっしりと響きました。

●新聞にも●
8月16日には1980年代のヤンキーのような、長めの日の丸鉢巻きに黒づくめの格好をした右翼が靖国神社を昨日、参拝したという写真が雲南の地元新聞に掲載されました。それは、あたかも日本人の総意であるかのような誤解を招きかねない記事でした。小泉首相の靖国参拝の時も大騒ぎでした。

また、日本の原発は、きたる戦争のための原子力爆弾のためにあるのだ、という記事も4年前の8月に掲載されていました。

●学校で●
中国の教科書には日本で考えられているほどには、日本を悪辣に書いたものはないのですが、それでも日本の戦争時の悪い話を先生が授業で話すので、中国の小学校に通っている日本人と中国人のハーフの子には、社会の時間はつらい時間なのよ、と、その母親から聞きました。

我が子も幼稚園で慣れてくるとあだ名を「シャオリーベン(小日本)」と子どもや先生らからにこやかにつけられてしまい、普通に名前で呼んでもらえるように修正するのに骨を折りました。
ともかく夏は日本人としてはなんとも居心地の悪い日々なのでした。

こうしたことから、私なりに考えました。
(この先は蛇足と思ってください。)

このままでは、日本は苦難です。日本政府や一部の人々の対応のまずさはともかく、少なくとも、中国側の情報だけではなく、冷静に検証した歴史や現状、日本の貢献の情報を入れた理性的な番組を中国語で作って中国の人々の目に触れるようにし、誤解については粘り強く解く必要があるでしょう。中国の現政権に都合のいい教育を受けて大人になった人達の暴徒化は長年の日本教育の成果ともいえるのです。
日本側も、これからも情報を集めて精査し、自分の判断の足腰を鍛えることは意味があるでしょう。
というわけで、こじつけめいてはいますが、このブログでは、今後とも私がおもしろいと感じた、普遍的なものをつづっていけたら、と思います。どうぞよろしくおつきあい下さい。
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