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雲南の豆腐⑪焼豆腐Ⅳ

2010-06-20 16:52:54 | Weblog
西門の豆腐工場にて。裏に回ると黒竜江省産とかかれた大豆の袋が山のように積まれていた。

【西門の豆腐工場】
 1883年(清光緒9年)より豆腐を作りはじめたという工場は、2階建てとはいえ、あまりにも小さい。ちょうどギラギラと太陽の照りつける8月の昼寝どきだったせいか、街全体がシーンと静まりかえっていた。工場を覗くと、薄暗い中に人影は一つだけ。浅黒い顔の、いかにも働き者らしいおばさんが小さな木の椅子に座り、もくもくと作業をしていた。

 その作業は興味深いもので、左手には、赤や黄色に彩られた美しい手のひらサイズの薄絹を持ち、右手でザルに山盛りにされたわざと形の崩された、雪のように白い固めのもめん豆腐を匙で掬っては、左手の絹に納めて器用に一つずつ包む。大きさは町で見覚えのある1個0.1元の「焼豆腐」そのものだ。それを平たい板の上にきれいに並べてはまた、その上に板を載せ、それを際限なく繰り返していた。

 崩された豆腐は箕の上に木綿の布を敷いた上に盛り上げられ、箕の下のバケツが受け止める。その箕の中の山盛りの豆腐があっという間になくなるほどのスピードで、おばさんは次々と包みあげていた。街で10個1元の焼豆腐の、この最初の工程の手間賃は、一体どれほどだというのだろうか。

 さて、だいたい15層ぐらいに積み重ねると、板の上に煉瓦を一層+αを載せると、ちょうどの重みで豆腐の水が流れ出て、固めの「臭豆腐」の原型が出来上がる。一度、ひっくり返すと、一番上の段が下となって、また圧力の具合がよくなる。とんでもなく手間のかかる作業に気が遠くなった。

 さらに水が流れ出て、硬く締まると、今度はせっかく几帳面なほどに丁寧に包んだ薄絹を一つずつ、きれいにはがしてザルに並べる。

 最後に塩をまんべんなく掛けて、さらに箕で蓋をして、日に一度はひっくり返す。こうして日陰に2,3日置くと、ほどよく灰色が買った白い臭豆腐が出来上がる。こうして建水の町のアチコチの日陰には小さい瓦のような臭豆腐をザルに干されているのだった。
コメント
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