雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

元気な退職世代3

2006-06-21 12:34:37 | Weblog
写真は徳欽県で出会ったチベット族のおばあさん。チベット族の家に初めて訪れた子供には生卵をプレゼントするのだと、娘に手渡す。子猫を娘が見つけていると「あげるよ」と手渡そうとする。すべて旅の途中なので断ったが、子供には本当に親切だった。

【子守り】
 体を動かし、遊ぶだけではない。中国では、まだまだ「子守りはお年寄りの仕事」という社会通念がある。しかも共働き家庭が普通の中国社会では、祖父母が子守りは非常に重要な役割となっている。 

 昆明では、都会化しているため、その役割は幼稚園や小学校の送迎に集中するが、雲南の農村に行くと、貧しいゆえにその役割は相互扶助的な意味合いもおびる。雲南省北西部の徳欽では、娘をつれて行くと、「おまえたちの両親はみんな死んじゃったのかい?」と聞かれることがよくあった。親が仕事モードの場合、子供は仕事場につれてきてはかわいそう、祖父母に預けてしっかり教育してもらわなければならない、という。
 農村では、農繁期以外は、働き盛りの人のほとんどが街に出稼ぎに行く。その間は、老人が子供の面倒を見て、出稼ぎのお金を家族で分ける。だから農村は、老人と子供だけのことが多かった。

【子供だいすき】
 昆明の休日、設備の整った有料公園に行くと、若夫婦と子供の組み合わせより、年寄り夫婦と子供、それに若夫婦を加えたグループのほうが多い。
そのため子供への目が行き届きすぎて、子供は少々、窮屈そう。子供が工作をしようとすると、「次はこの色が合うでしょ」とつきっきりで指導する姿もよく見かけた。子供の自主性は、わがままをいわない限り、尊重されることはないようだった。
 だが、子供への目はあくまで優しい。娘が転んで泣き出した時には、私より早くそばに駆け寄って「痛くないよ。大丈夫だよ」と介抱してくれた。子供と見ると、アカの他人であろうと優しさの出し惜しみはしないのだ。日本の感覚で考えると、中国人は無類の子供好きだと感じる瞬間の一つだ。 

 話は飛ぶが、戦後、日本に引き揚げる際に、やむなく中国に置いてきた子供が大勢、中国の人の手で育てられた。もちろん、過酷な目に遭った人もいるだろうが、もし、これが逆の立場だったら、日本社会は中国の子供をこれほど育てただろうか。
 日本で子育てするときは、夜中に子供が泣けば、翌日、上の階の人が怒りをこめて抗議にきたり、子供が道ばたで泣いているのを見て、見知らぬおばさんから「幼児虐待ですわ」などと捨て台詞を吐かれたりと、せつない思いを何度もした。ところが、昆明に限らず中国では、そんな空気はみじんも感じられない。日本はつくづく子育てしにくい社会だったのだと気づくとともに、中国の人々の子供好きの空気のなかで、のびのびと子育てを楽しむことができた。

 さて、よく体を動かし、手を動かし、童心にかえって遊ぶ。そして「子守り」。これが健康の秘訣のようだ。では、この優雅な生活は、いかにして生まれているのだろうか。(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする