たにしのアブク 風綴り

85歳・たにしの爺。独り徘徊と喪失の日々は永い。

緑陰の逍遥、ふり返れば、風と共に、杜の妖精が通り過ぎた

2021-06-06 09:08:29 | 散策の詩
令和3年6月6日 紫陽花の季節ですね。
現(うつつ)に見ゆるまで美しきは紫陽花なり。
泉鏡花「森の紫陽花」で書かれている一節です。



紫陽花、アジサイの花――、
いつもの徘徊逍遥の径にも、休憩で座るベンチの脇にも、
花の姿や彩りもさまざまに、妖変の色合いで咲いている。



徘徊逍遙の足を「自然公園」まで伸ばしました。
濃さが一段と増して緑の樹間が狭くなりました。
木の葉、草が動いて「風の色」が見られました。





小池の水面には「さざ波」を残して水色。
青草の上には「葉波」をゆるがせて緑色。
水色の風、緑色の風が吹き渡りそよいだ。



たにしの爺が渡る緑陰の径で、
「一瞬の薫風」と行き替った。
振り返ったら後ろ姿が見えた。
スカーフが風になびいていた。



幻だったのか、リアルだったのか。
もしかして、爺の妄想だったのか。



空気が押されて、流れて、風になる。
空気は見えない、従って風も見えない。
見えない風も「感じる」ことは出来る。



「杜の妖精」が「風」になって過ぎたのか?
「紫陽花」の妖姿に惑わされたのか……??

……玉簾の中もれ出でたらんばかりの女の俤、顏の色白きも衣の好みも、紫陽花の色に照榮えつ。蹴込の敷毛燃立つばかり、ひら/\と夕風に徜徉へる状よ、何處、いづこ、夕顏の宿やおとなふらん。
泉鏡花「森の紫陽花」より。



泉鏡花「森の紫陽花」については、
5年前の6月6日にブログに書いています。
読んでみたい方は右のバックナンバーから、
2016年6月6日で検索してみてください
全文はWebの「青空文庫」で読めます。
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