おめでとう、ブカレスト。1459年、ワラキア公国のヴラド・ツェペシュ公がこの地を首都と定めて以来、550年の節目を迎えています。ブカレストの日は今月20日。
550年祭として、先週から今週、550のイベントが市内各地で。フリーペーパーの「ring」に毎日のプログラムが載っています。滞在中の方は是非お出かけ下さい。
串刺し公として名を馳せたヴラド公、敵対するオスマントルコの兵士達を捕虜にしては串刺し、ドナウ川の国境近くに立ち並べ、トルコ兵を恐れさせ、士気を失わせたと言います。
その残忍さは、アイルランドの小説家ブラム・ストーカーによる「吸血鬼ドラキュラ」のモデルにもなったもの。詳しいドラキュラの由来はこちらから。
ヴラド公は、数量で圧倒的に勝るトルコ軍を作戦で撃退した人。有名な戦いは、ブカレスト遷都後の1462年、国境近くのギュルギュウでの野営戦。ワラキア公国軍2万。対するトルコ軍はブルガリアからの援軍も含めて14万。実に7倍。
まともに戦っては勝ち目がありません。人数が多いと、それだけ大量に必要なのが食糧。まず相手方の水と食料を断つこと。川に毒を放ち、後方の食糧部隊を攻撃。さらに食糧を探しに森に入ったトルコ兵を攻撃。トルコ兵を腹ペコにして、体力&気力を喪失させます。
そして自らが先陣に立って夜襲。トルコ人の服装をし、トルコ語を話しながら接近、トルコ軍の大将スルタンがいるテントを直撃、首を払います。しかし、スルタンと思って刃にかけた人物は、スルタンではなく部下の将軍の一人。スルタンの作戦で替え玉がスルタンのテントに寝ていたのです。
が、少数精鋭のヴラド軍はひるむことなくあたりのテントに火を放ち、トルコ語を話しながら襲撃を続けます。夜襲をかけられたトルコ軍、ただでさえ混乱するのに回りは皆トルコ語を話す兵士達ばかり。誰が敵味方の区別付かず、大混乱に陥り、味方同士も殺しあいながら退散。相手方は圧倒的に数量が勝っていたので壊滅させることはできなかったけれど、とにかく退けることができたのです。
ヴラドは幼少のころから10年以上、イスタンブールに人質にやられていました。そのときに身につけたトルコ語、トルコの習慣がこの戦いで彼に味方したのです。
そんなヴラドがブカレスト遷都したときの、直筆サイン入りの証文がブカレスト市歴史博物館に展示されています。1459年9月20日、と日付も読み取れるもの。ブカレストにとってヴラド公はとても重要な人物。この博物館は大きくは無いけれど、一見の価値あり。大学広場の南西角から通りを南下して、すぐのところにあります。見学の様子はこちらから。
今週末、土曜&日曜はブカレストのすべての美術館&博物館が入場無料、オールナイトで公開。遷都550年祭のお祝い。スポーツの秋は芸術の秋、美術館めぐりもまた楽し。
日本のマラニック好きなお友達へ:
(たとえば、このかたやこのかた!)
ブカレストの美術館&博物館が無料公開されるのなら、マラニックですべて回ってみようって?だめです、日本でよく見かけるリュックを背負ったランスタイルで街中を走っていると目立ちすぎます。そして、そんなことをする人はいないので、異様過ぎます。
ただでさえここ、ルーマニアでアジア系は目立つのに、そんな異様な行動をしていると~「クレイジーな中国人?」と思われてしまいます。
日本人は礼儀正しく、折り目深く、礼節わきまえている国民性と評価されているので、ランパン&ランシャツ&リュックで街を走り回るなんて、するはずが無い、と思われているのです。走るべきところは公園、または陸上競技場。
街中マラニック、これまた楽しいのだけど、ここブカレストではほぼ不可能。人々の視線さえ気にしなければ、可能。それと野良犬に気をつけて。
マラソンカテゴリー以外の読者の方へ:
マラニックは、マラソン+ピクニック、の造語。歩いてハイキング、ピクニックするところを、走って行ってしまおう、と言うランナー的発想のレジャー。背負っているリュックには、給水ボトル・行動食(カロリーメイトやエナジージェルなど)、着替えやお風呂セットが入っている場合もあり。気心知れた仲間たちと野山や街を走って堪能した後には、銭湯や温泉で汗を流し、これまた楽しみの打ち上げ宴会、となるパターンが圧倒的。
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江戸遷都より、ちょっと古いくらいかな?
日本では応仁の乱の少し前
コロンブスのアメリカ大陸発見より少し前です。